第一章

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 リビングはやはり酷く荒れていた。割れた食器の破片がフローリングの床一面に散乱し、飲んでいたのだろうお茶が零れたまま倒れていて床を濡らしていた。ニュース番組が流れているテレビは点いたままで、すぐに消せば一気にリビングは静かになった。  父さんが来てしまう前に全部は無理だけどある程度は片付けないと。  キッチンにある箒と塵取を手に取りすぐに片づけを開始した。  途中でやはり父さんが来てしまい手伝おうとしてきたが、それなら今日食べる食事の準備をしていて欲しいと頼んだら渋々了承してくれた。  片づけが終わってキッチンへ向かえば、綺麗に形が整えられ後は焼くだけになったハンバーグが作られている所だった。 「手伝うよ。父さんがハンバーグ作ってくれてるから、俺はサラダでも作ろうかな」 「いや、後は焼くだけだからな。その間にサラダと汁物ぐらい用意できる。だからお前も着替えて着なさい。ありがとう。……いつもすまない」  最後の言葉は低い声ではあったが、俺の耳に届いた。俺はなんでもない顔をして部屋で着替えてくると告げてリビングを出る。  玄関を見ると、転がしたままだった筈の傘はすぐ側の傘入れに差されていた。リビングに来る前に父さんがやってくれたのだろう。鞄はなく、部屋に運んでくれたのかもしれないと思い、そのまま二階にある自分の部屋へと向かった。  部屋に入ると正面にある窓の群青色のカーテンは閉め切り、容易く窓から互いの部屋を移動できる程距離が近い隆久の部屋は見えない。    鞄はやはり父さんが部屋に運んでくれていた。扉のすぐ側の壁に立て掛けてあった。  隆久が俺の事を心配しているだろうが、着替えてからにしようと決めて明かりは点けない。だが、隆久なら明かりは関係なく俺に気づきそうな気もした。  着替えようとして手が止まる。知らずと大きなため息が零れた。素知らぬ振りをしていた疲労が一気にこみ上げて、ベッドを背にずるずるとその場に座り込む。   「眠い……」  頭の芯がぼんやりとして眠気が込み上げてくる。目を瞑れば、このまま眠ってしまいそうな気がした。だがそれはできない。父さんが下で待っている。  キャパオーバーだ。濃くなる睡魔にグラグラと揺れる意識がそう告げているような気がした。昔から抱えれきれない問題や目を逸らしたい問題に直面すると無意識に脳が自分を守ろうとするかのように意識がぼんやりとしてくる。  眠りこそが全ての安寧であるみたいに。 「着替えないと……」  億劫な指を動かしてシャツのボタンへと手を掛ける。ジッパーだったら上から下に引っ張るだけで脱げるのにというどうしようもない不満が浮かぶが、諦めて一つ一つ上から順にボタンを外す。  全てボタンを外し終われば、息苦しさが少しだけ和らいだ気がした。すると、ヅクリと疼いた気がした首元にそっと手を伸ばした。指に触れた硬い感触に胸が冷たくなる。  その時だ。コンコンと窓からノックする音が聞こえてきた。隆久だ。明かりは点けていないのにまるで俺がいる事を知っているようなタイミングに思わず苦笑が零れる。  いつもなら笑って迎えてやるのだが、今は迷ってしまった。きっと今の俺は疲れ切った顔をしているはずだ。 「今行くよ」  迷った末に会うことにする。どうせ隆久には全て知られている上に、母さんが暴れた音を聞かれてしまっている。時間を置いて会ったとしても逆に心配を掛けてしまうだけだろう。  カーテンを開ければ、やはり私服に着替えた隆久がいた。俺を見ると一瞬瞳が鋭くなる。隆久が不機嫌になる時の仕草だが、一瞬の事だった為気にせずに窓を開けた。互いの部屋からしか出入り可能な窓は互いにしか行き来しない為、施錠はしていない。  隆久には疲れている事を隠し切れないだろうが、それでも笑いながら言う。 「なんでお前はいつも俺がいるの分かるんだろうね?」 「勘だ」  即答だ。本当に勘なんだろう。昔からそういう野性的勘が鋭い奴だからすぐに納得する。 「大丈夫か?」 「うん。今は母さんも落ち着いてくれてて部屋で寝てるよ。心配してくれてありがと」  今日も隆久は部屋で俺の事を待っていてくれたんだろう。毎回タイミング良く俺を呼ぶ隆久に実際に確認した事があり、即答で認めた。  俺がいつ戻ってくるかなんて決まっているわけじゃないんだから気にせずに過ごしてくれればいいのに。  タイミングの良さを確認した時に言った事があるが「だからお前を待っている」とまたも即答された。
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