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あわいにいて
あわいにいて
「ち……また尽きたか」
ろうそくがふっと消えると、暗闇がすっとオレ達に押し寄せた。
「哲(てつ)!祭壇のろうそくを持ってこい!こっちのはまだ固まってねえから」
「うん」
夜ならば眠ってしまえば良い。
そうも思うが、本来なら今はもう朝で、哲は魔術学校へ行っている時間のはずなのだが、ここ数日帝都国に起きている異変のせいで、学校は休みになっていた。
哲が隣の教会から持ってきたろうそくに火を点けると、屋敷には再び明るさが蘇った。
ここのところ、どういう訳かここ帝都には夜が居座り、朝も昼もなく真っ暗になってしまっているのだ。
はじめは、また悪戯で、誰かが夜を人間界に寄越して、からかっているのかと考えた。
でもそうでもなさそうだし、帝都の他にも、色々な土地で不思議なことがたくさん起こっているみたいだ。
「お前は学校にも行かず、ミサもせずに、ずっとだらだらしてオレ様と自堕落にしていられるぜ?こんな良いことはないだろう?」
オレがベッドでだらだらとしながら、年頃になって背も伸びてきた哲に笑いかけると、
「暗いのは嫌だ」
奴は顔を思い切りしかめた。
心の中ではその通り、と思っているくせに、それをオレに悟られないために、無理やり表情を捻じ曲げているのだというのはすぐに判る。
「さあ、暗いのに起きてたってすることもねえし、やっぱりろうそくは消して、こっちに来いよ」
「……」
手招きをして、お行儀よく待つと、哲はのろのろとオレの傍へやってきた。
薄明りの中に浮かび上がる出で立ちは、成長するにつれて、最近とみに面影の中の姿に良く似てきたと思う。
神父という、いけ好かない職業のための堅苦しい服装に履物、輪郭を灯かりに縁どられた柔らかい色合いの髪に、幼さの消えつつある切れ長の瞳。
喋り方も声さえも、あの頃聴いていた愛しい者のように思えて、オレは、この暗闇がたまらなく心地よい。
柔らかい髪を撫で、ぎゅっと抱き締めると、哲はびくりと身を強張らせた。
そろそろと怖がりながら、哲からも背中を抱き締めて貰えると、オレは舞い上がるほどに嬉しくなった。
オレが調子に乗って顔を近付けると、
「……や、やっぱり、夜は巡ってた方が良い。夜を巡らせよう」
哲はオレの手を離れて、蒼いマントを羽織り扉へ向かった。
テーブルに置かれた燭台を一つ掴むと、
「ずっと夜ばかりじゃ、ろうそくがいくつあっても足りないし」
もっともらしい言い訳をオレと自分に一つつく。
確かに夜ばかりでは、ずっとパン屋は開店できないし、職人達の仕事もはかどらない。どこかへ散歩に行くことも、布団干しもできやしない。
昼間の光の中では、哲は哲で、オレに、誰かに似ているなんて思われなくて済む。きっとそう言いたいのだ。
そんなにオレは淋しげな素振りを見せているのだろうか?
少しどきりともするが、そんな風に、自分を主張してくれる奴に嬉しくもなる。
時々感情的になって、すぐあと猛烈に反省する。
それは神父や哲だけではなくて、きっと人間が皆そうなのだろう。
教会から、オルガンの音が聞こえてきた。
屋敷から続いている扉を開けると、哲が一人で弾いているのが目に入った。
楽譜は譜面台に置いてあったが、あてずっぽうでリズムも適当。即興なのがすぐ判った。
やかましくしていると、夜が嫌がって帝都から離れていくと思ったのだろう。さて、勝負はどう転ぶか。
オレが一つずつ窓を開けていくと、空を覆いつくしている暗闇がもぞもぞと動き始めた。ずっと居心地が良くて寝そべっていたのが急に起こされて、不機嫌である、という態度を示しているようだ。
「わー、悪魔さん!何やってんの!?」
「夜を追い出しにかかってんだ。お前らも手伝え」
「よっしゃー」
隣のパン屋や職人が飛び込んできて、その辺の物を叩いて調子を合わせ始めた。
パン屋のくせに、今も発声練習を欠かさないユキが唄うと、その声は静かな大通りを瞬く間に駆け抜け、街の奴らがぞろぞろと教会に集まり始めた。
奴らは生気を失ったゾンビのようであったが、哲とユキの曲に合わせて唄い踊りだす。
暗闇は街の奴らのけったいな動きに面食らい、腰を浮かせた。少しずつ、本来のちゃんとした夜を待つ人々の元へ向かいだす。
皆は歓声を上げ、ますます元気になる。
帝都には色々なものが住んでいるから、たまにこういう不思議なことが起こる。
それはオレがここにいるからでも、元議長のナルさんが暮らすようになったからでもなくて、そのナルさんが言うには、世の中が段々、こんなに不思議になってきているせいなんだそうだ。
これは自然の摂理で、段々世界はへんてこになって、人間は滅びるのかな、とナルさんに訊いてみたけど、
「それは良く判らないね」
と、どうせ判っているのだろうに、曖昧なことを言った。
毎日変なことが起こるようになっても、ナルさんは自分の家族を護れれば良いし、オレも自分の愛する者を護る。
結局それしかできないのだ。
「さあ!ユキちゃんリサイタル第二楽章よ!」
「ユキちゃーん!!」
気が付くと、開け放った講堂の中にはご近所が詰めかけて、大通りにまで街の奴らが溢れかえっていた。
手に手に鍋やら樽やらを抱えて音を出していて、一揆か、と突っ込みたくなったが、奴らの曲ともいえない音楽に、夜のとばりは帝都の外れの丘までいよいよ押していかれた。
ぶっ続けで哲はずっと鍵盤を叩いている。
へんてこになっていく世の中を前に、オレたち生きる者はきっと大きなことなど何一つできやしない。
人間であろうとなかろうと、ただそのうねりに飲まれて、途方に暮れながら、変わっていく様を見届けることしかできない。
でも小さな力であがいていくのを、人間というのはどうしてか諦めない。何故だろう。
オレはその、滑稽な様を見ているのが好きだ。
丘へ辿り着いた夜のとばりは、そこからすぐさますたこら逃げ出した。
丘の上のるうの屋敷から出てきたナルさんが何か言ったかしたかして、それに怯え、一刻も早く夜を待ちわびてくれている人の所へ、愛される場所へ駆けて行きたくなったみたいだった。
オレも身体を翻し、哲の所へ駆けていく。
哲の隣へ立ち腕を伸ばして、オレもあてずっぽうだけどオルガンを指ではじく。
一層やかましく激しく弾いて、夜が二度と居座らないように、オレ達は叱らなくてはならない。
奴は連弾を始めたオレを驚いたように見た。
でも何も言わずにオルガンを叩き続ける。
オレと哲の叩きだす音はまったく音程が違うのに、何故だか調子の良い、面白い音を奏でた。
少しずつ教会のステンドグラスから光が差し込んで、明るくなってきた。皆が喜んでいる。
陽の光に照らされた輪郭は、確かに哲のものだった。
少年から大人の男になっていくあわいにいて、人間ではないオレと暮らしていることに戸惑っている小さな神父。
こいつにも、オレの驚くような資質が備わっている。
自分のためだとすり替えてしまうけど、本当は誰かのために、なにかを必死でできること。
「悪魔さーん、もうすっかり朝だよ!」
「オレ達、仕事行きますからね~」
集まっていたユキや職人達は、良かった良かったと通りへ出て行く。
オレと哲の音楽は、いつまでも教会とオレの頭の中でわんわんと鳴っていたが、
「さて、じゃあ、しようがねえから洗濯でもすっか」
オレも今、一番にしなくてはならないことをすることにした。
おしまい
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