悪魔の花嫁10

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悪魔の花嫁10

悪魔の花嫁10 満月。 庭園の石畳の上に私は立たされた。少し離れた池のほとりで、天使と悪魔はまだ何ごとか話し込んでいる。こんな所に標的のように立たされて、逃げも隠れもできないではないか、と文句を言ったら、 「そう。標的だからいいの。あいつが殺したいのは天使ちゃんと仲良く微笑みあってた神父さまだから」 と返された。その言い草に私は憤りさえ覚えたが、思い出すと確かにあの少年悪魔の前で天使と接点があったのは私だけだった。要するに最悪に間の悪い所を見られて逆恨みされたという事か。 「?それってどういう事だ?」 私が再び問いかけようとした時、風が渦を巻いて少年悪魔が現れた。二人も私の側へ駆け寄り、悪魔は私をかばい前に進み出た。 天使は、後ろ手に何か持っていた。月明かりの中でまじまじと見ると、それはジャムの入っていた空の瓶だった。 「どけよ!今日の夕飯はそこの神父にするんだ。邪魔するならお前らも殺すぞ!」 またも上空から少年悪魔が叫んだ。つい最近までろくな食生活でなかったから、食べてもきっとおいしくないですよ、と私は返してやろうかと思ったが、なんとなく、そんな場の雰囲気ではないと察し、じっと黙っていた。 「駄目だよ、この方のお力はとても強いんだ、返り討ちにあって消滅させられてしまうよ。もしかしたらこちらの悪魔さんのように、契約させられて生涯使い魔にさせられてしまうかも!そんなの嫌だろう!オレたちの事には関わらず逃げるんだ!」 私に腕を絡ませた天使が言うと、少年悪魔は不審そうに私たちを睨んだ。私の悪魔も、私の胸に手を添えてなんだか切なげな笑みを浮かべ、少年悪魔を見返していた。 天使は、幼子に言って聞かせるように優しい口調で少年悪魔に語りかけた。しかし、黙って聞いていると、何やら話の内容は突然おかしな方向へ向かい始めた。 「この悪魔さんは、オレが神の使いとして神父様のところへ召喚された時、お勤めとして夜伽をいいつかった夜、身代わりになって助けてくださったんだよ。それがばれてお怒りに触れ、今は魔力を取られてしまったんだ。オレをかばってくれたためにこんな事になってしまうなんて……!」 一体、何の話だろう?と私は耳を疑った。 もしや、その神父とは、私の事だろうか? 私の左手側で、悪魔はさめざめと泣いたふりを始めた。恐る恐る顔を上げると、上空の悪魔は蒼白になって私達を見下ろしていたかと思うと、 「本当かよ!!?二人とも何でそいつの元から逃げ出さないんだ!」 と、二人に叫んだ。二人はまたよよよ、と泣き、 「この方のお力は強大で、逃げるなんてそんな!それに、使徒である以上、言いつけは聞かなきゃいけないんだよ」 「無理矢理契約させられて、命を狙われたら盾になるよう、命令されてるのさー」 と、二人して時代がかった口調で返した。 私は、あまりの支離滅裂さと自分にかけられた嫌疑のために眩暈をおこした。悪魔はともかく、この少年天使とは先日が初対面だという事をこの少年悪魔は知っているのではないのか? それに、いくらなんでも、こんな子供にそんな用を言いつける訳が無い。第一私は神父である。神父が神の使いにそんな事を持ちかけるはずがないではないか。例え私がろくに神に敬意を示さない輩であろうとも。 けれど、私はそんな事を言い出しそうな奴に見えるのだろうか? しかし、上空の悪魔は、なんとそれで納得してしまったようで、わなわなと震えながら私をぎろりと睨みすえた。 「そうだったのか、どうりでな!あんた程の悪魔が何故神父なんかと一緒に居るのだろう、と思ってたんだ!!この悪徳神父!やはりお前はオレが殺してやる、二人を盾にするなんて卑怯な事しないで放すんだ!お前が死ねば契約もお勤めも全部無しになるんだからな!!」 その言葉に私は息を呑んだ。 もしかして、この両脇の二人は、本当に私を亡き者にし、共に愛ある暮らしを始める算段なのかも知れない……。 途端に絶望的な気持ちが私を取り巻いた。昼間見た、二人の密やかな笑いが脳裏に浮かび、上空で悪魔がいまだ激しく私に罵倒を浴びせているようであったが、そんな事は全く私の耳には届かなくなった。 いくら、私が邪魔になったからといって、こんな哀れな最後は悲しすぎる。まだ、何も言いたい事を伝えていないのに。 胸に添えられている悪魔の左手を右手で強く握ると、悪魔は驚いたように私を見上げ、うろたえたように天使に視線を移した。同じく、天使もそれに気づき、やや焦ったような顔をした。そして、私達の前に進み出て、上空の悪魔に声をかけた。 悪魔にとって、私は無理矢理契約を取り付けた邪魔者なのだろう。私をずっとこうして殺したかったのかも知れない。この子供悪魔を二人でそそのかして私を殺して、自由になる機会を窺っていたのだろうか。 でも、私はお前を離したくはないんだ………。 「ああ湧!君もオレを助けてくれようとしているんだね!なんて優しいんだろう!」 「当たり前だろ!そいつから二人とも離れるんだ!」 少年悪魔は右手を私達にかざした。ほぼ同じ瞬間、天使は持っていた小瓶の蓋を開け、上空にかざした。 少年悪魔はぽかんと口を開けてそれを見つめた。すると、たちまち金縛りにでもあったように彼の身体が固まり、すぐにひしゃげたように歪むと、するするとその小瓶の中に吸い込まれてしまった。 私が、呆然と見ている間に、その姿が全て吸い込まれると、天使は急いで蓋をねじ締め、 「う、うまくいきましたよ!さすが悪魔さん!」 振り返って私達に小瓶を見せた。少年悪魔は小人並みに小さくなって小瓶に閉じ込められ、キーキー暴れている。私は驚いて目を見張ったが、私の悪魔は先程の芝居などすっかり忘れたのかにやにや笑って瓶を小突きながら中に話しかけた。 「バッカだね~騙されてやんの!」 天使も、 「御免よ。この神父様とはこの間会ったばかりだし、この方はそんな事言うような方じゃないよ。全部嘘なんだ。でも、オレを助けようとしてくれたんだよね、有難う……」 と、声をかけると、中の悪魔は赤くなって地団太を踏んだ。 私がついていけず不思議そうにその様子を見ていると、悪魔が振り返り、 「お前は役立たずだし、オレは今魔力がほとんどねぇからよ。今回はこいつのおかげだぞ。こいつが奴の名前を知ってて助かった」 と、少しほっとした顔をした。 「そんな。オレはこの魔法の使い方を知らなかったし。一人だったらこんなに早く湧を捕まえられなかったです」 興奮気味に話す天使に、悪魔はやや苦笑すると再び小瓶に語りかけた。 「まあ、そりゃ呪術だからねえ……。ちょっとの魔法力で使えるやつだけど、名前を知らないと使えないの。おい、お前いくら惚れてるからって、天使に名乗るんじゃなかったな!」 その言葉に、少年悪魔はますます顔を赤くし歯ぎしりをした。 天使も、きょんとして隣の悪魔を見た後、少し頬を染めて小瓶を覗き込んだ。 ++++++++++ 「オレはしばらく湧の更生を手助けするため、この港町に残ります。でも、いつか本当に帝都に遊びに行ってもいいですか……?」 翌日、私達は長らく滞在した宿を後にした。いつぞやの公園は今日もいい天気だ。 「おう、いつでも来いよ!」 悪魔がそう言って肩を抱くと、天使は嬉しそうに微笑んだ。天使が天国通販で取り寄せた魔力を無くす首輪を付けた少年悪魔湧が、苛々と二人の間に割り込み、 「お前らもういいよ!帰れよ……」 と苦々しそうに言うと、悪魔を突き飛ばした。 「なんだとこの野郎偉そうによ!せいぜい更生とかして天使とらぶらぶで暮らせば!!?」 悪魔もまた、彼を小突き返し、魔力のない悪魔同士喧嘩を始めた。私が側で眺めていると、傍らの天使と目があった。天使はいつもの、少し恥ずかしそうな微笑を見せて、 「いろいろごめんなさい」 と言って寄越した。 「あの方と一緒に居たくて、神父様の事邪険にしてしまって。腹黒い天使だと思うでしょう?天使なのに悪魔を想うなんて、おかしいでしょう?」 ……でも、悪魔なのに君を想っているのも居るから、別にいいのでは?と返すと、天使は声をあげて笑った。 「でも、オレでは駄目みたいですよ??」 天使は、そう言っておどけたように私を見た。私は、その天使を見てやはり天使とは愛らしいものだなあ、と思い、離れたところでいまだ小競り合いを続けている悪魔を見て、ああ、やはり悪魔とはああでなくてはなあ、と思った。 そして私達は二人と別れ、帝都行きの汽車に乗り込んだのだった。 「お前が考えたんだろう、あのホラ話」 汽車の中で私が思い出して切り出すと、 「ま、損な設定だけどしゃあねえよな!またお前の命を助けてやったんだ!なんか礼くらい寄越せよな!」 と、悪魔はからからと笑った。少年悪魔が、天使に名乗りを明かしていた、という時点で悪魔は彼の気持ちに気づいていたのだろう。 だから、私との話で、いわゆる性的な話題を持ち出せば彼の頭から、つじつま、とか矛盾、という言葉など吹き飛んでしまうだろう、と悪魔は踏んだのだろう。そして、実際その通りになった。 そういう、俗な策略は流石悪魔というよりなかった。 こつこつと、肩を何かが打つので考え事から我に返ると、今まで籠の中の犬を覗き込んでいたと思っていた悪魔はうとうととしていて、汽車が揺れるたび、私の肩にもたれかかってきていた。 私が気付かないふりをしていると、一度とろんとした瞳でこちらを窺い、ゆっくり肩に頭を乗せてきてすっと寝入ってしまったようだった。 まだ傷も残っているから疲れているのかも知れない。ドタバタした旅行でもあったし。 結局、湯治にもならずに怪我だけ増やして帰ることになりそうだ。 てろんと投げ出してある右腕を私はじっと見つめ、そおっと手に取った。あの時、悪魔が庇い護ったのは、天使は自分だと言っていたが、私もまた、自分だと思っている。都合の良い話だった。 訊きたいことは山のようにあった。 本当は私を殺したかったのか。あの天使のことを想っているのか。自由になりたいのか。私の事をどう思っているのか。 本当の名前は何という? けれど、訊ねたら、ある日突然こいつも居なくなってしまうかも知れない。何とも私の事を思っていないなら、名乗りを明かしてはくれないのだろう。 色々な事を考えて、怖くなって、結局私は何も言い出せずに心の中に仕舞ってしまうのだった。さらさらと悪魔の髪が揺れる音を耳元でずっと聴いていた。 汽車は流れるように走った。 私は、この悪魔が居なくなるのが怖いと思うようになったのだ。
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