悪魔の花嫁4

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悪魔の花嫁4

悪魔の花嫁4 梅雨は嫌いだ。 激しい雨が降り続くと、この教会はいたる所で雨もりを始める。それはとてもみじめな、悲しみを誘う光景で、この時期私は部屋中をぐるぐると歩き回り、バケツに溜まっていく水を捨てに行くという作業を日課に加えなくてはならなかった。 豪華な暮らしが大好きらしい悪魔が、この貧乏たらしい様子に怒り狂って屋根を直してはくれないだろうか、としばらくの間期待していたが、意外にも奴はバケツに落ちてくる水の音を楽しげに聞きながら、部屋の中で水遊びをしてみたりするのだった。 ある時、その様がやけに鼻についたので叱ると、奴はふてくされてふらりと出て行ったきり帰ってこなくなった。 ++++++++++ それからしばらくしてようやく久々の晴れ間があらわれて、悪魔を探すより、とにもかくにも洗濯か掃除か眠るかしなければ、と閉めきっていた窓を開けると、隣の占い師の家に、職人風の男達がやって来ているのに気が付いた。 一人の男はてきぱきと垣根を直したり、壁のちょっとした色あせを塗り直したりしていたが、もう一人の男は、垣根の余計なところを切ろうとしてハサミを動かして、藤の花を切り落として焦ってみたり、せっかく用意したペンキを転げてぶちまけたりしていた。 その様子を占い師は楽しげに眺めていたが、 「全部終わったら、ついでにおとなりの屋根をみておあげ」 と、てきぱきした男の方に声をかけると、奥へひっこんでしまった。 私は驚いて奥へ消えていく占い師を目で追うと、さきほどの職人ともろに目が合ってしまった。職人は私を見つめ、次に屋根を見上げて、少しぎょっとした顔をしてみせた。 今こそ、隣の住人がこの占い師と絵描きで良かったと思った事は無い。てきぱき職人がてきぱきと屋根瓦を打ち直し、色を塗り直していくのを眺めながら、私は占い師の家でのんびりお茶をご馳走になっていた。 職人にもお茶を勧めて戻ってくる占い師に、 「いやー、占い師さまさま」 と言うと、珍しく怒ったような顔をして、 「寝不足だったからって、あたってたら逃げられるのは当たり前だよ」 と私の頭を叩いたので、私はぎょっとした。 悪魔がここに逃げてきて何か言ったのだろうか?すると私の顔つきで判ったのか、不思議な力のせいか、隣にいた絵描きが、 「ここにはいないヨーーーン」 と、ににーーーっと笑い私を思い切り馬鹿にした。 汗をふきふき戻ってきた職人に、占い師が、 「知らないかい??羊みたいな角がついてる、口と、手と、態度が悪い……」 と、両耳のあたりでくるくると指を回して訊ねると、職人は、ああ、と思いついたように応えた。 「マヲさんのところに居ましたよ」 寝不足になるので、雨は嫌いだと私が言うと、てきぱき職人は、これからはきっとよく眠れるから大丈夫ですよ、と爽やかに笑った。そして自分は雨の日が大好きです、と付け足した。 もう一人の職人は、ペンキの上にすっ転んで体じゅうペンキでがちがちになっているのを外で占い師に拭いてもらっていた。日なたのせいか、真っ赤になってぼうっとしているように見えて少し心配になった。 職人の仕事はほとんど屋外なので、天気仕事だ。 晴れれば働くし、雨なら休む。晴れている間は中々時間を割くことができないが、雨ならば会いたい人に会いに行けるから、と職人は少し照れたようにまた笑った。 マヲさんという人は、いつもバス停の側に日傘をさして座りながら、小さな店を開いている花屋だ。正確には花売りであって、店舗は無い。なので、これも一応天気仕事のうちに入るのだろうか。 絶対に私よりは歳若いはずだが、何故か「さん」付けしてしまいたくなるような気品あるたたずまいをして、いつも静かに微笑んでバス停の側に座っていた。 昔、ここよりもう少し西の国で、二人は出会っていたというが、何の約束もせぬままマヲさんはある日突然職人の前から消えてしまったのだという。 気落ちした職人は、やがて失意のまま帝都へ上京し仕事を続けていたが、ある時ひょっこりマヲさんは職人の前に姿を現したのだという。 以前もその時も、晴れた日は仕事がなくても、絶対に会ってくれなかったし、家へは連れて行ってくれなかったし、いつでも日傘を手放す事はなく、職人は、どこか病気がちな人なのだろう、と思い、そんなマヲさんを守ってあげたくなったのだ、と私に嬉しそうに語った。 職人の誘いをはじめは怪訝そうに聞いていたというマヲさんだったが、無理に遠くへ連れて行ったりしないよ、とか、室内で遊べるところへ行こう、とか声をかけるうちに、だんだんと約束をとりつけると雨の日だけは二人きりで会ってくれるようになったそうだ。 「不思議な人ですあの人は」 職人はうっとり遠くを見つめていたが、急にうつむいてぽつりと言った。 「……でも、本当は雨の日じゃなく、晴れた日の方が色んな所へ行けていいのになって思う時もあるんですよね。お互いこういう仕事だから仕方ないんですけど」 ++++++++++ 夕焼けの頃、皆でバス停に行くと、籠をまとめているマヲさんと、マヲさんの犬とじゃれている悪魔がいた。 遠目から見ていると、ふいに悪魔は顔をあげきょろきょろしたかと思うと、私に気づいてむっとした不機嫌そうな顔になった。マヲさんの方は、職人の姿を見つけると、とても優しそうなふわっとした笑顔になった。 「なんだよてめーーーはやくもオレがいなくなって淋しくなったのか!!?」 思わず蹴りつけてやりたくなるような底意地の悪い言い草だっが、どことなくおぼつかない様子で、悪魔は犬をぎゅうぎゅうと抱きしめながら私を上目遣いに見ていた。 それは、私の勝手な思い込みかも知れないが、見ようによっては私に甘えているよう素振りにも見えて、私は少し気分が良くなった。 「そこの占い師さまさまが職人さんたちに頼んで屋根を直してくれたので、かなり良くなったと思うが」 「え!?もう水落ちてこないの?つまんねえ!」 悪魔は悪態をつきながらも私の側へふわふわ擦り寄ってきた。顔はまだふてくされていたが、どうやら私は許されたらしかった。 少し離れた所では、日に焼けたのか、依然顔の赤い役立たず職人が、 「次の御用の時もオレを指名して欲しいっすよ!」 などと言いつつよれよれの名刺の如き紙切れを占い師の手に握らせていて、占い師は、 「職人さんもノルマがあるなんて、大変だねえ」 などと、可愛いぶって微笑み返していた。 私はマヲさんに向かって、 「何日もお家にこいつがお邪魔していたのでは?」 と問いかけた。マヲさんは私ではなく悪魔と目を合わせてくすくす笑うと、 「お邪魔じゃなくって楽しかったからいいんです」 と返した。悪魔もにやにや笑い返していた。それを聞いた職人は、 「え?マヲさんのお家行ったの?いいなあーオレいつも連れてってもらえないんですよ……」 と私に悲しそうなふりをして訴え、マヲさんをちらりと見た。それを見たマヲさんは、初めて少し困ったような顔を見せた。それは、本当に儚げな淋しげな姿で、あわてて職人は、 「嘘、嘘!別にいいんですオレは」 と、マヲさんを抱きしめた。
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