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見るなの月1(番外)
見るなの月1
今宵の月が大き過ぎて、赤過ぎるので居心地が悪いとやって来た黒揚羽が言う。
そんなのをどうにかできるのは所謂魔術師や闇夜の世界に足を突っ込んだ異端者の仕事のように思うのだが、ではお前はそうではないのかと返されると困ってしまう。周りの仲間達からしたらおれは十分に魔術師で異端者に見えるのだろう。
「月から魔力を取り戻せば良いだって?そんな事できるのかな」
さかんに肩の辺りを飛び回る蝶の言い分に首を傾げて記憶をひねり出す。そういえば、タダからそんな方法を習った気もする。
大きな月の日は、その月を下から魔法の火であぶるのだ。すると、確か火にかけた肉から脂が落ちるように余分な魔力が落ちるのだと聞いた。
懺悔室からそっと外の月を窺うと、丸々とした赤い月に思い切り睨み返されたような力を感じて肩を竦める。
そもそもおかしいのは、おれ達の教会は帝都に住む人間達のためのものなのに、人間達に混じっていつからかヒトならざるモノ達までやって来る相談所になってしまっている事だ。
おれがここへ迎えられた頃からそんな風だったから、その事実自体には慣れてしまったのだけれど、様々な得体の知れないモノ達がやって来るのにはそれなりの理由があった。
「月に魔力を吸い取られて貧血を起こすなんて事、本当にあるんだ。確かに今夜の月はおかしいものな」
おれは再び赤くて丸々と熟れた果実のように膨れあがった月を見上げた。見詰めていると段々と肌が粟だち、妖しい吸引力を感じるが、おれはぎゅっと唇を真一文字に結んで抗う。
幼い頃からおれは、ヒトならざるモノ達の言葉が判る。それは魔界の言葉であり、時には人間界の中に紛れ込んでいる不可思議なモノ達の言葉でもある。
おれを貰い子にしたタダは、羊のような角も立派な、悪魔なのだ。ヒトならざるモノ達は皆、この教会にタダが居るのを知っていて、相談事を持って来るのだ。
「良し、じゃあおれが月から魔力を取り戻してやる。そんな方法を習った気がするから」
普段なら懺悔室でおれが話を聞き、タダの好きそうな話なら話を通しに行ってやったりするのだが、今夜のおれはタダに黙って自分の能力を試してみたくなった。
タダに頼めばこんな些細な相談などあっという間だ。見る間に暗い空へ駆け上がり、宇宙船のように浮かんでいる大きな月へ向かって飛んで行くと、食い過ぎた月の魔力を取り戻して来るのだろう。
「お前、付いて来るか」
言うと、小さな闇の使いである魔物は、同意するように羽を揺らめかせた。静かに立ち上がり、屋敷へ足を向ける。
親に黙って不思議な力を使う時、いつもワクワクする。おれは魔術を使うのが得意だったし、好きだった。
まあ、まだまだタダにはかなわないので、いつもバレてしまいこっぴどく叱られるのだけど、おれもそろそろ反抗期なので言う事はなるべくきかないようにしている。
++++++++++
おれはタダに引き取られ育てられたが、タダの子ではない。まあ、タダは見るからに角も尻尾も生えていて悪魔そのものだったし、それはおれには無いものだから、周りの人間達も判っている事らしく、彼らは何も言わなかった。
この帝都という国は、人間の子が悪魔と暮らしていても変にとられないような寛容な国である。
以前はタダはここではなく、ちゃんと悪魔らしく魔界に住んでいたようで、そこでは結構な立場に居たらしい。だから、魔力も他の人間界で見掛けるような魔物よりは断然強く、タダはおれに自分で身を守る方法や、少しだけ自分の希望通りに物事を動かす方法を色々と教えてくれる。
おれはそれがとても楽しく、タダが言うにはおれは「スジが良い」らしい。悪魔直々に教えてくれる魔術を、おれは砂に液体が染み透るようにすっかりと会得していった。
おれはやがてこの教会の神父になるだろう。
それを、タダも望んでいるのだろうから。
「あのマント、勝手に借りて来よ」
おれは思い付いて自然と頬を緩めた。
初めて出会った時のタダが巻いていた蒼いマントは、おれが子供の頃から再三欲しいと言っているものだったが、どういう訳かタダはあれだけはおれに呉れようとしない。
おれがタダが見ている前で魔法を使ったり、教会で大切な儀式を行う時だけ貸してくれるので、恐らくおれがしっかりした神父に、大人の男になったら呉れるのではないかと勝手に解釈している。
教会の裏手から、タダが夕飯を作っているキッチンの外を通り越し、窓から自分の部屋に入る。そこからほふく前進でタダの部屋に入り込んだ。
タダのクローゼットの、一番奥に綺麗な布にくるまれて仕舞ってあるマントをおれは見つけて、そのまま庭に舞い戻った。心臓がどくどくと強く打つ。タダは気付かなかったろうか。練習していた、気配を消すというのをやってみたのだが。
赤い月の光にかざし、ふわりと風になびかせながら背にまとう。
滑らかな柔らかい生地をそっと掌で確かめる。なんとも言えない満たされた気持ち、安心感が身体の奥からじんわりと染み出してくる。
ああ、久しぶり。
おれはうっとりと瞳を閉じて、滑らかな生地を頬に擦り寄せる。温かな人肌のようだ。おれは、これをとても愛していた。
これは、タダの持ち物ではなくて、本当はおれのモノだった筈だ。
とても大事にしていて、それをおれはしばらくタダに預けたのだ。必ず戻るから、取っておいてくれと言ったのだ。タダは忘れてしまったのだろうか?
恋焦がれていた物に再び触れられて、がぜんやる気になる。おれはどうしても、なにがなんでもこのマントが欲しいのだ。一日でも早く魔術を使いこなして一人前になったと、大人の男になったとタダに認められたいのだ。
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