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見るなの月2
見るなの月2
悪魔であるオレが言うのもおかしな話だが、魔術はホドホドに嗜むのが良い。
悪魔や魔界に住む輩ならまだしも、人間が人間界で魔術を使う時、大抵それらはうまくいかない。
特に、悪魔や、魔界に半分位足を突っ込んだ奴に育てられた人間はすくすくといろんな事を吸収してしまい、自分の能力を過信してしまう。善し悪しの自分で決められぬまま、なんでも素直に取り込んでしまう。
哲(てつ)は、スジが良いし、やる気もあるのだが、自信過剰のガキそのものだった。 それは非常に心苦しいがオレのせいでもある。魔術に興味を持たせ過ぎたせいか、人生を自分の思い通りに動かそうとしたがる節があるのだ。半端にスジが良いので始末に終えない。
今も、なにか安請け合いしたのか、黙ってキッチンの外を通り過ぎ、オレの部屋に入って行った。プライバシーも何もあったモノではない。魔術書か、あの大事に仕舞ってあるマントを持っていくに違いない。
「あれは駄目だっていつも言ってんのに、反抗期かねえ」
窓からこっそり背中を見送ると、案の条奴は大きな包みを両手に逃げ去って行く所だった。さて、今度は何をするのだろう。オレは鍋をかき混ぜながら、嬉しいのと疑問がないまぜになった。
あれは神父の物だから、いずれ哲にくれてやるつもりではいるけれど、何故あんなにあのマントが気に入りなのだろう。無意識なのだろうか。哲も背丈があるから、あのマントは良く似合う。
ずっとその姿を見ていたい位、瞬きをすれば涙が溢れてきそうな程だ。
オレは鍋の火を止めると、菜箸を掴んだままこっそり裏庭まで付いて行った。頬を冷たい風がそっとすり抜けていく。裏庭に出ると、どうやら欲張って胃もたれでも起こしていそうな赤い月が見えた。
欲深いのは浅ましいぞ。
オレが心で問い掛けると、月はますます赤く色味を増して反論してみせた。哲はと言えば、自信に瞳を輝かせながらマントを翻し、小振りな杖で魔方陣を地面に描き始めていた。よしよし、魔方陣の描き方は覚えているようだ。
肩口に黒い揚羽がうろうろとさまよって、哲はそれに気をかけてやっているようだった。あれが依頼主か。あれは、誰の悪戯だ?
オレは遠くから様子を窺う。
哲は聡い子供だが、いかんせんまだ年端もいかないガキだし、魔界の奴らは人間を騙す事など朝飯前なのだ。だから哲が魔術を使う時は隠れて見ておいてやらねばならない。 それがバレるとこの頃哲はとても嫌そうな顔をする。
自分の邪魔をするなと言いたげで、傷付けられたような表情になるのだ。親の比護を受けたくない年頃なのかも知れない。
哲は魔方陣を描き終えると、様になる機敏さで印を結び、無事に魔方陣から青い炎を取り出した。青い炎は人間の証。赤い炎は魔物の証だ。勿論、素姓を誤魔化す為に、わざと青い炎を使う魔物もいる。そういった姑息な技を会得しているのはそれなりな魔力の魔物に限られるのだが。
それはめらめらと燃え上がり、細い蜘蛛の糸のようになると赤い月までするすると上がって行く。そして、月をあぶりだした。もし動けたら身をよじって逃げ出したいのだろうが、月は反抗の意を表してあぶられながら赤黒くなった。
恨みつらみの気配を含んだ、身体に纏わりつくような陰気な風が空から舞い降りてくる。細い炎をじわじわと消しにかかっているようだった。
哲は少し不安げに炎の先を見上げている。
こりゃあ哲にはまだ荷が重過ぎるかな。ふいに月が、薄く光る細い腕を胴体からにゅっと差し出して、炎の先を掴みぎゅうぎゅうと引っ張り始めた。魔方陣から炎を引き剥がして、哲に投げ返すつもりなのだ。具合が悪い時に悪戯されて我慢ならなかったのだろう。
剥がされた炎は月の手元に編み物の毛糸のように絡め取られてゆく。哲はどうにかしようと魔術書を必死でめくり始めた。
自分の能力を過信するとこうなってしまうのだという事を、生涯魔術と共に生きていくというなら覚えさせるしかない。闇の世界は恐ろしいものだと、人間はどこかで思っていた方が良い。
オレは僅かに憐憫の気持ちをもってその姿を眺めた。
手に余る悪戯は、泣いて悪魔を呼びなさい。
オレが哲を助けるべく裏庭の畑のこちらから飛び出した時、一瞬早く赤い月が丸く固めた炎を地面めがけて投げてきた。それはまるで宇宙から飛来してきた隕石の如く邪悪で、あのマントを羽織っているから死ぬ事は無いだろうが、ちと遅かった。
オレが振りかぶって菜箸を投げたのと同時に、哲はマントの裏側から右腕を差し出した。
勢い良く放たれた弾丸のため、反動で上体が派手に傾ぐ。
その掌には、哲の唯一といって良いちゃちな武器が握られていて、その武器によって空気を引き裂くように、赤い炎も引き裂かれた。
哲の目前で真っ二つに割れた炎はそのまま上下に直進して地面と、屋敷の屋根にぶち当たった。街外れに屋根がこそげ落ちる音が響く。隕石を打ち砕いた弾丸は次々と放たれ、月の細い腕まで届くと綺麗に吹き飛ばした。
瞬間、月は嫌がるように身体を揺らし、腕は紙がくるくると宙に舞うように地面に落ちてきた。
「哲!何してんだお前はあ!」
「なんだよ!菜箸なんか投げたら危ないだろ!見てたんなら助けろよ……」
「助けて良かった訳?」
見上げると赤くて熟れた果実のようだった月は普段通りの、淡い黄色に戻っている。たった今の暴挙などまるで知らんフリだ。忌々しい。
「今の見た?格好良かっただろ!上達したよな」
「さあ」
哲は得意げにくるくると拳銃をまわしてマントの奥にしまい込んだ。
奴はちゃちな水鉄砲にいつでも聖水を常備しているのだ。
どこから見ても玩具な情けない武器だったが、中身は自分で作った立派な聖水だし、外見の飾りには銀が使われている。そこそこに護身具の役割を果たしているのだ。
哲はもっと格好良い武器が欲しいのにと文句を言うが、今の奴には似合いの武器だし、それなりに使いこなしているようだ。まさか玩具の水鉄砲に、魔物を滅する威力の聖水が入っているとは思うまい。
「見ただろ?魔力を取り戻してやれたんだ!もう一人前だよな?」
「なんだと?あんな弱っちい炎しか出せないなんてだめだめだ」
「なんだってー」
オレがすげなく言うと、哲はぎりぎりと歯がみした。
「それに、このままじゃどうにもならんだろ」
オレは落ちてきた腕を広げてみせた。哲の肩に止まっていた蝶は掌に移ったが、困っているように頼りなげな浮遊を続けている。これは魔力の塊だったが、このままでは黒揚羽には戻せない。
さあ、どうするのかな?
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