見るなの月3

1/1
前へ
/47ページ
次へ

見るなの月3

見るなの月3 「物体では無理だから砕いてやるんだ。魔力の粉にして、それでも駄目なら溶かしてやって、皿に移して飲ませてやれば良い」 おれが魔術書を手に言うと、タダは意地悪そうな顔をして肯首した。正解らしい。 晩飯後にダイニングの机にまじないの道具を並べ、欲深な月の腕をまな板の上に伸ばした。蕎麦打ち棒でこねこねと伸ばし、適度な大きさにぶった切る。次にすり鉢に入れてすり棒でごりごりと細かくしていく。 腕はおれが力をかけるたびに泣き砂のように、または鶯張りの廊下のようにきゅっきゅと軽快に泣いた。断末魔の悲鳴か呪いのつもりか判らないが、聞いているうちに気持ちがげんなりしてくる。 ソファに寝そべっているタダを盗み見ると、黒揚羽の羽を両手でつまんで顔の高さまで持ち上げ、今にも口を開けて食べてしまいそうだったのでおれは急いで仕事を続けた。魔力を食らい過ぎた月を「意地汚い」と罵っていたタダだったが、人の事は言えまい。 「おい、タダ、食うなよ!さっき晩飯食ったばかりだろ」 「こんなの食わねえよ」 タダが手を離すと、揚羽は助かったとばかりに羽を懸命に動かしたが、だからといって逃げる風でもなく今度はタダの鼻の頭に羽を休めた。 タダはより目がちにその姿をきょんと見詰めて、両手を組んで腹の辺りに置くと瞳を閉じた。晩飯を食べたら眠くなったのだろう。タダは悪魔のくせにあまり夜更かしはしないのだ。 おれは黙っていればタダは美しいのに、とぼんやり思った後、すり鉢に視線を落とした。 今でも時々、施設で初めてタダに出会った時のことを思い出す。 おれは小さな身なし子で、自分一人だけの部屋や持ち物が何故無いのだろうと不満に思いながらも、それでも雨露をしのげる施設に居られるのはまだ幸せな方なのだろうと日々を暮らしていた。 その夜のタダは、汚い手で触れれば怒られそうな高価なビロウドのマントを纏い、今夜のような不可思議な月の輝きを背に、静かに施設の屋根に降り立ったのだ。 おれは窓の向こうの滲んだ景色としてそれを頭の芯がぼうっとしたまま眺めた。綺麗なモノだと思う気持ちと同時に、とても恐ろしいモノがやって来た、と震えた。 みんな眠りについていて他には誰もいない、小さな庭の向こう側だから、距離はあった筈だったが、タダはふっとおれを見詰めて、赤い唇をくうっとあげて微笑んだのだ。おれが判ったのだ。 おれは月夜に照らされる庭に一人駆けて行く。 違和感を感じるのに、肩で跳ねる柔らかそうな茶色の髪や意志の強そうな大きなアーモンド型の瞳を見詰めると、胸がどきどきとして、それがとてもいけない事のように思えて恥ずかしくなった。悪魔なんて初めて見るのに、昔どこかで会った事があるように感じた。 おれは初めて出会った時からタダが悪魔だと判っていたけれど、別に悪魔だと判ったからと言って貰われていく事に抵抗は無かった。それが何故か、もう随分昔から決まっていた出来事のように思えたからだ。 それに人間でないのを大目にみれば、タダはおれに自分の部屋や本などをたくさん与えてくれたし、さばさばとした性格で愉快なことが大好きで一緒に居て飽きる事はなかった。少々お節介なのが煩わしく、悪魔なのに面倒見が良いというのはどうなのだと思うが、タダは確かに見掛けよりはいい奴なのだ。 今度も自分のものになるかは判らない身なし子を、魂が同じだからというだけで育てようと思うのだから。 ++++++++++ すり鉢の底に溜まった砂を見せてみても依然黒揚羽は困ったようにしていた。 「溶かすしかないか……何で溶かせばいいんだ?」 おれは懐に入っている水鉄砲に触れる。聖水?でも魔力を溶かすのだから聖水ではまずいのか。 「なあ、タダ」 タダを見ると、ソファですやすやと寝ていた。 「寝ちゃったのかよ……」 だいぶ涼しくなったというのに、肩の出たような薄手の服ばかり好むからなんとも寒そうだ。おれはいまだ自分で纏っていたマントを外してかけてやろうかと考える。 ソファに寄って行って、丸みを帯びた肩を掌でくるんで暖めてやりたい。そして明るい色の長い髪を梳いてやりたいのだ。 おれはタダの子ではないし、おれ達は親子ではないけれど、タダを愛しているのだと伝えてみたかった。タダは何と言うだろう。馬鹿ばかしい、と一笑に付すだろうか。 初めて会った時から、タダに惹かれた。 とにかく早く大人になりたかった。 認めて欲しい。 触れられもせず、ソファに眠るタダを見詰める距離が、今のおれ達の距離そのもののように感じる。 そんなおれのやましい心理を嘲笑うように、タダの側から離れた黒揚羽はふらふらと上下しながらおれの目の前へ近付いて来た。黒い点がちかちかと舞う。気持ちが悪い。 「お前、本当は何者だ?どこから来た」 黒い揚羽は誰の使いだ。 おれは魔術書の記憶を掘り返してみたが、自分には判らなかった。あるいはタダはこれが誰かからの差し金か判っていて、その誰かがタダの拾った子供を試そうとしたのに気付いたのかも知れない。 全部タダは判っているのだ。おれの気持ちも知っていて、知らないフリをしているのかもしれない。いきがっておれが少しばかり良い所を見せても、多少魔術が使えても、ずっと大人だと見なしてはくれないのだろう。 このマントもタダが大切にしているモノだから貰えない。 いつまでもおれは貰われ子で、何も貰えない。 自分一人では何もどうにも出来ないもどかしさと、ケリのつかない感情に悔し涙がこみあげてきた。何故あんな悪魔のために泣かなくてはならないのか。涙が出る程想いが強いのかと、自分に驚いた。 俯くとそれがぱたぱたとすり鉢の中に落ちた。見ていると、魔力の砂はその涙に見る間に溶けていき、黒揚羽はすり鉢の底に浮遊してきてしばらくおれの表情を窺った。 「……なんだよ。見るなよ、どうせ魔界の誰かだろ」 おれは気まずくて苛々とし視線を逸らした。タダの義兄弟や仲間は魔界とか人間界に色々散らばっていて、会った事があるのも居るし、無いのも居る。そのうちの誰かが黒揚羽の瞳からおれを見ているかも知れない。 おれはタダに似てお節介な、自分にとっても義理の家族である面々を思い浮かべた。 「……平気だよ。助けてもらわなくたって、いつかタダに認めてもらうから。魔術の腕を上げて、真っ当な神父になるよ」 おれはわざと吐き捨てるように言う。それは初めて明かした自分の決意で、自分に対しての呪いの言葉だ。 おれは神父になるだろう。 どんな現実も乗り越えよう、タダが貰えるというのならば。 揚羽は細長い舌を伸ばすと溶けた魔力をしばらく舐めて、やって来た時と同じように窓からふわりと出て行ってしまった。おれはその帰り道をそっと見送り、窓を閉める。 言った後で、真っ当な神父は魔術の腕はともかく、悪魔の親や親類や、恋人は持たないのではないだろうかと思いおかしくなった。 でも反抗期なので、そんなのどうでもいいやと思い返す事にする。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!

103人が本棚に入れています
本棚に追加