悪魔の花嫁5

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悪魔の花嫁5

悪魔の花嫁5 この街から、マヲさんがいなくなったと知ったのは、それから数日のちの事だった。 職人は、バス停へ行ってもマヲさんと会えなくなっている事に気づき、雨の日にも連絡がとれなくなっている事に気づき、そういえばマヲさんの家を知らない事に気がついて、やっと慌てふためいて八方手を尽くしマヲさんを探し始めたが、その頃にはマヲさんの行方は全くつかめなくなってしまっていたのだという。 彼は困り果てて私の所にやって来てそう言った。というより悪魔にそう言った。 「マヲさんのお家へ連れて行ってください」 悪魔は、水の落ちてこなくなった屋根をつまらなそうに眺めたり、外にたなびいている洗濯物に眼を向けたりして職人の言葉を聞いていないような素振りをしていた。 「病気をして寝ているのかもしれない。お家を教えてください」 「オレがいつ、あいつんちに行った、って言ったんだよ」 ふいに職人を見たかと思うと、悪魔はそう言った。 「オレはあいつとずっと遊んでたけど、あいつんちに泊まったなんてゆってねえだろ」 私は洗濯物が風に飛ばされていったのを見たので、悪魔がなにかしやしないか気になったが、そのまま外へ出て行った。 私が戻ったときにもまだ、二人の問答は続いていたが、その時には、職人は何か怖ろしいものを見るような目つきで悪魔を眺めていて、悪魔はそんな職人を憐れむ風の、しかし口の端ではやはり笑いながら話を続けていた。 「可哀想になあ。お前が家のことなんか持ち出さなきゃあ、あいつだってお前から離れたりしなかったのによ。家なんかどこだっていいじゃん。西の国で同じ事で失敗したんじゃねーんかよ。懲りないねえ」 職人は俯いて、じっと何事か考えているように見えた。あるいは茫然自失でうなだれているのかも知れない。 「人間てホント馬鹿だよな。覗くなって言われたら覗いちゃ駄目。後ろを見るなと言われたら見ちゃ駄目。 教えてくれないことは聞いちゃ駄目なの。判る?」 「………判らないですよ」 職人はうなだれたまま、ゆっくり歩き出すと、玄関の戸を開けた。 「人間てのは欲張りなんですよ。……オレはマヲさんが何者でも良かったんです。気にしなかったのに。一緒に居たかっただけなのに。でも、また繰り返してしまったんですね」 ++++++++++ また晴れ間がやって来て、私は洗濯物を干した。 悪魔はマヲさんのところに居た犬をこの家へ連れてきて、飼って!と私にお願いし、私が嫌だ、と答えたにもかかわらず一緒に暮らしていた。 それは、私が悪魔を呼び出した時に利用した犬ととてもよく似ていて、奴は私に対して敵意をむき出しにして吠えるのだった。 「夜は会えなくて、晴れた日は会えなくて、側にある花が何日も枯れないんだ。そういえば普通判るよなー」 と、悪魔は私に言ったが、私にはよく判らなかった。私が首を傾げると、悪魔は駄目だこいつは、とでもいうように首を左右に振った。 簡単に言えば、マヲさんは花の精だったとでもいう事だろうか? しかし何故それをひた隠しにしたかったのかは、私には謎だった。職人にどうしても明かす事はできなかったのだろうか?きっと、マヲさんが何者であっても、職人がマヲさんを嫌いになる事などなかったろうに。 しかし、私には本当にマヲさんの事を理解することはできなかったろうとも思う。私は人間だから。 けれど、悪魔とは理解し得たのかもしれなかった。こいつは何も話さないけれども。 「人間と、そうでないものは共に暮らすことができないものなのか?」 私が問いかけると、悪魔はきょんとして私を見返し、 「さあ?あうあわないじゃないの?人間を餌にする奴ら以外なら」 と言った。私たちは、あうかあわないか、悪魔はどう思っているのだろう??マヲさんとどんな話をしたのだろう?しかし、教えてくれない事を聞いてはいけないのだと悪魔は言っていた。 隣の垣根越しに、占い師が家庭菜園に向かってよく判らない異国の唄を歌っていて、それにあわせて信じられない事に、さやえんどうのつるが、つるつると成長していた。 人間にも色々いる。人間以外にも色々。 ここはそういう街なのだった。 +++++++++ 私の仕事は一応神父だ。自分の職業を忘れかけた頃にいつも迷える人間達が私の懺悔室にやって来る。本日やって来たのは先日の役立たず職人だった。 「お話の前に、何かお困りの事はないっすか?神様に無料奉仕っすよ!!」 と、職人はにかっと笑った。私は彼の腕を全く信用していなかったが、無料という一言に胸を鷲掴みにされ、思わずにっこり笑い返してしまっていた。 教会の裏の私の家は、それでも少しづつ住み易くなってきていて、浴室は悪魔のおかげで、屋根や外観はてきぱき職人のおかげで、以前よりはかなりましな状態になっていた。しかし、床が所々剥がれてきていたので、私は彼にその事を頼んだ。 予想通りに、彼はわざとなのかその床を踏み抜いてみたり、金槌で自分の指を打って叫んだりしていた。 悪魔は、この職人がいたく気に入った様子で、けなしたり、笑い飛ばしたりしながら、彼にまつわりついて離れようとしなかった。職人はそんな悪魔に、お愛想な笑顔を向けたりしていたが、どこか落ち着かない様子で窓の外にしきりに目をやった。 私は、なんとなく、この職人が本当は何しにやってきたのか気がついた。私の家なら、垣根越しに占い師の家が見えるのだ。 彼は、あの不審極まりない占い師に恋をしているらしかった。 占い師が、以前どこで暮らしていたかとか、何故ここへやって来たのかなど、思えば私は何も知らなかった。 私が知っているのは、料理がうまいのと、金持ちらしいのと、時々やって来る、恋人らしい年配の学者がいる事と、お子様並みの精神年齢である天才絵描きがルームメイトらしい、という事くらいであった。 占い師は素性が謎だが、絵描きは言動が謎なので、奴に聞いてもきっとまともな答えは返ってこないであろう、と私が進言すると、職人は少ししんみりした顔をして、 「マヲさんの話を聞いたっす」 と言った。マヲさんとは、彼の仲間が長いこと思いを寄せていた花売りであったが、どうやら人外の者であったらしく、この街からある日突然姿を消してしまったのだった。 マヲさんは、占い師や絵描きなどよりよっぽど、優しく、つつましく、穏やかな人間らしさを持っていたが、何か、やはり人間ではない引け目を感じていたのかも知れなかった。 しかし、マヲさんの事を知りたがった職人が悪かった訳でもなかった。私も少し、淋しい気分になった。 「オレも好きな人の事が知りたいっすよ。でもそれでも、聞いたら嫌われちゃう事もあるんすかね」 ふいに外を見ると、垣根の向こうから占い師がこっちを見ていた。 そして、中に職人がいる事が判ると、ぶんぶん手を振った。職人は、その姿に、今までの会話をすっかり忘れたのか、仕事をやりっ放して外に飛び出して行った。 私はついに、あの占い師には恋人が居る、と言えずじまいだった。 悪魔は、職人について行って、しばらく二人の邪魔をしていたが、占い師に何か水のようなものをぶっかけられて犬のように転げまわっていた。 仕方ないので、放り出された金槌で私が床を打ち始めると、教会の方から誰かが駆け込んできた。見ると、先日のてきぱき職人で、彼は紙切れを捧げ持ち、私に差し出してこう言った。職人は、少しみっともないくらいに泣き崩れていた。 「マヲさんが!手紙をくれたんです!」 手紙には、西の桜の国まで行って、晴れた日でも日傘なしで歩けるように、日が暮れても倒れないように丈夫にしてもらえるように、お願いするために旅に出ました、とあった。 順番待ちなので時間がかかりますが、待っていていただけますか、とも。 私は金槌を放り出し、二人で喜びを分かち合った。職人は鼻をこすりながら、しきりに、神父様のおかげです、と言っていたが、何かしたのは私ではなくおそらく悪魔の方であろうと思った。がしかし、黙って私は微笑んでおいた。 隣の占い師の家からは、役立たず職人がドタバタとひき返してきて、私の姿を見つけると、 「あっ、し、神父様、あの方はあの方は隣の黛藍(たいらん)国の次代様だったんだそうですよ!!内緒だけどオレにだけは、ってゆって教えてくれたっすよーー!!感激っすよ!!」 と言って体当たりしてきた。 「オレにだけ内緒」という話をすぐに私に筒抜けにするのもどうかと思うが、どうして一国の王が私の教会の隣に住んでるなどというほらを安易に信じるのか、と私は眩暈がした。 しかし、職人二人はまさにこの世の春が訪れたような幸せそうな姿で小躍りしていたので、私はとりあえず安心して、倒れてうなっている悪魔の所へ向かった。 悪魔はよろよろと起き上がり、顔をしかめながらぼろぼろに溶けている羽をさすっていた。水にかかった所が痛々しく紫色に変色していて、私は驚いてかがみ込んだ。 「痛いのか?」 「いてーよ。触るな」 悪魔に手を払われ、私は所在無げにその手を引っ込め、おろおろして悪魔を眺めていた。 「危ねえっつの!あいつ、絶対人間じゃねーぞ。魔物だね」 占い師が投げつけたものは、どうやら聖水のようだった。
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