103人が本棚に入れています
本棚に追加
悪魔の花嫁6
悪魔の花嫁6
聖水をかぶって、所々紫色に変色した悪魔だったが、痛い痛いと言いつつ、案外けろりとしていた。
しかし、羽がぼろぼろに溶けたのを引き千切ってしまい、飛ぶ事ができなくなっていたので、だるそうに私のベッドに転がっている事が多くなった。
長年、移動するのに羽に頼っていたのだろう、悪魔は歩く走るが苦手なのだった。私は、医者に看てもらおう、と悪魔に声をかけたが、悪魔は嫌そうに首を振った。
「じっとしてりゃそのうち治んだからいーよ。それにタダじゃねんだろ」
「悪い事しちゃったねえ」
占い師は、何やら見舞いの菓子など山のように日々持ってきて謝ったが、元は確かに悪魔が悪かったのだから仕方ない、と私は言った。
聞いた所、やはりあれは高価な聖水で、私のわずかな蓄えをはたいて作れる解毒剤などでは治りが遅いのは確実であった。
とんでもない金持ちは、やはり敵に回すべきではないのだ。悪魔は、
「こらあ!小者悪魔だったらあんなのひっかぶったら消滅してるとこだぞ!!」
と言いながら見舞いの菓子を食べていた。奴は、魔力が消えているのか、自力で林檎も出せなかった。
私は考えた末、やはり医者に来てもらおうと思った。しかし、近所の下宿長屋に住んでいる、医学生の身の若者に頼んだのだった。医学生は、
「オレは学生であって、医者ではないんですが」
とは言ったが、それでも分厚い医学書をたくさん抱えつつ教会までついてきてくれた。
「これは何ですか?」
「角です」
私の言葉に、学生は一声うなると黙り込んでしまった。そして、
「オレは獣医でもないんですが」
と私を見上げて言った。悪魔は学生の持ってきた聴診器に興味を引かれたらしく、ちょこちょこ彼の邪魔をした。
「人外の者に関しては、神父様の方が詳しいのではありませんか?」
学生は医学書をめくりつつ言った。その通りで、私も色々調べてみたが、悪魔を退治する方法は山のように見つかっても、悪魔を助ける方法を見つけることはできなかったのだ。
「先生ならきっと判ると思うんですけど。悪魔学の研究もしてる方なんで」
先生とは、とにかく怪しいものを何より好み、研究のために暇さえあれば国中を旅している人物だという。
家には悪魔が召喚されているのだ、とか、不老不死の薬を発明しようとしているのだ、とか病院内では、さまざまな噂が飛び交っているという。
しかし、医者としての腕は確かなのだと学生は言った。
「だから、ちょっと怪しいひとなんですけど、あの人の講義を取ってるんですけど……よく休講になるんで授業が進まないんですよね」
その上、もうしばらくすると彼は、隣国の大病院に異動になるらしいのだという。その前に、私の話を通しておけば、絶対薬を作ってくれますよ、と学生は自信ありげに言って帰っていった。
「これだけ元気なら、死にはしないでしょうしね」
++++++++++
数日のち約束通り学生が、先生が薬を下さるそうです、と言うので、私は大学病院まで赴いた。
悪魔は、自分も行きたい、と着替えまでして待っていたが、私は奴が犬に首輪を付けている隙に裏口から飛び出した。帰った時、どんな仕打ちが待っているのか、と思うとぞっとしたが、まだら色のままの肌の悪魔を病院に連れて行き、とっつかまって実験体にされたりするよりかはましな気がした。
マニア医師と名高いその若い医師は、学生の言葉から想像されたような陰気で、偏執狂的な感など微塵もない、一見爽やかでしっかりした青年に見えた。私が挨拶をすると、うきうきと私の後ろの方を見つめて、
「今日はその悪魔さんは?」
と問いかけた。あなたに会わせるのが怖ろしいので連れて来ませんでした、とは言えずにここへは来られないくらい具合が悪そうなのです、と返すと、医師は本当にがっくりしたような顔をして、
「そうですか……今日はおろしたての白衣でお待ちしていたのに、とても残念です」
と言って薄く笑った。そして、「もしでしたら、私が出向いて悪魔さんの診察を」などと言い出すので、私はあわてて、
「とても気位の高い年寄りなものですから、きっと気分を害されますから、おやめになった方が」
と、言いとどめた。医師の後ろで、学生がまた始まったよ、とでも言いたげな呆れた顔をしていた。
医師は、「試した事がないので、実際に悪魔さんに効くかどうかは判りませんが」と言いつつ私に薬を手渡してくれ、その後も色々と悪魔について訊ねてきた。
彼は私の話す悪魔の話を身を乗り出して聞き、大袈裟に「へえー」とか、「うわあ」とか驚いてみたり、ふんふんと一人納得したように頷いたりした。マニアとはこういうものなのかも知れない。
話が一段落したので私が黙ると、医師はほう、と満足げに溜め息つき、
「いやあ、それにしても神父様の才能はすばらしいですね」
と、尊敬したようなまなざしで言った。私が不思議そうに見ると彼は、
「私も何度かやってみましたが、悪魔召喚はできませんでした。まだまだ修行が足りません。もし、召喚できたら、好きな食べ物をたくさんあげて、綺麗な服を着せて、大事にしてあげるのに」
と、羨ましげに私を見つめた。 もしかして、この医師の所に行った方が悪魔はいい暮らしができるのかも知れない、と私は一瞬思った。……しかし、私は何も言わず、困ったように笑っておくだけにした。
医師も、それ以上は何も言わなかった。
「私の所にも、不思議な子がいるんですよ。この子は人間ですがね」
医師は、自分の診察はいいのか、私を連れて入院病棟へとやって来た。
頂いた薬を早く悪魔にあげたいのですが、という私をまあまあせっかくですから、と無理矢理引きずってきたのだった。マニアというのはえてして人の話を聞かないものだ。
+++++++++++
「元気かな?」
扉を開け、医師がそういうと、中に居た少年が振り返り、急に怒り始めた。
「先生聞いたよ!大病院に行っちゃうって本当!!?オレを置いて行くの!?ひどいよ!」
いきなり騒ぎ始めた少年に私が面食らっていると、医師は困ったように少年に近づき声をかけた。
「違うよ、置いていくんじゃなくって、また絶対戻ってくるよ。君の足が何故治らないのかを調べに行くんだ。今度こそ絶対治してやれるよ」
「いいよ!足なんか治らなくても先生が側に居てくれれば」
「あきらめちゃ駄目だ。治るはずのものなんだから。ただの骨折なんだから」
そして少年は私を見ると、
「悪霊や悪魔の仕業でもないよ!オレ祈祷なんか受けないからね!」
と敵意たっぷりの口調で言い放った。その言葉に医師は笑い、
「違うよ。この人は私の友達で、君のお見舞いに来てくれたんだよ」
と返した。
一体いつ私達は友人になったのだろう、と思ったが、ここでもまた私は黙って微笑みかけた。が、少年はあっさりと私を無視し、医師にすがるような目を向けた。
「オレの足が治っても、治らなくても結局先生は一緒に居てくれなくなるんでしょう?会いに来てくれなくなるんでしょう?判ってるんだよ……」
「だから違うんだってば。君の足を治してやりたいんだよ。治ったら一緒にいろんな所へ行けるじゃないか。退院してしまっても、会いたいと思ってくれるんだったら、会いに行くよ」
「嘘だよ。お医者さんだもの。忙しくて会いになんか来てくれなくなるよ。研究する事がたくさんあるんでしょう?オレの事なんかすぐ忘れちゃうよ」
少年は泣き出した。
私はぎょっとしたが、医師達にはよくある出来事なのか、医師はしばらく少年をあの手この手であやしていたが、効果が見られないと思ったのか、私を待たせているのを気にしたのか、優しく「また来るよ」と少年に囁くと、私を連れて部屋を出た。
後をまかされた学生も疲れた表情をしていたが、どことなく、いつもの事だし、というような悟りが感じられた。私は部屋を出る際、ちらりと少年を見た。
可哀想だったが、悲しいことに少年の言った事は当たっているような気がした。医師にとって、少年はたくさんの患者のなかの一人でしかないのだろうと言う言葉は。
最初のコメントを投稿しよう!