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悪魔の花嫁8
悪魔の花嫁8
海のある土地にやって来た。
私は今、悪魔と犬と、帝都を離れ小旅行に来ていた。マニア医師の腕が確かだ、という話は本当だったようで、まだらだった悪魔の肌は、薬を塗り始めて数日もすると、綺麗に元通りになった。
私は、見た目ではすっかり人間と変わらなくなってしまった悪魔に、湯治も兼ねて旅行に連れて行ってやろうか、と提案した所、悪魔は飛び上がって喜んだ。
「そんなにいっぱいなのか、十五億って!?儲けたな!!オレの角にそんなに価値があったとはね!!これで判ったろう悪魔の凄さが!敬えよ!」
十五億。
ある日突然これ程の大金が転がり込んでしまうと、かえって何に使えば良いのか判らなくなってしまうものだ。とりあえず、金があったらしてみたかった、教会と裏手の自分の家の改修と、ユキや、占い師たちに、今まで世話になった分の少しばかりのお返しを無事果たしても、まだ金は有り余るほど残っていた。
しかし、このまま見つめていると、気でも狂って燃やしてしまいそうだったので、そのほとんどを銀行に口座を作って(私は口座を持っていなかった)そこに放り込んでしまった。
私はあまりに動揺したせいか、以前はあんなに豊かな暮らしを夢見ていたのに、自分はまだその日食べるものにも困るような貧乏神父なのだ、と思い込むことにした。
「なあ、これからはお前の料理を毎日食べるのか?ユキのパンの方がうまいぞ。もらいに行こうぜ」
しかし、夕食時に、気位がフジノヤマより高いはずの悪魔からこの言葉を聞いた時、私は愕然とした。最初のうちは、ありとあらゆる所に憎々しいまでに文句を言って、私を怒らせていたのに、知らぬ間に、貧乏がそんなに染み付いていたなんて……。
そして、途端に私はこの悪魔が不憫に思えてきて、何か楽しい事の一つでもしてやりたいような気になった。
呼ばれて出てきたこいつが悪い、というのはあったが、よりによってこんな神父に契約され、貧乏生活を強いられ、尻尾と羽と角を奪われ、魔力を失くして……相当辛い生活なのではあるまいか。
だったら、契約を破棄してやれば、とも思うが、それはそれでまた別の問題だった。悪魔は、しかし、私の問いかけに悲壮さのかけらもない笑顔で乗ってきたのだった。
++++++++++
誰に聞いたのか、悪魔は最初「ねずみーらんど」という遊園地に行きたいと言ったのだったが、犬は入れませんと言われ、怒り狂ってその近くの公園へやって来たのだった。
悪魔はしばらく、オレに力があったらあいつら皆殺しだ、などと物騒な文句をたれていたが、そのうち機嫌を治して犬と遊び始めた。
思えば、長い事旅行などしていなかったので、私も少し高揚した良い気分になって、つい荷物から目を離して海を眺めたりしてしまった。やがて、悪魔が犬を連れて戻ってきて私に声をかけた。
「こいつ腹減ったみたい」
荷物の中に、犬用の食べ物を持ってきていたので、私は後ろを振り返ったが、そこにあるはずの荷物が全部無い。
私は、さっきまでの気分はどこへやら、青ざめ固まり、悪魔はそんな私を呆れたように見つめた。すると、少し離れた芝生の方から叫び声があがった。私達は共に振り返り、その声の方へ向かって行った。
遠目に見たところ、つんつんした頭の少年が、私の荷物らしき大きな鞄を覗いて、何か声をあげたようだった。その側には、栗毛の少年が、これまた大声で何ごとか叫んでいた。二人は鞄を取り合いしているように見受けられた。私は何か、驚くようなものを鞄に入れていたろうか?
とにかく、全速力で私はその場に近づいた。遥か後ろで悪魔が、置いていくな、と叫んでいた。奴はまだ、走るのが下手だったが、悪いが今はそんな場合ではない。
二人が、私に気づき、共にこちらを見た。
よく見ると、何故つんつん頭の少年が、私の鞄を開けて驚いたのかが判った。上空に、不自然に浮いている彼の背には、どこかで見たような黒光りのする羽と、細長い尻尾があった。
この少年も悪魔なのだろうか……。しかし、角はとても小さく、私の悪魔にあったようなくるりと巻いた形のものでは無かった。彼は、鞄に入れておいた神父バッジやら聖書やらに驚いたのだろう。
もう一方の少年は、おとなしそうな顔立ちで、また背中に羽があったが、こちらは小さな白い羽がふわふわと何重にも重なっている可愛らしいものだった。服装も白い小奇麗な姿をしていて……もしかして、こちらは子供天使だろうか。
「まったくいつも馬鹿な事ばかりして!この人に鞄を返すんだ!」
天使は、上空で鞄を覗いている少年悪魔に叫んだ。この悪魔は聖書などに触れられないのか、鞄を逆さに振ってそれらをぶちまけると、中に残ったものをかき回していたが、
「何だよ、食い物があるかと思ったら犬用かよ!しかも神父の鞄だって!大ハズレじゃん!」
と、鞄を地面に投げ捨てた。
私は、ああ、とっても悪魔らしい所業だ、と慣れきっていたが、それを見た天使はすぐさまその鞄を拾ってくれ、すみません、と何度も頭を下げた。
「神父様でしたか。いつでも聖書をお持ちだなんて殊勝な心がけでしたね。あいつは、力は強くないのですがうるさい悪戯をして困るのです。どうかあいつを懲らしめてください!」
天使は突然私に抱きつき、すがるような目つきで見た。しかし、私は旅行中なので、悪魔退治の道具など何一つ持ってきてはいなかった。
その上、聖書を持っていたのは、今まで読んでいなかったものをこの機会に流し読みしようかな、と思って持ってきていただけであって、特別な力を持つ書物になる程読みこなしてはいないのであった。
それを私は口にする事ができずに、天使にうろたえたような笑顔を向けていると、上空の少年悪魔がじろりと私を睨んだ。
「何かできるならしてみろ!神父なんて邪魔だ、死んじゃえ!」
そして、掌を私に向けてかざした。私はその仕草に見覚えがあった。
あの時、まだ羽と角のあった悪魔が、同じ仕草をして、パン屋の窓硝子を全てぶち破った……。
私はとっさに天使を思い切り突き飛ばした。脳裏に、あのパン屋の粉々になった硝子が思い浮かんだ。
瞬間、何かが横っ飛びに飛んできて、私の体も吹き飛んで地面に打ち付けられた。
それが、少年悪魔の不思議な力なのだと思ったが、そうではなかった。
起き上がってみると、私の悪魔が、さっきまで私達の居た所に転がっていた。右腕を押さえて苦しそうに上空を睨みつけている。押さえた指の間から、ドロドロと血が溢れかえっていて、その場にはみるみる血溜まりができあがっていった。
私と天使は呆然とその様を見ていたが、はっと我に返ると天使は悪魔に駆け寄っていった。側で犬がうるさく吠えている。
いきなり飛び込んできた新しい顔を、上空から訝しげに見下ろしていた少年悪魔だったが、
「こらあ!てめえどこの奴だ!こんなちっぽけな力で偉そうにのさばってんなよな!!」
悪魔に怒鳴られて、じっと奴を見ていたが、はた、と何ごとか気づいた様子でみるみる青ざめ、
「あ、あんた、何で人間のふりして神父とつるんでんですか!?詐欺ですよ!?」
と、異様な驚きを見せ、その様を不審そうに見上げている天使に、
「俺は絶対更生なんかしないからな!そんな神父なんか殺してやる!覚えてろよ!!」
と、捨て台詞を残すと海の向こうへ飛びすさってしまった。
天使はしかし、それ所ではないらしく、ぼろぼろと涙を流しながら悪魔を抱え込み、おろおろしつつ、
「オレのためにすみません……!!」
としきりに口にした。治癒魔法でも使っているのか、ぱっくり裂けた悪魔の右腕に小さな光をかざしていたが、すぐに元通りになるものではないらしい。
私は立ち上がり、埃を払いながら距離を置いて悪魔に声をかけた。
「痛いか?大丈夫か?」
「痛てーよ。大丈夫だ」
悪魔は、少しだけ苦痛に顔をしかめながらひらひらと左手を振ると、そのまま天使に体を預けて目を閉じてしまった。
天使は、奴が死んだとでも思ったか、きゃあきゃあと泣き叫んだり、私を、もう少し心配してあげたらどうなんですか、人でなし、などと罵った。
「いいんですよ、そいつも悪魔ですから」
と言うと、天使は瞬間ぎょっとした風を見せたが、それでもそのまま悪魔を抱えて治療を続けていた。
私は何だか、自分の役を取られてしまったようで、少しだけつまらない気分で、散らばった荷物を拾い集めていた。
悪魔の血も赤いのか、などと考えながら。
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