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悪魔の花嫁9
悪魔の花嫁9
「ねずみーらんど」どころの騒ぎではなくなってしまった。
悪魔の腕がぱっくり裂けてしまった日、私と天使は悪魔の血が止まるまでおろおろと待ち、即座に予約しておいた宿に運び込むと連日思いつく限りのあらゆる治癒魔法を施した。
++++++++++
それから数日経った。
かろうじて骨があるから繋がっているような酷い状態の傷で、私は、医者に看て貰おうか、と訊ねたが悪魔はあれだけ失血したにも関わらず、
「こうやって縛っとけばそのうちくっつくからいんだよ。魔力がないから油断したぜ。せっかく遊びに来たのに、これじゃまったく湯治だな」
と、けろりとして包帯でぎゅうぎゅうと腕を締め付けていた。
「それにしても悪魔なんかに目ぇつけられちゃって……序列は低かろうと、何も持ってない神父なんかどうにでも殺せるぞ」
欲しいと言うから買って来た瓶詰めのジャムをパンに塗りたくって私は悪魔に差し出した。悪魔は、少し眉を寄せてそのパンを見つめていたが、ちろりと私を見ると左手でそれを受け取り黙って食べ始めた。
私は、今何故睨まれたのだろう、と少し思ったがしばらくその様を眺め、ぎこちなく数日前の礼を言った。
「?」
パンをかじりながら首を傾げる悪魔に、
「オレだったら、死んでたと思うし」
と答えると、ああ、と思い当たった顔をし、
「当たり前だ。せいぜい感謝しろよ!」
と悪魔は返した。おそらく人間だったら、失血死か、あるいは義手に……。
少なくとも数日後にけろりとしてパンをかじっている事はできなかろう。私は素直に頷いた。
それが面白かったのか、悪魔は妖しげな瞳で私を覗き込んで薄く笑った。何故か判らないが、少しだけ息が苦しくなったように感じて、私は悪魔から目を逸らしてしまった。
「あ!神父様駄目じゃないですか!怪我人なんですから食べさせてあげないと!もういいですオレやりますからっ」
ぱしーんと宿の襖を開けて天使が入ってきた。
私が慌てて悪魔から離れると、悪魔はややつまらなそうな顔をした。子供天使は、悪魔が寝ている間に犬の散歩に行ってくれていたのだった。そして、ぱたぱたとこちらに寄ってきて、さりげなく私を押し退け悪魔の手からパンを奪うと、千切って手ずから悪魔に与え始めた。
私はそんな二人を前に、なんとなく所在無く思い、のろのろと窓際に這っていき、見るとも無く外を見た。
………そう、この天使はあれから、こともあろうに悪魔に心惹かれたらしく、治療や食事の世話など一切を引き受けてかいがいしく悪魔の看病をしているのだった。
一生懸命治癒魔法を使ったり、時々頬を染めて悪魔と何やら話をしているのを眺めていると、成程愛らしいと思うし、悪魔もそれなり凛々しい姿形であったから、二人は互いにお似合いのような気がした。
実際、悪魔もここ数日は天使にばかり色々な用をまかせ、私には見せた事も無い、毒気の無い美しい笑顔を向けたりしていた。
二人は、別に私や犬を無視する訳ではなく、一緒に卓を囲んだりしているのだが、この頃は、二人が軽やかな笑い声をあげるのを聞くたび、胃の浮くような妙な気持ちになり、私は何か言い訳をこねて外に出てきてしまうのだった。
私は今もそうしようと思い、そっと立ち上がると二人の後ろを通って扉へ向かおうとした。すると、悪魔の左腕が私の左足首を引っ掴んだ。私は前のめりにつんのめりかけたが、かろうじてとどまり、何のつもりだ、という表情を作って振り返った。
「どこ行くんだよ、最近付き合い悪いぞ!」
そう言って睨みあげられた。天使は私をちらりと見て話を続けた。どうやらあの少年悪魔の話の最中だったらしい。
「あの悪魔は湧(ユウ)といって、この街にいつごろから住み着いたのか、人を殺すような残虐な事はしませんが、悪戯ばかりして街の人を困らせてばかりだったので、捕まえて更生させるようオレが派遣されて来たんです。双子のもう一方の方は先に捕まったようで、別の国で働かせているうちに、やさしい悪魔になってきたようなのですが、湧はすばしこくて、なかなか捕まえられなくて……。オレの力不足なんですけど。そのうち、街の人ばかりか、オレの周りまでうろついて何でも邪魔するようになってしまって……」
本当に生意気なんです、と天使はため息付いて言葉を切った。
じゃあ、私が殺されかけたのはたまたまですか……と私はじっと天使を見つめたが、傍らの悪魔も、何やら面食らったような不思議な表情で天使に問いかけた。
「え?あいつ名乗ったの?お前に?」
「?ええ、そうですけど……?」
そう答えた天使を悪魔は顔を近付けじろじろと眺め回した。天使は気恥ずかしそうに真っ赤になってうつむいた。ひとしきりそんな動作をすると、悪魔は今度は満足そうに反り返って、
「へーそう。ふ~ん。そ~うなの~」
とあらぬ方向を向いて一人にやにやと笑いながら考え事を始めてしまったので、私と天使は付いていけずに顔を見合わせた。
仕方が無いので、私達は宿の庭園など見に行った。天使は、羽を自在に隠せるらしく、そうしていると普通の、育ちの良い穏やかな少年に見える。この頃はずいぶん涼しくなってきたから、彼の白っぽい服装は、少し寒そうに見えた。
彼は、悪魔の事を色々と私に尋ねてきた。どこの出身だとか、何故今は魔力が無いのか、とか私達がどうやって出会ったのか、などなど。私は精一杯平然としたふりをして答えた。天使は私の言葉に目を輝かせながら聞き入っていたかと思うと、
「悪魔と言っても、あの人のように良い悪魔も居るんですよね……!魔力がないのに、天使であるオレをかばってくれるなんて。勉強不足でした。これからは、冥土と魔界も共存していく道を探さなくては。帝都国は様々な人種が移り住んでいると聞きます。天使にも住み易い土地でしょうか……?」
と、とうとうと語り始めた。真逆帝都まで付いて来るつもりだろうか?私は、大人気ない反発を心の中でしていたが、その気持ちを心のずっと奥の方に押し込め、穏やかに微笑んで見せた。
私は、決してこの天使の子が嫌いな訳ではない。
しかし、この子にいやに大人びた態度をとり、まんざらでもない顔をしてみせる悪魔のせいで、ちりちり胸が妬け付くような嫌な気分が常に自分の中に居座るようになった。全部、そう悪魔のせいなのだ。
++++++++++
部屋へ戻ると、悪魔は待ってました、とばかりに天使を捕まえて私から離れると、これ見よがしに内緒話を始めた。私はまたもほったらかしにされ、することもないので、座り込んで畳の目など数えたりしていた。
二人は話の途中で何度かこちらを振り返ってくすくす笑い合い、再び話に戻る、というのを繰り返した。私はたまらなく疎外感を覚え、このまま悪魔を残し先に帝都に帰ってしまおうか、とさえ思った。
しかし、それを実行に移す気も、また起こらなかった。
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