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自分が高貴なお姫様だなんて思わなかった。男勝りでしとやかさのカケラも持ち合わせていないような自分が。
礼儀作法を身につけて、一日中座って過ごすようなそんな生活、絶対に耐えられない..........。
「?!」
その時、芙蓉はハッと目を見開いて泣き崩れる母を見つめた。
「すべて...私の...ために..........」
母は最愛の人が亡くなった時、美しく着飾って何の不自由もない生活を捨てた。
自由な暮らしよりあえて農民の不自由な生活を選んだのは、それこそが自由だとわかっていたから。
ーーー私にとって。
芙蓉は恋文を握りしめて走った。外に出て大きな声で呼び止める。
「お返事はできません!!私には心に決めた方がいます!」
文使いは家の外の大きな桜の木の下に立っていた。ゆっくりと振り返り、銀色の瞳で芙蓉を見つめ困ったように眉尾を下げる。
「そうなれば貴女や貴女の家族が危険な目に合うことになるかもしれませんよ。なんせ我が主は野心家だ。貴女を他の貴族に渡す機会を残すとは思えません。」
「危険な目......?」
芙蓉はグッと拳を握った。
1番に自分を考えてくれる優しい母や支えてくれた義父、そして幼い妹を天秤にかけるなどできない。
だけど、どうしても“奪われたくない自由”があった。
「私には心に決めた愛する人がいます。その人と一緒になれないのなら死んだ方がマシです。」
「.........ほう。」
文使いはさっきまでの優しそうな表情を一変させ、値踏みするように顎に手を当てて芙蓉を見た。
「意志の強い眼差し、潔い答え、そして迷わず自分の死を差し出す覚悟......。」
「...?」
「貴女はあのまま生きていれば良い正妻となったでしょうにね。」
「何のことですか?」
「ふふ。では貴女に免じて一つ提案を致しましょう。」
「.........提案?」
文使いはにこりと笑ってしなやかに手招きをした。
すると芙蓉は引き寄せられるように真っ直ぐ桜の木の下まで歩いていく。
文使いは口元に手を当て、芙蓉の耳元で声を落とした。
「簡単なことです。文を書いてください。」
「っ?!だから返事は書かないって...」
文使いは人差し指を立てて芙蓉の口元に当てた。
「我が主にではありません。その想い人にです。」
「外道丸に......?」
「主は貴女の誕生日の夜に夜這いに来る予定です。なのでその前の日の夜、愛する人と落ち合って逃げるのです。そしたら私は主に貴女は心中したと伝えましょう。」
芙蓉は両の眉を上げた。
確かに自分の存在が亡くなれば、家族を狙う必要もなくなる。
芙蓉は口をぐっと結んで深く頷いた。
そしてすぐ家の中に入り、したためた文を持ってきて文使いに渡した。
「それでは私がこれを彼に届けましょう。良いですね。このことは二人の秘密ですよ。」
文使いは宛名を一瞥すると、
悠然と踵を返し去って行ったーー。
⌘ ⌘ ⌘
3月7日、芙蓉の誕生日の前日。冷たい潮風が肌をさす中で、芙蓉は凍えそうに冷えた手を口元に当てて息を吐いた。
暗くなってきた空に輝いている夕星を、芙蓉は待ち合わせ場所の切岸の前から見ていた。
垂直に迫るほど切り立った崖から下を覗き込むと荒々しい波が打ち付け水しぶきを上げている。
待ち合わせ場所にここを選んだのは、一応『心中』というていだからだ。
芙蓉は大好きな家族に別れは告げなかった。またいつか外道丸との子供を連れて会いに来たいと思ったからだ。
待ち合わせの時間は夕暮れ。だが外道丸はいつまでたっても現れない。
連日忙しいのは知っていた。
本当は昨夜から三日間一緒に過ごす予定だったが、昨日は家に訪ねてこなかった。
しかしそれも、今日の約束があるからだとそう思っていた。
暗い水平線を眺めていた時、後ろの茂みがガサガサと揺れ芙蓉は振り返った。
「外道丸?!.........え。」
しかしそこに立っていたのはいつかの文使いだった。
「こんばんはお姫様。愛する彼は現れないようですね。」
「...なんでここに?文は外道丸に渡したのよね...?」
「外道丸には会えませんでしたが、彼と親しい“椿”という女の子に。」
「椿...?」
でも渡したのが椿なら文を外道丸に絶対に渡しているはずだ。
ーーだったらなぜ外道丸は現れない?
すると文使いは腕を組んで首を傾げた。
「そうそう。来る途中にその椿という子を見かけましたよ。髪にピンクの乙女椿の花を飾って、幸せそうな顔で寺に帰る途中でした。」
「乙女椿...?」
それは以前自分が椿にあげたことのある花だった。
この辺にあるのは真っ赤な椿ばかり。希少なピンクの乙女椿の場所は自分しか知らない筈ーーー。
「でもその花なんですが、つい先日も見たんです...。あれは確か...そう、外道丸の部屋に飾ってありました。」
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