11人が本棚に入れています
本棚に追加
夕立が過ぎ、虹が架かって薄明になった。
地平線に太陽がゆっくりと隠れていく。慣れた夏の湿気を窓から入り込んだ涼風が拐っていく。もう夕方も長くない。彼女は病室の窓から陽炎のような星空を眺めていた。
「冬までには生きたいなぁ」
それは彼女がもう長くないことを物語るように、彼女の口癖になっていた。その傍らでおれは相棒を両の掌で戯れていた。
「今日は何を撮ってきたの?」
「それが、最近撮れてないんだ」
「ふーん……なんで?」
おれは答えなかった。沈黙に烏が鳴いて、彼女はまた空を眺めた。
「もう秋だね。天馬もそろそろかな」
「そうだね」
「秋の星座って好きなんだ」
「なんで? 星座なら冬のほうが綺麗じゃん」
「たしかに夏や冬より見劣りするけど、秋の星空はね、海になるの」
「海?」
「そう、海」
彼女は空から目を離して、両の掌を結ぶように握って冷たい天井に伸ばした。
「秋はね、魚が夜空を泳ぐ季節なんだよ」
手を解いて、彼女は両の掌を空に広げた。空を吸い込むような、空に吸い込まれそうな彼女にレンズを向けた。
「また盗撮する」
「盗撮じゃない。シャッターチャンスだ」
「またそうやって屁理屈言う」
ふふ、と少し笑い飛ばした。
「遺影。君に撮ってもらえてよかったよ」
彼女はまた空を見た。明星がぼんやりと灯っていた。
「私のお葬式に君の撮った写真並べてよ。お父さんもお母さんもきっと喜ぶ」
「君の写真は遺影と数枚しか撮ってないよ」
「私の写真じゃなくて、君が撮った写真がいい」
「おれが撮った写真?」
「そう。君が私のために撮り集めた写真」
理由もなくおれは少し笑い飛ばして、掌にすっぽりと収まった相棒と戯れた。彼女が今ここにいること、消えてしまいそうな光の一瞬をこいつはずっと覚えている。
彼女は天井を見上げた。長く、細い髪が地に向かって垂れる。
「今年も見たかったな。フォーマルハウト」
その耳障りの悪い名前の意味を聞こうとしたとき、彼女の口が先に開いた。
「ねぇ。もし私が秋まで生きられなかったら、私の代わりに見に行ってよ」
「フォーマルハウトを?」
「うん。綺麗だよ、フォーマルハウトは」
そう言って彼女はまた空を見た。その瞬間に掌が痺れ、レンズを彼女に向けていた。
最初のコメントを投稿しよう!