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左手のおとぎ話
「ヒサト君って、左利きじゃなかったの?」
大学の講義の最中。オレは隣に座った女の子に小声で話しかけられた。気がつくとよく隣に座っている子だから、オレに気があるのかもしれない。
ノートに落書きはしてたけど、講義は真剣に聞いていたのに。少し面倒だなと思いながら、オレは正直に答えた。
「絵だけは右手で描くんだ。息抜きだから」
「お箸も鉛筆も、普段は左手だよね? 両利きなんだ。すごい、器用だね」
「練習したんだよ」
「がんばり屋さんなんだぁ」
彼女は目を細めてオレを褒めた。
がんばり屋さん。
そう言われて、悪い気はしない。
オレは確かにがんばった。懸命に勉強して、県随一の進学校でも優秀な成績を修め、国立大学に進学した。
何より、あの日から毎晩少しずつ、左手以外を動かす訓練をしたんだ。
ヒサトに消えた双子の片割れがいると聞いたあの日、オレは自分が「左手」ではないことを初めて知った。
オレは人間なんだ。ヒサトに吸収されて身体はなくなったけど、意識はヒサトの中で生きている。
まず感じたのは、ひどい理不尽と嫉妬。
そして湧き上がったのは、いつかヒサトの身体を自分のものにできるかもしれないという、一縷の望みだった。
「ヒサト君、絵上手だね。何のキャラ?」
「分からないな。なんとなく描いてるだけなんだ」
オレの答えに抗議するように、右手がガツガツとノートにシャーペンを突き刺した。
隣の女の子が目を丸くして見上げてくる。オレはうるさい右手にそっと左手を重ね、彼女に耳打ちした。
「ごめん、びっくりした? 実はオレの右手、ときどき勝手に動くんだ」
「なにそれ……ホラー?」
反応に困った彼女が、歪んだ笑顔になる。
オレは右手を押さえたまま、にっこり笑った。
「いや? がんばった主人公が自力で呪いをといて幸せになる、おとぎ話だよ」
【了】
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