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耿純に比せられる。
合肥の戦い。
2-2
從圍鄴,鄴定,與樂進圍高幹於壺關,擊管承於長廣,皆破之。遷捕虜將軍,封都亭侯。典宗族部曲三千餘家,居乘氏,自請原徙詣魏郡。太祖笑曰:「卿欲慕耿純邪?」典謝曰:「典駑怯功微,而爵寵過厚,誠宜舉宗陳力;加以征伐未息,宜實郊遂之內,以制四方,非慕純也。」遂徙部曲宗族萬三千餘口居鄴。太祖嘉之,遷破虜將軍。與張遼、樂進屯合肥,孫權率眾圍之,遼欲奉教出戰。進、典、遼皆素不睦,遼恐其不從,典慨然曰:「此國家大事,顧君計何如耳,吾可以私憾而忘公義乎!」乃率眾與遼破走權。增邑百戶,並前三百戶。
(訳)
鄴の攻囲にも従軍し、
鄴が平定されると
楽進とともに高幹を壺關に包囲、
長広において管承を攻撃し、
そのいずれも撃破した。
(前後に渡る功績から)
捕虜将軍に遷り、
都亭侯に封じられた。
李典の宗族と部曲の三千余家は
乗氏に居していたが、
自ら魏郡に移りたいと陳情してきた。
太祖は笑って述べた。
「卿は※耿純を思慕しておるのかね?」
(※耿純は宗族の家を焼いてまで
光武帝に付き従った慧眼の持ち主)
李典は謝絶して述べた。
「典は愚鈍で臆病であり、
功績もわずかでありながら
過分なる爵位や恩寵を賜り、
誠に宗族を挙って
力を展べるが当然にございます。
加えて、征伐はいまだ止まず
郊・遂以内を充実させる事で
四方を制するべきです。
耿純に倣ったわけではございませぬ」
かくて、部曲・宗族の
一万三千余口とともに鄴へ移った。
太祖はこれを嘉して
李典を破虜将軍に遷らせた。
張遼・楽進とともに合肥に駐屯した際
孫権が軍勢を率いて攻囲してきたため
張遼は教示を奉じて出撃しようとした。
楽進・李典・張遼は
みな平素から睦まず、
(ふだんから仲が悪く)
張遼は二人が従わない事を恐れたが、
李典は慨然として述べた。
「これは国家の大事です。
君の計略が如何かを顧慮するのみで
吾は私情を以って
公義を忘れたりは致しませぬ!」
かくて軍勢を率い、
張遼とともに孫権を撃破し
敗走させた。
封邑百戸が加増され
以前のものと併せて三百戸となった。
(註釈)
此國家大事,顧君計何如耳,吾可以私憾而忘公義乎!
かっけぇえええええ!!!!!!
李典の見せ場といえばここです。
合肥の戦で、個人的な蟠りなど
かなぐり捨てて、張遼や楽進と
共闘して孫権を破る!
この回の蒼天航路の扉絵がまた
最高なんですよ♡
張遼・李典・楽進がそれぞれ
ソッポ向きながら
槍の穂先合わせてるっていう♪
耿純は光武帝の功臣13位、
親族の家を焼いて光武帝の味方になった
ものすごい慧眼の持ち主にして
政戦両面に強い、非常に頼りになる男です。
文官タイプかと思いきや、
実は戦の指揮も出来たというところが
李典と似ている気がしなくもないです。
臧覇伝にも名前出てきます。
いずれ淡々後漢書で触れます。
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