周瑜伝

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1. 周瑜字公瑾,廬江舒人也。從祖父景,景子忠,皆為漢太尉。父異,洛陽令。 (訳) 周瑜(しゅうゆ)はあざなを公瑾(こうきん)といい、 廬江(ろこう)郡の(じょ)の人である。 従祖父の周景(しゅうけい)、周景の子の周忠(しゅうちゅう)は いずれも漢の太尉(たいい)に任じられた。 父の周異(しゅうい)洛陽(らくよう)の令であった。 (註釈) 周瑜の家は二代に渡って 三公を輩出している 超エリートの家系です。 周瑜もまた、若くして 英邁闊達の気風あり。 孫策(そんさく)の父、孫堅(そんけん)が 黄巾族の討伐に赴くのに従って 家族を寿春(じゅしゅん)に移した際、 周瑜は孫策の評判を聞いて 彼を訪ねたとされます。 二人はたちまちに仲良くなり、 金属を断ち切るほどの 厚い友情を結んで、 孫策は周瑜の勧めから 廬江(ろこう)に引っ越したとされます。 (孫策伝の引く、江表伝(こうひょうでん)) 二世三公の名門出・周瑜と 新興軍閥の世子・孫策は 家格が全く釣り合ってないのですが 周瑜が対等な交誼を 結んでいたというのがアツいです。 でも江表伝のいうことは あんまり信じない方がいいかも。
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