偽装夫婦

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偽装夫婦

「ちょっと、あたしの部屋に勝手に入らないでくれない?」  学校から帰ると、あたしの部屋が荒れていた。 「んだよ、うるせーな。いいじゃねえか。仮にも、俺はおまえの亭主だぜ?」  ベッドの中で、千里(ちさと)がニヤニヤしてる。 「このマンションが夫婦じゃなきゃ入れないからって、それだけの夫婦じゃない。お互いのプライバシーには関与しないって決めたはずよ?」  制服のリボンをほどきながら、超不機嫌な声のあたし。  それでも千里はニヤニヤしたまま。 「家を出たがってたおまえの思い通りになったわけだろ?感謝されてもいいはずなんだけどな」  って、鼻で笑った。 「それは千里だって同じでしょう?どうしてもここに入りたいからって…はっ…バッ…バカ!!なんで裸なのよー!!」  のそっと起き上がった千里はー…全裸!!  あたしが目をそらしてるのを、相変わらずニヤニヤしながら長い髪の毛をかきあげてる、神 千里(かみ ちさと)。  その名前からは予想もできないほど、こいつは鬼よ、悪魔よ!!  ロックバンド「TOYS 」のボーカルで、21歳。  この防音設備バッチリ、日当り良好、環境抜群のマンションに入居したいがために、あたしの家族を説得してまで結婚にこぎつけたという…  厳格な家を早く出たかったあたしにとっては、好都合だったけど…  まさか、こんなに上手くいくとは思ってもみなかった…偽装結婚。  あたしは、まだ高校生。  こんな結婚を、よく父親が許してくれたと思う。  あたしの実家は、もう何代も続いてる華道の名家「桐生院(きりゅういん)」  しかも、あたしは長女。  けれど物心ついた時、すでに母親は二人目だった。  兄弟は、その二人目の母親が生んでくれた双子の妹と弟。  あたしにとっては、可愛い妹弟なんだけど…  あたしを嫌ってた継母が 『おまえの母親は貴司(たかし)さんの人がいいところにつけこんで、血の繋がりのないおまえを貴司さんにおしつけて、好きな男のところへ逃げたのよ』  って、しょっちゅう言ってたせいか…  弟は懐いてくれてるけど、お母さん子だった妹は、あたしを姉と呼んだことはない。  その二人目の母も、あたしが13の時、病死した。  それでも父は、あたしが何も知らないと思っている。  映像会社の社長もしている父親は。  血の繋がりがないにせよ優しくて、頼りがいがあって。  本当の父親…と、あたしは思っている。  なのに自分自身、家を出るためだけに結婚してしまうなんて…  それも、好きでもない人と。  でも。  千里はボーカリスト。  実は、あたしが目指してるものでもある。  物心ついた時には、すでにシンガーになろうと決めていた。  だから、いろいろ勉強になるかな、なんて思ってたんだけど…  甘かった。  言葉遣いは悪くなるし、どんどんがさつになっていく自分がわかる。 「桐生院知花(きりゅういんちはな)。下から赤毛が出てるぞ」  千里があたしを指さして言った。 「…もう帰ったんだから、いいし」  あたしの髪の毛は、赤毛。  おまけに、目の色もそれとなく日本人離れしてる。  厳格な家に生まれ育ったおかげで、昔からウィッグと眼鏡を強いられてきた。  その方が目立たなくていいんだけど…  最近、億劫になってきている。 「みごとに化けてるよな」  唯一、あたしの赤毛を知っている千里が、トランクスだけはいてやってきた。 「…今日からレコーディングでしょ?早く行けば?」 「わかってるさ」  千里はだるそうに部屋に戻ると、クローゼットから服を取り出した。  あたしはウィッグを取って、中からこぼれ落ちる赤毛をクリップで束ねる。 「戸締りキチンとしろよ」 「子供扱いね」 「子供だろ?」 「一応、主婦でもあるんだけど?」  あたしが小さく答えると、千里はクスクス笑い始めた。 「…何よ」 「いや、別に」  感じ悪い男。  あたしが嫌な顔してるのもおかまいなし。  千里は、さっさと服を着ると。 「何回も言うけど、戸締りだけはキチンとしろよ」 「わかって…あ、ボタン取れそう」 「どこ」 「袖、ちょっと待って」  …なんのことはない、普通の夫婦と同じだと思う。  炊事も洗濯も掃除も、もともと好きだったから問題ないし。  意外なことに、千里はちゃんと一緒に食事してくれるし。  そのうえ、まめに帰るコールしてくれる。  それについては。 「冷えた飯を食いたくないから」  だそうだけど…  はたから見たら、間違いなく夫婦してる。  まあ、夫婦として足りないのは…愛情と肉体関係だけだろうか。 「はい、できた」 「サンキュ」  袖のボタン、付け直すと。  千里は、あたしの頭をくしゃくしゃっとして言った。 「いい子で留守番してろよな」
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