ぱしゃり。

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…あれから十日経った。その日を境に、葉はぱったりと学校に来なくなった。  告白の後、入院したのだとは聞いていた。しかしながら、私はどうにも足が進まずにいた。  そんななか、明星五月が私にプリントを届けてくれるよう、半ば強引に依頼してきた。彼女なりの気遣いだったのだろう。  病室の前に立つと、どうしても戸が引けない。悪い予想が頭を過って、手が震えている。 ──きっと大丈夫だと、言い聞かせる。確信なんてないけれど、よもやあの葉に限ってそんなことは、と。  あの時もそうだ。あいつは派手に車にはねられたのに、軽く頭に包帯を巻いてピンピンしていた。  だから今回も、きっと大丈夫。この病室の戸を引けば、いつもみたくヘラヘラした変わり映えのしない顔が出迎えるに違いないと。 ──そんな砂糖菓子よりも脆い期待は、ベッドの上で静かに目を閉じている葉の様を目の当たりにして、バラバラに砕けた。  植物が根を張るように、沢山の管に繋がれ横になる彼は、自分の記憶のどの姿とも一致しない。 ──昨日まで確かにあった、当たり前にあるものが、そう遠くない内に消えてしまう。  普段なら意識しない、頭をもたげることすらしないその命題が、不意討ちのように現れたのだ。 「…よう。久しぶり」  身を起こして挨拶する葉。その姿は力が満ちておらず、普段とはまるで別人のようだった。  私の記憶とは、今までフォルダに積まれていったその姿とはかけ離れた、葉の生気の薄い笑みを見てしまえば、嫌でも実感せざるを得ない。 …親友に先立たれる。そんなの、どんなに短い見積りでも半世紀は後だと思っていた。  それが、今訪れるなんて思いもしなかった。しかも不治の病なんて、ベタなドラマみたいなので。 「はい、チーズ」 ──ぱしゃり、と。俯いていた私に向かって、携帯のカメラのフラッシュが焚かれる。 「うー、イマイチ」  今し方撮られた写真を、顎に指を添えながら眺める葉に、ふっとした怒りと動揺が湧いてくる。 「なっ、あんた! またふざけたことを──」 「なあ、ちょっと携帯を貸してくれないか? ロックは外してな」  こっちの話を聞く気もないとでも言わんばかりに葉は尋ねてくる。  そんなのを受ける筋合いはない、といった渋い顔をすれば、彼はさも残念そうに肩を落とす。 「頼むよ、一生のお願い」 「あんたの一生のお願い何回あんのよ」 「残念だが、オレのは初めてだ。諦めて貸してくれ」 …微妙に納得いかないが、かといって病人を無下にするのも気が引ける。渋々自分の携帯を渡す。  彼は写真の収められたアルバムをざっと長し見すると、徐にメモリーカードを引っ張り出す。そして、 「えいっ」 ──半開きだった窓から、投げ捨てた。あまりに突然のことだったので、視界よりも思考が遅れてやってくる。 「なっ…、にを?」 「…いいか、瑠璃」 …動揺する私の襟元を掴んで、お互いの顔を近づける。その面持ちは、つい先程までのふざけた様子とはかけ離れていた。 「おれのことは忘れろ」 「…え」  理解ができなかった。掴む手は枯れ木のように弱々しいのに、振りほどけない。そんな強い圧力のようなものが、それを許さない。 「…いいか、よく聞け。言った通り、オレはもうすぐいなくなる。けど、それは当たり前のことだ。遅かれ早かれ、ってヤツだから」 「そんなの…」 …何故かわからないけれど、私の胸に酷く突き刺さるような言葉だった。  それはまるで、疵を残すのではなく、これからの道標を示そうという遺言のような。 「…いくら写真を撮り溜めたって、お前の虚無感は埋められないんだ。アルバムなんざ、暇なときに捲るくらいで丁度いいんだよ」 …どうして、葉はそんなことを言うのだろう。どうして、私の写真を撮る理由を知っているのだろう。 「…葉、あんた」 「なんでそんなこと知ってるのかって? そんなの、当たり前だろ?」 「…それは?」 「……おれが幼なじみだから、に決まってる」 ──にこやかな、記憶というフォルダに残る、いつものような顔で、葉はそう言った。 「…説教なんて柄じゃないけど。おれは思うんだ。思い出ってのは、自分を形作るものであって、すがり付くものじゃない。いいものも、悪いものも、全部引っくるめて、これからは纏めてお前を創っていくんだ。…頑張れよ?」 「…うん」 ──私は、ゆっくりと頷いた。それを受けた葉は、とても安心したような顔をしていた。 「──よーし、いい子だ」  まるで幼子を誉めるように、頭を撫でる。優しく触れているようで、それ以上の力は出せないという残酷な現実を肌で教えていた。 …結局、その日を最後に私は病室を訪れることはなかった。その言葉と、握る力のか弱さが、日に日に増していくのを見ていられなかった。 ──その数日後。葉は息を引き取った。深夜、眠るような最期だったという。  それを聞いた時、不思議と涙が零れることはなかった。むしろ、安らかな永眠に安堵すら覚えていた。
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