1・最初の目撃

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1・最初の目撃

 預金残高4,329円。それがオレの全財産だ。  つらい現実に大きくため息をつく。  お笑いコンビ・ゴールデンボーイズのツッコミ担当の“あっつん”  それがオレの肩書だ。巾木(はばき) 敦海(あつみ)、24才。田舎から上京して4年。養成所で1年学び、今年で芸歴3年目の売れない若手芸人である。 「はぁー、つれぇなぁ」  自宅マンションのベランダで、夕日を眺めながらタバコをふかす。この瞬間だけが唯一の楽しみだ。2年前までは日に10本は吸っていたこいつも、今は金がなくて日に1本のみのぜいたく品である。  芸人の仕事はいつだって突然決まる。そのせいでバイトも思うように入れることは出来ず、貯めた金は出ていく一方、極貧生活に拍車がかかるのだ。せめて、芸人としてもう少し稼げれば……と夢見るも、現実はそう甘くない。  実際、今日は久々の出張ライブでセリフを噛んで相方に迷惑をかけてしまった。 「あ~くそ、どうしてあそこでトチるかなぁ」  一人反省会である。大きく煙を吐き出し、コントのセリフを反芻する。 「……そしたらお前、コンビニの店員な。オレが客をやるわ……すみませーん、新聞ありますか……いやいや、競馬新聞じゃなくて、フツーの新聞だよ、アンタ客を見た目で判断してるだろ! ……」  ツッコミ担当はボケ担当よりもセリフ量が多い。加えてテンポよく進めるために早口でまくし立てていかなくてはならない。しかし、セリフを覚えるのが苦手なオレは、緊張も相まってどうしても途中でつっかえてしまうのだ。 「はぁ、この頭がもうちょっと……出来がよけりゃなぁ」  ガシガシと乱暴に頭を掻いて、短くなったタバコを携帯灰皿に押し付ける。  さて、部屋に戻るか……と、サッシに手をかけた、その時だった。 (ん……?)  強烈な視線を感じた。  部屋には誰もいない。オレ一人だ。それじゃあ、一体どこから……?  うなじの毛がぞわぞわと逆立つのを感じ、後ろを振り返る。なんの変哲もない、いつものベランダだ。ここは四階建てマンションの三階。隣接するマンションなどの建物に人影は見当たらない。 「……」  誰も、いない。  しかし、確実に視線を感じる。気のせいではすまされないほどの、強い気配だ。  遠くから下校する子供たちの賑やかな声や、往来を走る車の走行音が聞こえてくる。夕日は地平線へ落ちかけていて、目に染みた。いつもと変わらない景色、そこに感じる違和感。  タラリ、と汗が一すじ、こめかみを伝った。  そして、なぜか分からない。分からないが……  なにかに導かれるように……視線が左を向いた。  ベランダは両隣と繋がっている。それを、火災などの緊急時に蹴破って避難できるようにと薄いパーテーションで区切られているのだ。なぜか、そのパーテーション……左側のパーテーションが妙に気になった。 「!!」  そこには……  男の顔が浮いていた。  パーテーションの上、20センチにも満たない隙間に、男がみっしりと挟まっている。ぐうっと顔を押し付けて、血走った大きな目で、まばたひとつせずこちらを見ていた。  ぐぐ、ぐ、ぐ、ぐぐぐ  男の顔がパーテーションにつっかえ、皮が引っ張られる。若い男のようだったが、狭い隙間によって奇妙に変形した顔はのっぺりとしていて、お面のようで気味が悪い。  ぐぐぐぐぐぐぐ、ぐぐ、ぐぐ……  こちらに来ようとしている! 「な、なんだ……」  足から急に力が抜け、ストンと尻もちをついてしまう。それでも目は男から離すことが出来なかった。 ――ガタッ  男の手が隙間から差し込まれ、薄いパーテーションが音を立てた。 「う、うあああああああああああああああああ!」  あまりの事態に一瞬固まってしまった。しかし、ようやく状況を飲み込めた時には、膝は笑い、サァ、と自分の頭から血が引いていくのが分かった。恐怖が津波のように押し寄せてくる。  オレはなんとか立ち上がり、震える手で再度サッシを掴み部屋の中へ飛び込んだ。 「ん、なんだよ、あれ! と、とりあえず……えーっと警察か!?」  勢いよくガラス窓を閉めてカギをかけると、そのまま尻ポケットからスマホと取り出す。ロックを外す少しの動作すらもどかしい。 「……もしもし、警察!? う、うちの隣の住人がベランダから入ってこようとしてるんだ、今すぐ来てくれ!!」  そうして警察がくるまでの間、カーテンを閉めた窓を、バット片手に(以前、コントで使用していたのだ)睨み続けたのだった。
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