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「これは、前金だよ」
「い、いや、こんなに頂くわけには……」
「いいんだ。涼十郎のために、金を惜しみたくないんでね」
「はあ……」
恐縮しつつ、小判を小さな箪笥に入れた。これは、腕のいい職人に作らせた精巧な鍵付きのものである。
「やはり、涼十郎さんが出ないと、響きますか?」
興業は芝居の脚本より、役者の容姿や質が客の入りを左右することが珍しくない。特に[村雨屋]の場合は、涼十郎個人に付いている客が多い。その美麗な容姿と脳漿を震わせるような美声は評判で、大奥の女も彼を見るために城を抜け出してくることがたびたびあるそうだ。
[村雨屋]の稼ぎの九割は、涼十郎のおかげと言ってもいいほどである。
「それもあるがね。私はあいつを、小さな頃から育ててきたんだ。芝居が本当に大好きでね。もう一度、舞台に立たせてやりたい。そんな、親心だよ」
どこか遠くを見て語る宗右衛門の目尻が、煌めいた。そこから目を逸らした安兵衛は、どうしたものかと胸の内でぼやいた。
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