被告と呼ばれた女

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被告と呼ばれた女

 今度は地方裁判所で離婚裁判が始まるらしい。  起訴状を読むと、調停で何度も聞かされた私に対する不平不満が書かれているわけだが、起訴状には答弁書というのを書いて反論しなければならないらしい。書類にそう書いてある。  表紙はなんだか裁判書類っぽいややこしい書式だが、起訴状の中身は大したことは書かれていない。いよいよ弁護士かと思ったが、このぐらいなら書けるな──と思うのが私という厄介者だ。  それはともかく、扶助制度を使っても弁護費用というのは結構かかる。夫に出しなさいよと言っても、彼もそこまでお人好しではなかった。  それはそうか。  でもよく考えてみれば、これもなんだか納得がいかない。  自分はとっとと弁護士を雇っておきながら、専業主婦の私には、それをする余裕がないのだ。  私みたいな人間だからいいようなものの、気の弱い人には致命的だろう。実に理不尽である。  しかし、一年半、家裁に通ってわかったことがある。焦らなくともいいということだ。それなら、もう少し様子を見よう。  答弁書だって、書き方が間違っていれば、向こうが教えてくれる。私は家裁で、散々私の非常識を教わった。今更一つ二つ増えたところで誰も気にしないだろう。  そこで私は、図書館で答弁書の書き方が載っている本をいくつか借りてきた。それを参考に答弁書を書いた。  さすがにそれだけでは心配なので、友人に紹介してもらった女性弁護士に、その出来を見てもらうことにした。  あらかじめ答弁書を作成してデータでその弁護士さんに送り、その事務所まで行って出来を聞いた。 「素人が書いたにしては完璧です」  グッと親指を立ててくれた。  ありがとう先生。  いくつか短いアドバイスと注意点をもらい、事務所を後にした。  弁護費用は30分五千円の相談料だけだ。この離婚裁判で、私はこの手の相談を都合三回お願いした。  つまり、弁護費用は全部で15000円だった。 「最終弁論はテクニックがいるので、さすがに弁護士が必要だと思いますが、まだまだ先でしょうし、それまではまぁ、様子見しながらでもいいんじゃないでしょうか」と言われた。  なるほど。その時はお願いしようと思って事務所を後にした。  弁護士は私の救済者ではない。癒しや救いを求める相手ではなく闘い方を教えてくれる技能者だ。場合によっては私の代わりに闘ってくれることもある。それだけだ。  この時点では、これだけで用は十分事足りた。  この裁判で特筆すべきものが何かあるのかと言われれば、特に何もない。そこがドラマではない現実のつまらないところだ。私が再び、盛大にやらかすことを期待していた方々には申し訳ない。  敢えてあげるなら、テレビや何かで見たことのある、本物の法廷の被告席に座ったことがあるということぐらいだ。しかも、弁護士なしのひとりで。こういう素人女性はなかなかいないと思う。  そういえば、時間つぶしに法廷前の廊下のベンチに座っていた時、スーツ姿の私を、弁護士と勘違いしたおばさんに、かなり悲惨な身の上話を延々と聞かされた。  自分も弁護士を雇っていたのに、その弁護士より私の方が話を聞いてくれそうに見えたのだろうか。まぁ、女同士ということもあったかも知れない。  法廷に入ると、傍聴席には何人か人がいた。裁判の行方を見守ろうという傍聴人ではなく、同じ法廷で争われる、次の案件の人々だった。  法廷にいる人は、病院の診察室かと思うほど短い時間で、次々と人も案件も入れ替わってゆく。その流れの中で私も呼ばれた。  実際に被告席に座るとなかなかの迫力である。  だが、簡単に起訴状の中身を確認しただけで、次回のスケジュールを確認して終わりだった。原告席、つまり夫側は弁護士のおっちゃんしかいなかった。  仰々しいだけで、法廷とはこんなものなのだろうか。あまりにもあっけない。テレビやなんかで見るのとは全然違う。それとも、裁判が進めばまた変わるのだろうか。  そこで確認されたスケジュール通り次回の裁判に行くと、協議室というプレートのついた調停室と同じような会議室で、今度は調停員ではなく、黒い法曹服を着た裁判官を挟んで話し合うことになるのだ。この裁判官は、家裁の裁判官とは別の人だった。  ちなみに、実は私は、この協議の初日に大幅に遅刻している。開始時間を勘違いし、裁判所からの電話で慌てて飛んで行ったが、それでも大した問題にはならなかった。故意ではないのが伝わったのだろう。  そして私は、相変わらずのらりくらりと離婚を拒否した。 「私の見るところ、あなた方の夫婦関係はすでに破綻しているかと思いますが……」  どうやら、私が家裁でいちいち提出していた文書が相当効いているらしい。  いきなり裁判官からそう言われた。  中身は調停員に対する批判も多かったが、もちろん夫の言い分に対する反論と、批判に次ぐ批判だ。  うーん、確かにやりすぎたかもしれない。  これはいかん。 「いいえ、人間のことですから、たとえ1%でも可能性があれば、私は子供達のために修復に向けて頑張りたいと思います」  などと、我ながら白々しい可能性を口にした。  そんな話し合いを3回ほどしたところで、突然夫が申し立てを取り下げた。同時に、家裁での婚費の申し立てのなにからなにまで全部だ。  へ? と思うまもなく、裁判官すら意表を突かれたように、これで離婚裁判を終わりますと言って、閉廷してしまった。  私の2年にもわたる裁判所通いはこれで終わりを告げたのである。  あっけないものだった。  あまりにも突然すぎてわけがわからない。  少し呆然として階段を降りてゆくと、階段の裏側にある自販機の前のベンチに、憔悴した感じの夫がいた。  そして、私に雑魚扱いされた弁護士のおっちゃんは、 「あんたたちね、もうグダグダ言ってないで、ちゃんとやり直しなさい。じゃあね!」  というセリフを残して、慌ただしくドタドタと裁判所を去っていった。  私はといえば、用心深くおっちゃんの言葉にニコニコと頷き、(戦略だったので)「そうします」と白々しく笑いながら去ってゆく背中に手を振った。  たぶん、あのおっちゃ……いや、弁護士はいい人なのだと思う。  薄暗い地方裁判所の階段裏にある自販機の前で、夫と二人取り残された。  え、何この状況? 「………」 「………」  気まずい。  仕方がないので口火を切った。 「……あんた、これからどうすんのよ?」 「……お前と子供達と、もう一度やり直したい」 ───…は? 「……えと、ゆみちゃんどうしたのよ?」 「とっくに別れた。調停始まってすぐぐらい」 「…………」  この瞬間、勝った!──と思った。  心の中でよっしゃっのガッツポーズだ。  そら見たことかという言葉をなんとか飲み込んだ。  厄介なお荷物を山と背負ったひとまわり以上も年上のおっさんと一緒になるより、なんのしがらみもない若い男の方がいいに決まっている。それが21歳の女の子の正しい在り方というものだ。  そして彼は、やっと目が覚めたということなのだろう。  この時の私は、この急展開にまだ頭が追いつけず、迂闊な発言を注意深く控えていた。 「……やり直せるよな?」 「そんなわけねえだろバカ」  反射的に口から飛び出していた。  だが、この展開でこの一言を言うために、私は今まで孤軍奮闘してきたと言っていい。  茨の道だった。苦しかった。何度も泣いたし布団から起き上がれないこともあった。  夫にガチの殴り合いを挑み、それを躊躇わずにやってのけてしまう自分に、心底嫌気がさしていたのだ。  一度は人生をかけて愛し、3人の子供まで授かった相手なのだ。  そしてこの勝ちの、なんと虚しいことなのだろう。  私の家族は、もう取り返しがつかないほど壊れてしまったのだ。  いや、違う。  私たち夫婦の仲が、完膚なきまでに叩きのめされたのだ。  私は何よりも、それに一役買ってきたのだ。  私はこの二年、自分ではなく夫の愚かを背負いながら闘ってきた。それがどれほど苦痛を伴うか、多分この人には一生わからない。  そして、この男の愚かのツケを、私もまたこの先ずっと払わされ続けるのだ。それには間違いなく、私の愚かさも上乗せされている。  私は至らない妻だった。彼だけが悪いわけではない。それも掛け値なく本当のことだ。  私は彼を愛した分だけ憎んだ。その憎しみを今もまだ抱えている。  よく、別れた妻や夫に幸せになってほしいという人がいるが、私は一度もそんなことを思ったことがない。  これからもきっと、そう思えない。    ただ、この離婚劇は私の人生において、最も有意義な社会勉強になった。  もっとも腹のど真ん中に叩き込まれたのは、法律は平等でも、それを扱う人間が平等とは限らない、ということである。  その戦略によって、物事はよくも悪くもどちらにでも転ぶ。  だから決して、己の頭で考えることをやめてはいけない。  副作用としては、裁判官と喧嘩してしまうと、人生大概のものは怖くなくなる。裁判所や警察などの行政機関に対する敷居も恐ろしく低くなる。  正直、お前なんか訴えてやるという人がまるで怖くない。  私の離婚劇を描いたシナリオを、錚々たる脚本家の先生方が面白いと言ってくれた。  そして、NHKでドラマ化にまで漕ぎ着け、この世界に飛び込むきっかけになってくれた。  でもやっぱり、元夫には全く感謝していない。  私はかつて愛した男をめちゃくちゃに傷つけ、私もまた傷ついたからだ。  それが私の離活である。
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