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エピローグ
「おまえら本当、親孝行だよ」
スパークリングワインの栓を抜きながら迫先輩は呟き、ぼくのグラスにワインをなみなみと注いだ。「二次会をこんなしけた店でするか、普通?」
「ここで問題!」
エリカさんの友人たちの熱気に当てられ店の隅に逃げてきたぼくは、手袋を外しネクタイを緩めながら意地悪な笑顔を浮かべた。「普通ってつまり、何だと思う?」
「ほう、俺に意見するか」
不敵に笑って迫先輩は自分のグラスにワインを注いだ。
「二次会というより、まあ内輪のパーティーみたいなもんだよね」とぼくは笑った。
場所は迫先輩のハンバーガーショップ。ぼくとエリカさんが開いた小さなお披露目会だった。
「あ、マーサン! 見つけた!」と、後ろからロドリゲスくんの声が聞こえて振り返ると、めかしこんだブラジル人が大きな額縁を数人の男性と抱えて立っていた。
「はい、おめでとうございます!」
本当に作ってくるとは思わず驚いてぼくは立ちあがった。
「すごいね」と、相変わらず彼の絵についてはそれしか感想が出てこない。
「タイトルは『絆』です! 末永くお幸せに」
握り合う二つの手がぼくの目に飛び込んだ。「大事にするよ」
「はい、ありがとうございます!」
ロドリゲスくんは満面の笑顔で大きく頷いた。
それから「コンクールに挑戦しているんだって?」とぼくが言えば、「そうです、今度こそ優勝してみせます」と、意気込みを見せて彼は去っていった。
「おいおい、主役がこんな隅っこで何やってんだい」と、次に声をかけてくれたのは古下さんだった。廣島さんも一緒だ。
「いいんですよ。主役はぼくじゃないから」
そう言って向けた先にいるのはエリカさんだ。
「ほんと、信じられないほど美人だな」と古下さんが笑い、
「神前式の結婚式とは珍しいな」と廣島さんが言う。
「北辰神社は縁結びの神社なんですよ」
ぼくが言うと、二人はそろって「そうだったな」と頷いた。「北極星さまはなんでもござれだからな」
「そうそう、式と言えば……」
と、迫先輩が言った。「まっちゃん式の後、どこに消えてたんだ?」
「おう、それは俺も知りたいね」と、古下さん。「二次会に新郎が遅刻してくるとか、前代未聞だろ?」
あははは、とぼくは頭を掻いた。まさか異世界に行っていました、なんて、言ったところで信じてはもらえないだろう。
ぼくがすべてのカラクリに気付いてしまったのがその式の場だった。
北辰神社はもとからエリカさんが良縁祈願をした神社だったし、ぼくが最初の仕事をもらって運を開いた神社でもある。だからこの神社で結婚式を挙げることにぼくもエリカさんも異論はなかった。
話はそれからとんとん拍子に北辰神社側と進んでいったわけなのだが、実を言えばその間にぼくは一度も神主を見かけなかった。神社の事務の女性がすべてを取り仕切って、式の段取りのすべてを整えてくれたのだ。
まあ、こういうものはそういうことなのかなと思いながら式の当日を迎え、そしてあの神主を見た時ぼくの驚き。神殿の中でマルを見つけた時よりもはるかにぼくは驚いて、正直言うと式どころではないくらいに慌てていた。
なにしろ神主が、別人だったから。
確かにその神主は見た目こそあの神主だった。でも、違うことはすぐにわかった。だからぼくは、式の後で急いでゴンに会いに行ったのだ。
ぼくのこの物語を完全に終わらせるために。その必要があるし、その権利がぼくにはあるはずだった。だからぼくは、
──考えてみれば。
と、その揺らめく気配に向かって不遜にもそう言っていた。星のような無数の光が煌めく不可思議な神殿に通され、目の前に現れたその気配──神に向かって。
過去に一度、ぼくはこの場所に来たことがある。御神水をギンに飲まされたあの時だ。そこは神のおわす世界で、その世界の主は紛れもなく北辰の神だった。
「神主と会う時、ぼくは常に一人でした」マナちゃんも迫先輩も一緒にはいなかった。「だから、ぼくが会った神主と、彼らが思う神主が同じ人物とは限らなかったんです」
「もっと早く気付いていたのでは?」
と、神は言った。ふんわりと妖艶に微笑み口元を隠す。「今日ではなく、もっと以前から」
ぼくは頷いた。「そうです」
ぼくはもっと前から気付いていたに違いない。
「例えば、母狐と盲目の子狐の話をしてくれた時」
この地域の酒を飲みながら彼は言った。
──美味しいでしょう? 私はここのこれがかなり気に入っていて、だからここが一番のお気に入りなんです。
まるで諸国を巡り歩き、他にもお気に入りの場所があるような言い方だった。
「あるいはハルヒのことで消えた願いの話をしてくれた時」と、ぼくは続けた。「あのお稲荷さんの登場はやっぱりおかしかったんです」
「あれは少しやりすぎた」と、神は声を立てた。「他には?」
「ぼくがこの世界に迷い込んでしまった時」
「ああ、聞いていると思っていたよ」
──次の支度があるゆえ、私はしばし籠る。後のことは任せるから適当に。
「そうです。聞いていました」ぼくは言った。「そしてあれ以降、ぼくは一度も神主に、いえ、あなたにお会いしていないんです」
「近う」と、神は手招きした。それに応じてぼくが近づくと、その白く光る両手でぼくを包むように神はぼくに触れた。暖かくも冷たくもない。無だとぼくは思った。
「そうだ、神など無だ」
「心の声が……」
「神使に聞こえるもの、私に聞こえぬことがあろうか」神は笑いながらぼくを抱く。「私の声もまた無なのだ。届けたところで響くかもしれぬし、響かぬかもしれぬ」
「ぼくには響いていたと思います」
「それは聞かせ甲斐があった」と、神は笑った。
「…………」
「クレハを見送ってから私が出しゃばらなかったのは、もう私が必要なかったからというだけのこと」
「…………」
「わかっておろう?」
「七人の巫女は、ぼく自身だった」
満足そうな顔で神はぼくを手放した。「そうだ」と言う。「あれらはすべて、その心の投影だったのだ」そなたは自らの心と対話を続け、その先にある答えを導き出してきた。
「もちろん七人の巫女という発想は本物の神主のものだ。私が少々手を加えたが、人の世界に齟齬は起きなかったろう?」
しかし、七人の巫女そのものは紛れもなくそなたのものだ。「つまりは人の子が一人、自らの力で運命を切り開いた。私は確かに見届けた」
「…………」
「さて、話はこのくらいで仕舞いにしよう」
ふわりとした風が吹いたように思う。神の声が世界に響き渡った。
「我は天之御中主神、天地開闢に際し最初に生まれし一柱の神。世界の中心にして移ろわぬ者、すなわち、迷いを照らし導く星」
もしも再び迷うことがあればと神は言った。七人の巫女の軌跡を思い出すがいい。必ずや私に辿り着く。七つの光は私への道標だから、と。
「お別れだ人の子よ。もう二度と直に会うことはない。これからはその足でしかと、人の世を生きるがいい」
その言葉を最後に神の姿はついに見えなくなった。気が付くともとの世界にぼくはいて、隣には困り顔のゴンがいた。
「神さん、なんだって?」
「頑張れってさ」
ぼくが言うとゴンは笑った。
「頑張ってくれないと困るよ」と、ゴンが笑う。「神さんがここまでの気紛れを起こしたのは久しぶりなんだ。田中くんのことをかなり気に入っていたんだと思う」
「それは光栄!」と、ぼくは笑った。
この神社を初めて訪問した時のぼくはただのポンコツだった。
ポンコツであることは今でも変わらない。
けれども、ポンコツでもいいじゃないか。今のぼくはそう思える。
ポンコツはポンコツなりに精一杯生きていけるし、そんなポンコツを支えてくれる人たちがいる。だからぼくは、幸せだ。
だからぼくは頑張っていける。
ぼくはそう思い、清々しい気持ちでこの北辰神社をあとにした。春の兆しを感じさせる柔らかな日差しが、世界をゆったりと照らしていた。
初 稿:2019年5月25日
第2稿:2021年2月24日
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