第25話 スライム、レベルアップ

5/5
前へ
/128ページ
次へ
 聞きなれない言葉に眉を(ひそ)めた迫先輩が、 「阿呆(アホ)除け(ガード)?」  と、本気なのかわざとなのか判断に迷うボケを飛ばしてマナちゃんの笑いを誘う。そんな日曜日の昼下がりだった。最初の料理教室から一週間、(くだん)のデザート提案会は大学受験に向けて予備校三昧な日々を送るマナちゃんの隙間時間を睨んで今日になった。しかも予定外にぼくの自宅。  というのは迫先輩の店のキッチン回りが漏電でちょっとした小火(ぼや)騒ぎを起こし、改修工事が入ってしまった、という大変間の悪い理由だったりするのだが。 「そんな防御魔法があるなら是非にも使いたいところです」  けらけらとマナちゃんは笑い続けている。「最近どこもかしこもアホばかりで、勉強できるとかできないとかとは別の次元のアホが多いでしょ?」 「だから、アフォガートだって。ア、フォ、ガー、ト!」  ぼくも笑って言い返しながら棚を漁り、買ってそのまま放り込んでいた紙袋をワークトップに置いた。ついでに、冷凍庫からパイントのバニラアイスを取り出し、中身を掬って適当な小皿に移す。 「私は知ってましたよ、アフォガート」テーブルで待機するマナちゃんは言った。「アイスクリームに熱々のエスプレッソとか、リキュールなんかをかけて食べるデザートですよね?」  対する迫先輩はそんなマナちゃんの前にどっかりと座り、その説明に怪訝な顔をする。 「そんなオシャレなものを俺の店で出すってのか?」 「いや、出さない」すかさずぼくは否定した。「そもそもあの店ではアルコールの取り扱いはできないし、エスプレッソは道具を用意するのも片付けるのも面倒だし……。それにアフォガートって実を言ってしまうとぼくは嫌いなんだよ、アイスを水浸しにして食べるなんて言語道断だと思ってる」 「……じゃ、どうするってんだ?」  困惑するように唸り語を上げた迫先輩を見ながら、「ご飯にかけるの要領でね」と、ぼくは答えた。  しかしこの発言が迫先輩をますます混乱させたのは間違いない。なのでぼくは急いで二人の前にバニラアイスを置いた。脇に抱えた紙袋はまだそのままだ。  迫先輩がテーブルの上に置かれたアイスをじっと眺め、 「? 普通のバニラアイスだよな?」  と、首を(かし)げるのを見てぼくは(うなず)き、 「で、ここに取り出したるは……」などと勿体ぶって言いながら、ようやく紙袋の中をトントントンと小気味よく並べて見せた。  インスタントコーヒーの瓶、抹茶の缶、粉末状の紅茶のパック。どれも数日前にセレクトショップをぶらりと覗いて買ってきたものだ。 「ああ、なるほど!」と、思考が柔軟なマナちゃんは、すぐに合点して頷いた。「粉ですね」 「そう、粉」ぼくも頷いた。「とりあえず今日は三つ用意してみた。それぞれ好きなのかけて、食べてみてよ」  言われた迫先輩は半信半疑の顔をぼくに向けた。動いたのはマナちゃんの方が早く、迫先輩が戸惑っている前でさっと抹茶の缶に手を伸ばす。普段から料理をしている分、味の想像もすぐにできるし躊躇いがないのだろう。彼女の様子に触発された先輩も、ようやくインスタントコーヒーの蓋を開け、申し訳程度にその粒状の粉をアイスに振りかけた。そして、 「普通に、旨いな」  と、思った通りの普通の感想を返してくる。「これでちゃんとコーヒー味のアイスになるんだな」 「しかもベースはそのままバニラだし、二重に美味しくない?」  とぼくが自慢げな顔で問うと、そこは残念ながら味覚音痴の迫先輩は「二重?」と唸りだすのみ。続けて「口内調味」という言葉を持ち出そうと思っていたぼくは、その様子を見て口を噤んだ。美味しいならそれでいいか。 「まあ」と、迫先輩はもう少し多めにインスタントコーヒーを振りかけてまた一口、それから(おもむろ)に言う。「粉をそのままを振りかけているから、ほろ苦くて大人の味だとは思う」 「抹茶も美味しいですよ!」と、マナちゃんも頷いた。「確かに、これならバニラアイス一つでバリエーションが出せるから、在庫の面でも効率がいいんじゃないですか?」 「しかも粉は賞味期限も長いし管理がしやすいよ」と、ぼくが言えば、 「しっかしどれも苦いやつばかりじゃないか。あの店でそんな大人向きを出していいものか?」と、迫先輩はすぐには首を縦に振らない。  ぼくはふんと鼻を鳴らした。  そう来ると思ったからこそのマナちゃんなんだ。ぼくは切り札に向けて、 「というわけで、ここでスパッと女子高生の意見が欲しいんだけどね」  と、言った。 「私の意見がどこまで世間一般の女子高生に沿うかは(はなは)だ疑問ながら……」と、苦笑いを浮かべながらマナちゃんは言う。「でも、『大人』こそな部分がいいんじゃないでしょうか。だって、いかにもポップなアイスは他所でも食べられますもん」 「そう、それ! 差別化!」  ぼくは大いに頷いた。「もちろん、甘いものだっていずれは置いたらいいよ。砂糖入れた黄な粉とか、黒蜜とか」 「……和ですね?」 「なんかいまいち大人テイストから抜けてないな」と、迫先輩が笑う。  ぼくは慌てて、「そ、それなら苺ジャムもありっちゃあり?」と、頓珍漢なことを言ってしまった。 「苺ジャム!」  と、目を丸くする迫先輩の前で、 「いいえ、ここは絶対、大人の味で!」と、マナちゃんが頑として主張した。「なのでぜひとも無糖のココアパウダーを追加してください」 「チーズもありかなとは思ったんだよね。マスカルポーネとコーヒーでティラミス風」 「膨らませすぎだ!」  と、迫先輩が大らかに笑う。「原点に戻るが、抹茶はともあれこのコーヒーと紅茶の粒がでかいの、何とかならんか? これじゃいかにも『インスタントです』の顔してるから駄目だろう」 「潰せばいいよ」  ぼくは即答した。「今日は用意しなかったけど、乳鉢があれば簡単に潰せるでしょ?」 「……ふむ。確かに」  迫先輩は感心したような顔で顎をさすった。よし、とぼくは思ったので、 「じゃあ、ぼくのアイスでナイスなプレゼンはこのくらいにして……」  なんて調子に乗ってその先を続けようとしたら、 「アイス!」と迫先輩が目を丸くし、「ナイス!」とマナちゃんは嫌味な笑顔を浮かべる。流石に調子に乗りすぎたらしい。……というわけで、「うん、えっと」と、しどろもどろになりながらぼくはタブレット端末をテーブルの上に置いた。「今日はもう一つ話があるんだよ。ほら、前から話のあったサイトの改修の件、このブログに切り替えたらどうかと思ってさ」 「ブログ?」  と、それまで満面の笑顔だった迫先輩は途端に渋面を作り、懸念するような声を出す。「ブログってもう古くないか? しかも俺、そこまで更新マメにできないぞ」  もちろんその反応は予想通り。 「毎日更新する必要はないんだ。デザインにこだわれるいいサービス見つけたんだよ」  ぼくは急いでブログの画面を二人に見せた。  そのサービスはたまたま、仕事の息抜きにネットの特集記事を漁っていて見つけたのだ。海外発の、テキスト、音楽、静止画、動画の複数メディアを同時に発信可能なサービスだった。  現状SNSは、実名登録が売りでリアルな人間関係をインターネット上に展開するものや、短文を投稿するタイプのもの、写真で繋がるものや動画を共有するものなど、一つの特徴を前面に押し出して差別化しているものが多い。このブログはブログと銘打つだけあって長文のテキスト投稿に向いているのは当然ながら、それだけに(とど)まらない魅力を備えているのだ。個人が情報を発信するだけではなく、他サービスの情報を集めてクリップしておける機能もあり、しかも一つのアカウントで複数のブログを立ち上げられるので用途に応じて使い分けがしやすいようにもなっている。  このサービスを知った後で少し覗いてみたけれど、ぼくでも名前を知っている海外の著名なインフルエンサーのブログにすぐに行き当たったりもして、現時点でもそれなりに盛り上がっている様子だ。 「店のサイトにドメイン料を払い続けるより、無料で使えるこっちに切り替えた方がいいんじゃないかな、というのが提案の理由なんだけど」と、ぼくはページのひとつを示した。「デザインのカスタマイズが無制限なのも魅力でね」 「これ、店の今のホームページと全く一緒じゃないか」と、ぼくの示したページを見つめた迫先輩は唸った。 「そう、そういうデザインもできる」  いわゆる普通のブログっぽいこともできるし、写真のサムネイルだけをコルクボードに貼り付けるようにペタペタと表示させることもできる。HTMLもCSSも公開されているので、デザインにとことんこだわれば、自作のオリジナルなホームページを持つくらいの感覚で遥かに管理のしやすいものが出来上がるというわけだ。 「で、こっちが刷新してみたページ」  ぼくは別のページを開いた後で、書類の束をどんとテーブルに置いた。「IDとパスワードは後で貸すから、実物触ってみてほしいんだよね。パターンもいくつか作ってみたから、まあ、うん、触ってよ」  迫先輩は書類を受け取ってすぐにパラりと眺め、すぐにひゅうっと口笛を吹いた。「まっちゃん、仕事したな!」 「いや、まあ、こんなに遅くなってアレだけど……」  ぼくは鼻を掻いたその前では、マナちゃんも紙を覗き込みながら、「田中さん、レベル上がったかも?」なんてことを言う。ぼくは苦笑した。  ……ここまで頑張って上がっていなかったら、むしろ悲しい。  横のサツキがニヤニヤと笑うのでぼくが怪訝な顔を向けると、彼女は笑顔のままふるふると首を振った。最近のサツキはどうにも様子がおかしい。 「じゃ、せっかくの提案をどうするか、もう一度よく考えてみるわ」 「うん、よろしくね」  立ち上がる迫先輩に声を掛け、ぼくは二人を送り出した。  久しぶりにカナコさんから連絡が入ったのはそれから四日後、その翌日には古下さんからの連絡をぼくは貰う。  それは、あの件がようやくにして片付いた瞬間だった。
/128ページ

最初のコメントを投稿しよう!

89人が本棚に入れています
本棚に追加