第27話 六の巫女、アイラ

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 ぼくとエリカさんのその後は簡単に言えば、そのままだ。一言で言っても、そのまま。アパートの近くで顔を合わせれば今まで通りの挨拶をする、にこやかに。そう、それだけ。  あの夜ぼくたちはお互いの気持ちを確かめ合ったはずだけど、その前と後とで何かが劇的に変わるということはなかった。いや、わずかな変化さえなかったんだ。  ……おかしくない?  初日こそぼくは、ドギマギとそぞろな気持ちで一日を過ごした。次に会ったらエリカさんになんと声をかけていいものかと悩み、白状するけど、わくわくした。しかしどうやら浮ついていたのはぼくだけで、ぼくの姿を認めたエリカさんの方はさらりとしたものだった。 「あら、田中さん、おはようございます」 「……おはようございます」  そうだ。そうだとも。拍子抜けするくらいエリカさんは爽やかだった。  いや、だって、だってさ、ちょっとくらいは期待するよね? 顔を赤らめてくれたり、はにかんでくれたり、照れてくれたり、もじもじしてくれたり……そういうの。小説だって漫画だって映画だって、フィクションの世界じゃそういう恋愛の最初の段階って、お互いを意識して照れるところから始まるじゃないか。ゴンが言うようないきなりのベッドインは、ああ、確かに、確かにそういう展開もあるかもしれないけどさ、でも、そうじゃなくてさ。ってか、ぼくは、照れたんだよ。すごく。ぼくだけだったよ。ぼく一人だけが創作が謳うところの恋愛の王道パターン的な展開を期待していたんだよ。馬鹿みたいだったよ。ああ。もう。恥ずかしい!  考えてみたらエリカさんは見ず知らずの会社の、見ず知らずの人間に対して啖呵を切るような女性だ。竹を割ったようなというのはこういう女性のことを言うわけで、エリカさんはいわゆる恋愛物語のヒロインにありがちな女性像からは真逆の位置にいる人なんだ。  要するに彼女は、男らしい。  もしかしたらぼくの方が遥かに女々しくてなよなよしているんじゃないかとさえ、思う。そりゃ確かに、ぼくの方が弱っちいよ。その通りだ。なんせエリカさんに言わせりゃぼくは「守ってあげたくなるくらい苛々する」人間な、わけだから……。  ……で、そうこうしているうちに一日が経ち、二日が経ち、一週間が過ぎ……いよいよぼくは自分の記憶を疑いだしたのだ。  そう、つまり、あれだ。  あの夜のあれは、夢だったんだ。  ぼくは酔いに任せて幻を見て、あろうことか幻に対して「好きだ」とひとりで騒ぎ、幻に翻弄されて、そして浮かれて幻に抱きついた。そういうことだ。最低だ。納得した。ものすごく、納得した。  六の巫女アイラがぼくの前に現れたのは丁度そのくらいの時期だったろうか。彼女はぼくの置かれたこの状況をすぐに理解し、嘆いて叫んだ。 「なってませんわ! マスター!」  それから彼女は、頭から湯気を出さんばかりの勢いで怒った。 「ハルヒからサツキまで五人の巫女に見守られて、まさかのこの体たらくなんですの?」  その瞬間から今の今に至るまで、ぼくはアイラの設定を思って憂鬱な気分に沈んでいる。  七人の巫女を召喚したあの日、ぼくは金星に対してローマ神話のウェヌスしか思い浮かべることができなかった。そして単純な思考回路から始まる自然な流れでアイラに対して愛や美という漠然とした設定を与えた。これまでの五人の巫女にあったようなぼくの意図しない裏の設定が仮に組み込まれていたところで、アイラ自身が愛と美から大きく外れることだけはないはずだ。  エリカさんとの関係がこんな状況で、まさかの愛の巫女が登場した。こんな偶然ってあっていいんだろうか。嘘みたいだ。最悪だ。  ぼくは常に新しい巫女との邂逅時には嫌な予感を感じてきたものだったけど、アイラとの邂逅にいたっては予感以上の確信がある。絶対に、大変なことになるはずだ。間違いない。
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