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負けることなどない戦
私は殺意を抱かれている。
私を殺したいほど憎んでいるのは、私の髪だ。
朝起きる。まぶたが開いた瞬間、そこには私の黒い髪の毛先が、黒目を射貫かんと待ち構えている。しかしながら、私のまぶたをつかさどる神経周りの危機察知能力の高さと、日々の攻撃によって鍛え抜かれたまぶたの皮膚そのものが、彼等の攻撃を成就させない。
あくびをすれば、開いた唇の間から喉の奥に滑り込み、声帯を潰さんと目論むも、これも慣れた私の手が、黒いヘアゴムと数本のヘアピンを操り、あっさりと彼等をひとつの塊にまとめあげてしまう。ねじられ、その動きを完璧に封じられた髪々は、私の頭上でとぐろを巻いたまま、ほどかれるときを待つしかないのだ。
そして夜、ゴムとピンの束縛から解放された彼等の前で、最も私の体が無防備になる入浴タイムは、髪々の叛乱が始まって以来、毎夜プロのヘアメイクである伴侶が責任を持って、暴れる彼等の相手をすることになっている。彼のゴッドハンドによる洗髪テクニックの前では、髪々の怒りもすっかり腰砕けになってしまうのだ。
そして就寝時。背中でしっかりと押さえつけ、動きを封じ込めた黒髪の感触を感じながら、私は思う。
彼等が、夜中のうちに、私の首を絞めるなりなんなりすることができないのは、やはり寄生して生きるものの弱さなのか。本体を殺してしまえば自分も死ぬよりほかないことを、髪々は熟知している。だからこそ、私が本当に死んでしまう可能性があることは、決して行わない。
つまり、彼等はある意味鉄壁のボディーガードだ。
私を、死ぬよりも嫌な目に合わせる。それも結局彼等にはできない。なぜなら、それで私が死んだほうがましだと思い、死ぬことを実行に移せば、それで彼等自身もジエンドとなってしまうからだ。しかも、彼等は自分の見た目に矜持でもあるのか、いつでも艶やかな黒髪であることをやめない。彼等自身の意地によって、私は美しい髪をもつ女子と他人から認識される、という恩恵すら受けている。
そんな女子である私にとって一番困りそうなことと言えば、彼等が集団で家出する、つまり禿げるということだと思われるが、朝起きてつるっぱげになっていたところで、別に私の人生に支障などはないのだ。本来毛根のない部分にまで毛を植えつけられる、偽髪産業の発達したこのご時勢、植毛することに何を迷うことがあろうか。
禿になろうが生きていける私に、だから彼等は永遠に勝てない。
勝負のある世界に住んでいるにもかかわらず、勝つという経験が一度もできぬ運命を享受する彼らは、究極のマゾ集団なのかもしれない。勝負は、基本もちかけたほうが負けるというのが世の常である。もちかけられる側はたいてい、もはや勝負のある世界には住んでいないからだ。
——え、向こうが私に殺意を抱く理由? さあ。
〈了〉
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