ピーナッツ 2020/2/27

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ピーナッツ 2020/2/27

 今、私の家にはピーナッツがあります。オレンジ色の蓋がついた四角く透明なタッパーの中に、外の硬い皮が剥かれた状態で、中身だけがごろごろ入っています。ナッツは中で積み上がったりすることなく均等な深さで入っているのですが、タッパーを横から見ると、その深さは私の親指の太さくらいで、目測で2~3センチくらいです。  今日の朝、仕事に行く準備をしながら母が「もうそろそろこれ食べちゃっていいよ」と私に言いました。実はそのナッツは、その状態でかれこれ一か月くらい台所に放置してあるもので、もう大きな違和感もなく台所の風景に溶け込んでしまっています。台所の中では比較的新参者なのに、存在感としては、同じく台所に置いてある調味料や電子レンジと変わりません。  一か月くらい前、節分で使う豆として、そのピーナッツは買われてきました。鬼を退治するときには大豆をまくのが一般的かなと思いますが、私の住んでいる地域ではピーナッツがよく使われます。ピーナッツを、皮を剥かずにそのまま投げるんです。豆まきの後はそれを回収して、おやつやおつまみとして食べるのが恒例でした。  今年も「節分だから」という理由で母が買ってきたピーナッツですが、ちょうど今年の2月3日は家族みんなの予定がバラバラでした。バイトや仕事で帰りが遅くなる人がいたので、豆まき自体が中止になってしまったみたいです。私がバイトから家に帰ったときには、ピーナッツの皮はもう既に剥かれていて、オレンジの蓋のタッパーに入れられていました。  その状態になってから、もうそろそろ一か月経ちます。ある時に「いつかやろう」と放置したものが、急に意識の俎上に上がってくると、何となく、「もうこんなに時間が経っちゃったのか」という空虚感に似た感覚がよく呼び起こされます。今回の場合は、「早いうちに食べないと」と思っていたピーナッツを、「今はその気分じゃない」という理由で先送りにしていたらあっという間に一か月経っていて、「これまで食べようと思えば食べられる機会ってたくさんあったよな……」という風に思ってしまいました。  こんな感じの体験は、今回のピーナッツに限らずこれまで何度も経験してきたはずなんですが、その「忘れ」がそこまでの大失敗に繋がるものにならない場合が多いので、ついついやってしまうんですよね……。  少し大きな話になりますが、そうやって「今やること」と「やらないこと」の取捨選択を常日頃行う中で、「やらないこと」に仕分けした何かをどこかで「やる」の方向へ持っていくことには、頭のカロリーと少しの気力が必要になる気がします。それを手助けする一つの燃料が、自分でも分からない場所からふっとやってくる「やる気」なのかもしれないです。    ただ、それを使わなくても、ある程度のことを頭のカロリー(=思考力)と気力(=その場で行動する力)だけでこなせるようになっておくと、もしかすると毎日の選択が少し楽になるのかもしれないな、とふと思いました。「今そんな気分じゃなくて……」という気持ちは、時には何よりも大切なものにグレードアップします。その一方で、やらないといけないことを先にパパっと済ませる習慣をつけられれば、気持ちにも行動にもメリハリが生まれて、いろんなことに集中力が付くような気がします。  ピーナッツからはかなり派生した話になりましたが、月並みに解釈すると「時間があるなら今やっちゃえば?」という一言にまとめられるのかもしれません。ずっとその心づもりをキープすることは難しいので、今回のピーナッツと同じような局面に立った時に、こんな考え方もできるな、という風に思い出せるようにしておきたいです。  ということで、さっそく今からその残ったピーナッツを食べてみます。  次の更新も、よろしければお付き合いください。ありがとうございました。
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