経験との距離感 2020/3/6

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経験との距離感 2020/3/6

 一週間ぶりにエブリスタを開きました。ここ一週間は、外に出るイベントや他の優先する案件が目白押しで、PCに向かってじっくり文を書く時間がなかなか取れませんでした。  外に出て色んな人と関わったり、家に籠って案件の処理をしたり、といった日々の中で、自分自身について分析する機会がここ数日で立て続けに起こりました。ちょうど世間も私も春休みで、普段に比べると自由な時間を満喫できる期間です。ほっと一息つける期間にするはずだったのですが、日常的な忙しさから少し離れた体験をすると、普段目の前のことに一生懸命になっている頭は、いつもであれば考えないようなことを考えるようになるみたいです。それは、来年度のことや、もっと先の将来のこと、そしてそれの中で暮らしていく予定の自分のことなど、様々です。  自分について分析する機会が増えた、と書きましたが、自分自身について考える際の最も重要なソースは、専ら過去のこと、限定すると今までの経験に集約されると思います。人の思考や気分は不変的なものでは無くて、一日単位や時間単位、激しい時には秒単位で変わります。そんな目まぐるしい変化のしかたは、時には性格や行動パターンにも当てはまる気がします。その日に起きた重要な出来事が、その人の行動を変えてしまう、という例なら、この考えの肉付けとしていくつか挙げられそうです。  こんな感じで日々移ろっていく自分について、「何が得意か」「何に興味があるか」と考える時、今この瞬間の自分のみにフォーカスを当てるのでは、見極めに限度がありそうです。好きなものでも、ずっとそれと関わり続けていると偶には距離を置きたくなるかもしれないし、昔極めた特技が今はレベル落ちしてしまっているかもしれません。このことは、「あり/なし」が逆になった場合でもあり得ると思います。  明日の自分、もっと差し迫って言うと一時間後の自分が、何を考えどんな行動をしているか、今からはっきりさせることは難しいです。予定などを立てている場合は或る程度自信を持って言えそうですが、それと100%一致する自分でいることはほぼ困難なんじゃないかと思います。  これからのことは不確定ですが、「今まで起こってきたこと」はほぼ確定していると言えます。それをどう解釈するかは、その時の自分自身に依る部分が大きい気がしますが、「起こったこと」は揺らぎません。それらを、自分がどういう人である「傾向」が強いか、という観点からじっくり考えてみると、不確定な自分自身の中にいくつか通っている、他のものより少し太めな芯が見つけられるかもしれません。少しクサい言い方になってしまいますが、その芯がきっと「自分らしさ」の一つになると思います。  この考えもまた、解釈の傾向の一つに過ぎません。明日の自分がこの考えに納得しているかどうか、極端に言ってしまうとそれこそ不確定な部分です。こんな考え方もアリかも、と私が思いついたのも、ほんのつい最近の「自己分析ってどうやるんだ……?」という困りごとからです。ですが、考え方を様々に知っていることは、きっと私の生活を豊かにするお守りの一つになります。積極的に使う方法ではなくなってしまったとしても、頭のどこかにストックしておきたいという気持ちです。  たくさん考える日々が続いた後だからか、今日は今までよりすらすら文が出てきたし、今までのものより着地が見えない文章になってしまいました。コンパクトに分かりやすく書くコツを身に着けたいですね……。  次回の更新もよろしければお付き合いください。ありがとうございました。    
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