忌み島へ

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忌み島へ

 とある港からジェットフォイルに乗って島へ向かう。様々な島が点在する間を日に数回行き来きする連絡船である。  社員旅行という税金対策の一端の為に、工業部品卸の中小企業社員一同八人が休日に駆り出された中に、市井麻耶はいた。ただの一泊旅行である為、荷物は最低限に抑え下着と上着の替えしか持っていない。真夏の小さな島への旅行など化粧すら無意味と、コンビニで買った一泊用の基礎化粧品と日焼け止め、後はリップクリームだけをポーチに突っ込み黒のリュックに入れた。ジーンズにブルーのリネンシャツ。皆が一様に大きなボストンバッグを持ち、男性でさえもここぞとばかりに洒落た服を見せ合うような中、麻耶の荷物の少なさと衣服の短絡さは他の社員の失笑を買った。だがこの旅行の意味すら見出せずにいる麻耶からすれば、無意味に着飾ったり悪戯に荷物を多くする事の方が馬鹿げたようなものに見えた。しかも今回目指すのは、個人所有の無人島で、夏場だけ開業する1日一組のみ予約可能な小さなコテージが一件有るだけだと言う。格安旅行を探していた際に幹事の人間がネットで偶然見つけたものであるらしかったが、観光はおろか何の遊興も無い、ただそのコテージに泊まり、散策や景色を楽しむというだけのツアーだった。    ジェットフォイルはリゾートとして確立されている観光島へ立ち寄り、そこからはさらに一般の漁船に乗り替える。コテージに客が訪れる時だけ船を出すという船長は、日に焼けて恰幅も良く、如何にも人の良い親父という風体だったが、凪いだ波間を進みながらも、不審に思う程その表情は酷く憂鬱そうだった。 「あんた方、本当にあの島に渡るんかね」  偶然近くで海風に当たっていた麻耶に、船長が聞いた。 「はい、一泊らしいですが。夜になると海ほたるが見れるそうですね」 「夜なんか海に近付くもんじゃねぇ。着いたら建物から出ない方がええわ」  やけに真剣に言う船長の話は、他の誰にも届いていなかった。 「あの島はいかん。県の観光の為じゃいうから送り迎えはするが、普通の人間は近付かんからの。気を付けえよ」  声を潜めるように麻耶に言うと、一刻も早く元の港に帰りたいという体で、船長はレバーを押しスピードを上げた。    港と呼ぶには余りに雑把なコンクリの岸壁があるだけの場所に着岸して後、船長は明日の同じ時間に迎えに来る事を言い置いた後、振り返りもせずに直ぐに離岸して行った。予約したコテージは歩いて5分もしない場所であるという。島一周が10km程度しかないとなれば、迷ったとしても二時間程歩けばどこかには辿り着く。事前に渡されていたと思われる地図を見ながら、幹事役の営業に付いて行くと、港を右側に上がった先、一応は舗装された白いコンクリの道の先に、既に傾きかけた陽光を背に一人の男性が立っていた。 「ようこそいらっしゃいました。九工商事御一行様ですね。ご予約頂きましたコテージの主で湊と申します」  深々と頭を下げる人物は柔らかく低い声をしている。皺ひとつない白シャツに折り目の着いた黒のスラックス。えらくひょろりとした長身であり、色白で切れ長の目は上村松園などの美人画を思わせる独特の端正さだった。笑顔は無く無表情ではあったが、言葉や佇まいは丁寧で品がある。 「そうです。今日一日お世話になります」  幹事に従い全員で礼をすると、相手も再度深く頭を下げた。 「コテージまでご案内致します。本来ならばお荷物をお運びせねばなりませんが、何分私一人で切り盛りする宿ですので、そちらは何卒ご了承下さい」  皆口々に恐縮したが、麻耶にはこの言葉は、こんな辺境に大荷物で何をしに来たのだという最大の嫌味とも感じた。宿の主人と目が合ったが、相手は薄く微笑んで目を逸らせ、「こちらです」と先導を始めた。  白い舗装のされた道を今度はなだらかに下って行くと、右手に大きな白い砂浜が現れた。左手を覆う木々の鬱蒼とした湿った匂いが海の香りと交じりあい、黒潮の暖流が運ぶ独特の熱帯地方の空気を醸し出す。 「綺麗な海やね。泳ぐ事はできるんですか」  社長が聞くと、宿主は少々決まり悪そうに答えた。 「ここは砂浜が断崖の様に急に深くなっております。遊泳は近隣の漁師の方も避ける程ですのでお勧めはできません。近年はサメなどの被害もありますので余計に……。その代わりに浜からの釣りは楽しめるかと。道具は幾つか準備しておりますので、興味のある方は後程お申し付け下さいませ」  社内でも釣り好きな人間は数人いる。彼らからすればそれだけで丸一日潰せる事だろう。だが麻耶としてはこの砂浜で岩陰にでも座ってのんびり本でも読もうと目論んでいただけに、場を奪われる事は落胆でしかなかった。コテージに着くまでにあれこれと遊興の算段をするグループ分けが進んでいたが、麻耶はそれに入る事は無かった。ただ燃え上がるように赤さを増して沈みゆく太陽の輝きが、押し寄せる漆黒の波に打ち砕かれるように消えてゆく様子を見続けていた。  コテージは砂浜を見ながら大きく左にカーブした先の丘の上に建っていた。コンクリの道路から石畳を踏み、幅の広い階段を数段上がる。更に石畳が続くと大きな斜めの屋根を葺いた、木造と鉄筋を駆使したようなモダンな建物が現れる。ざわざわと揺れる防風林と思しき樹木達に覆われる姿は、闇色が濃くなるにつれ禍々しく、先程の船長の言葉と相まって、この島全体が何者かに支配されているのではないかと思わせる。強くなる風が冷気を孕み、麻耶が二の腕をさすると、宿の主とまた目が合った。自分が意識しているのか、相手が見ているのか、いずれにせよ感情の無い視線は気味が悪い。    扉を開けると檜の良い香りがし、玄関から一階は広々としたエントランス兼、食事の場となっていた。奥には薪ストーブも見え、夏場であるのに赤々と火が燃えている。 「本日は貸し切りでございます。それぞれのお部屋にも浴室はございますが、海の見える浴場も階下にご用意がございますので、いつでもご利用になって下さい」  部屋は全部で四室、和洋室が二つと和室が二つ、人数は八人が対応ギリギリの人数であるという。ギリギリと言っても一人で回すにはかなりの重労働だと思うが、そう気合を入れて人を呼び込むような商売をしている気配も無い。夏場だけ開業するという点においても恐らくこの主にとっては遊び程度の仕事の一環なのかもしれない。  渡された鍵を持ち、部屋に向かう。東向きの一番良い部屋だと聞いたが、寝心地だけ良ければそれで良かった。部屋はやはり檜の香り漂う和洋室だった。入って直ぐ右に大きめのクローゼットがあり、その奥にシングルダブルのベッドが二つ並んでいる。右手にはアンティークらしき大きい鏡台が一つ。その奥に縁側の趣で畳が敷かれ、座椅子と座卓が並んでいる。浴室等はクローゼットの向かいの扉だろう。荷を解いて、早々に明日の着替えなどをクローゼットに仕舞う。ベッドの上に置かれた寝間着は浴衣ではなく、半袖のパジャマの上衣の丈が長いもので、近年のビジネスホテルで良く見るタイプだが、肌触りが格段に良く、上質である事が分かる。浴衣だった場合を考え、インナー用のスリップワンピースのようなものを用意してきたが、必要はなさそうだ。    明日は一日この部屋で過ごしてもいいだろう。朝早く少しばかり散歩でもして、貝殻でも拾おうか。母方の田舎は海の直ぐ傍だった。ここと同じ外海だったが、波は高くうねり、ベージュ色の砂浜は比較的小さかった。だが落ちている貝殻や波に削られたガラスの破片など、美しい宝物がたくさんあった。帰郷する度に麻耶は母と一緒に砂浜に座り、時間を忘れて宝物を拾い続けた。幼い頃から美しい海を当たり前のように見て育ったからか、市内の海水浴場に行った時に、ここは海ではないと泣いた事もあった。だがここの海は美しい。見た事の無い濃紺が滑る様に波打つ様は、酷く妖しく美しかった。  
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