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2/28 お隣さんには赤い薔薇を
お題 【引っ越し】【攻略本】【赤い薔薇】
ドサ、という音とともに最後の段ボールが置かれた。これで引っ越しは終わり。大学に合わせて上京してきた俺の、めくるめく新生活が今から始まるのだ。待ってろよ憧れのキャンパスライフ! 待ってろよ俺のモテ期! 俺は大学デビューを見事に成し遂げて、可愛い女の子たちとキャッキャウフフの生活を送ってみせるのだ。モテるための攻略本だって買ったし。部活一色だったモテない青春を、今日から、取り戻す!
そのためにもまずはご近所さんにご挨拶だ。お近所付き合いは大切だって、じいちゃんも言ってた。じいちゃんの言うこと、八割がた嘘だったけど、まぁそんなのは関係ない。俺はあのじいちゃんが好きだった。手土産の蕎麦を持って、いざ出陣だ。
……あわよくば、隣に住んでいる人が可愛い女の子でありますように。
ドキドキと逸る胸を抑えて、インターホンを押す。住んでいた田舎とは、インターホンすらも違うみたいだ。俺の家のインターホンは、確かブーッと鳴ったはずだ。
少し待つ。出ない。寝ているんだろうか? 一応もう一回押してみて、出なかったらドアノブにかけて帰ろう。
ピンポーン、もう一度押してみる。やっぱり出ない。せっかくの休日だ、きっと出かけてたんだろう。仕方ないから、ドアノブにかけて帰ろう、そう思って袋を取りに帰ろうと踵を返したとき
「......なんですか」
その部屋の住人は、重低音とともに、玄関から顔をのぞかせた。反応しない俺にイラついたのか、不機嫌そうな声と顔でもう一度同じ言葉を繰り返す。薄く開かれた玄関の隙間から、飾られた1本の赤い薔薇の花が見えた。一目見ただけの印象だが、生真面目で清潔そうなお隣さんに、赤い薔薇は相応しくないように思えた。この人たに合わせるなら、もっと、こう……。
「......なんですか。あなたでしょう、インターホンを鳴らしたのは」
「あっ、はい、俺です、すみません」
「......用は」
「っ、えーと、あの、隣に越してきたので、挨拶を、と思って」
「ああ......はい、よろしくお願いします。あまりうるさくしないでくださいね。では」
閉じられそうになった扉に、慌てて足を挟み込む。その様子はさながら闇金の取り立てのようだが、気にしてはいられない。蕎麦を貰ってもらわないと。不機嫌そうなお隣さんは、俺の足を折る勢いでドアを閉めようとしてくる。痛い。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「......はぁ、なんですか。これ以上未だあると?」
「これ! 蕎麦! もらってください!」
「蕎麦?......今の世にそんなもの持ってくる方がまだいるんですね。生憎と、私は全く自炊しませんのでご自分でお食べになってください。では」
あ、笑った。蕎麦を差し出したとき、呆れた感じではあったが、確かに笑った。第一印象としては怖い人、というお隣さんだが、笑うと少しイメージが変わって...かわいい。
その考えにたどり着いた瞬間にぶんぶんと頭を振る。かわいいってなんだ、お隣さんは男だぞ!? 俺はめくるめくバラ色キャンパスライフを送るんだ!
「再三言いますが、蕎麦は食べませんので、その挟み込んだ足をどかしていただけませんかね」
「すっ、すみません。でも、自炊しないって...」
全て外食? 貧乏学生の俺からしたら、考えられないことだ。
「言葉の通りです。お金はあまるほどあるので」
「じゃっ、じゃあ、その蕎麦! 俺がゆでるので一緒に食べませんか!?」
「はぁ?」
なんで、俺は初対面のお隣さんにこんなことを口走っているのだろう。お隣さんの俺を見る目が、みるみる頭のおかしいやつを見るような目になっていく。
「......いえ、あの、すみません。蕎麦、もらってください」
何かを考えこむような様子で停止してしまったお隣さんに、無理やり蕎麦を押し付ける。受け取ってくれなかったから玄関の内側のノブに引っ掛けた。闇金の取り立てのように挟みこんであった足をそっと抜く。
「……初対面なのに、すみませんでした」
今度こそ帰ろうと踵を返す。足を踏み出した俺の背を追うように、後ろから声が響いた。
「そうですね、では今日の七時ごろでよろしくお願いします」
「......え?」
「蕎麦、茹でてくださるのでしょう?」
慌てて振り向いた先のお隣さんは、奇麗な顔でにっこりと笑っていた。ドキドキとうるさく胸が騒ぐ。
拝啓、お母さん。モテるために買った恋愛の攻略本は、全く役に立たないかもしれません──!
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