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問掛噺2「海」「車輪」「喜び」
◇◇◇
秋の砂浜でOLの地縛霊に泣きつく金髪幼女に砂時計を渡されたと思ったら異空間に迷い込んでいた。
出し抜けに何言ってんだと思われるだろうが私だってそう言いたい。
先程までの爽やかな秋晴れの空気は消え失せ、代わりにぬるりとまとわりつくような湿気た風がどこからともなく吹いてくる。
不本意なことに自分は心霊的な現象としばしば縁がある。幽霊の姿を見ることもあれば、ごく稀に執念の強い霊はこうして現実世界と似て非なる領域に人を誘い込もうとしてきたりもする。
周囲を見渡してみれば、どぎつい橙色の空、黒く淀んだ海岸、白濁した海。紫に染みた松――――趣味わるっ。
いや……これ絶対に土着の神か妖怪、猫狐狸の仕業でしょ。だってセンスないもの。いくら霊とはいえ元人間やってた奴のセンスじゃないよ。絶対あやかし的なそれだよこのセンスの悪さは。
要するに今私は“神隠し”と言われるものに絶賛遭遇中というわけだ。
途方にくれていると目の前にぼうと火の球が浮かび上がった。
鬼火と呼ばれるものだ。
それは海岸線に沿って点々と灯っていき、光に当てられた地面は本来の砂の色を露わにしている。
これはどうやら、灯りに沿って進めということか。
既に空間に囚われた身。抗ったとて逃げ場はどこにもない。今の私には進むしか選択肢はないようだ。
ザリ、ザリと砂を踏みしめ慎重に歩を進める。
そのうちに、道なりに何かの跡があることに気が付いた。
1m幅の一本の轍のような跡――。
途切れなく続く溝の中にさらに等間隔で大小の窪みが出来ている。それぞれ何かの形のようだけどなんだろうかと考えながら辿って行って……気が付いた瞬間、戦慄した。
頭蓋だ。
様々な動物の、大小様々な頭蓋が砂にくっきりと跡を付けているんだ。
遠くから重いものをゆっくりと転がす音がする。
轍、頭蓋の跡、そして一番上に誰かの足跡。それはつまり、車輪に動物たちの頭蓋を貼り付けて転がしている何者かがいるという事。
狂気の世界だ。
何、これ。何これ……私もこれからあやかしに喰われてこの動物たちの仲間入りをするっての? 冗談じゃな――……
『ひゃんっ』
なんか可愛い声聞こえたんだけど。
◇◇◇
鬼火の列が途切れている。その先は妙に暗くて窺い知れない。
その明かりがギリギリ届く距離、揺れる朧火に照らし出された岩場に人が腰かけている。背中が曲がり、暗い影を落とす顔中をこわい髭で覆った老人の姿だった。
『……ホッホ……おやおや、こんなところに人が来るとは珍しいのう……』
老人がしゃがれ声で語りかける。
ほの暗い雰囲気醸し出してるけどさっきそこで足滑らせてずっこけてたよね。
そこの砂にくっきり人の形の跡が残ってるし、髭とか服とか砂まみれだし、あとその姿も化けてるだけでしょ。実はまだ子どもとかでしょ。
『な、何故ばれたんじゃ』
はい自供も頂きましたね。こけた音と一緒に可愛い悲鳴が聞こえてきたし、さては割とおっちょこちょい?
『うう……えふんっ。よくぞこのフユキの正体を見破った、天晴れな慧眼じゃ人の子よ』
人の子……ってことは、人外確定かぁ。
フユキ、嫌な予感がするんだけど、まさか鬼だなんて言わないよね……。
『鬼などであるものか。わしの名は雪月風花を賜りし雅やかな名じゃぞ』
誇らしげに胸を張る老人。声も少し幼いものに戻っているけど、見た目はしょぼくれた老人で幼子の声というそのギャップは心臓に悪いから勘弁してほしい。
『名は体を現し魂を繋ぎ支配する。つまりわしは純白の雪のように魂の一片から清らかで汚れなき存在なのじゃよ』
清らかで汚れないフユキさんお髭に砂被ってますよ。
『おぬしにも名はあろうが、この領域で生者は名乗らぬが身のためじゃ。強欲な猿に奪われるやもしれんでのう』
言われなくとも人ならざる存在に不用意に名前を明かすことはしないけど、忠告として覚えておこう。それより、見破れたからには元の世界に帰してもらえるんだろうね?
『はてさて、この領域はわしが産み出したものではないのでのう。もしも抜け出したいというなら問いに「答え」を見つけることじゃよ』
ん?
なんのことを言っているのかよく判らないんだけど……。
『おぬしが問われておる問いじゃよ』
全く心当たりがないけど、誰に何を問い掛けられてるって?
『それはわしの口からは言えんことじゃて。そうさのう、わしから伝えられることがあるとすれば――“わしが向かう先はどこなるか?”』
おじいちゃん痴呆なの?
自分の目的地忘れちゃったの?
『失敬じゃぞ! 憐れんだ目で見るでない! わしはただ手もすまにこれを押しておったのじゃ』
その瞬間、老人の背後にいくつもの鬼火が現れる。浮かび上がったのは巨大な車輪。
数多の動物の頭蓋がついた黒い車輪だ。それを老人は大切なものを労るように、あるいは愛おしむように枯れた手で撫でる。
『ところが先程躓いた折に輪の欠片たる頭蓋がひとつ外れてどこかに転げてしもうてのう。そこでお前さんに頼みたいのじゃが』
茂った眉の向こうで老人の落ち窪んだ眼下がギラギラと異様な程に光っている。嫌な予感にひやりと首筋を寒くした。
……まさか、替わりにお前の頭蓋を寄越せとかいうんじゃないでしょうね……。
『はー、お前さん随分おっかないこと考えるのう。恐ろしい人の子じゃあ』
こんな車輪を押してるやつに言われるのは極めて遺憾なんだけど!?
『こらぁな、わしだけの輪じゃ。替わりなどききゃせん。一つ欠けりゃあどうにも進めん。お前さんも気を付けなされよ』
私にはこんな大荷物ないんだけど。
『そうさな、生者にはわからんだろうて。頼みというのはなくした欠片を見つけてほしいのじゃよ。わしはこの通りの老いぼれ故にようよう動けぬでのう』
その頼みは断れる類のもの?
『断っても構わんよ、ただ問いの「答え」が出るまでここから出られぬお前さんの暇潰しにもなろうて』
そう言われてしまうと他にやるべきこともない。この辺に転がっているというなら少し探すのに付き合ってみてもいいか。こうした場所では何か行動しなければ永遠に変化しない気がするし。
鬼火の一つがユラユラと近づいてくると私の足元をぼんやりと照らし出す。
『それを貸してやろう。きっと見つけておくれよ』
しゃがれた声に見送られながら先程来た道を戻っていく。躓いたというならあの人型にすっころんだ跡が残っていた辺りだろう。
それにしても『生者にはわからん』……ね。
『この領域で生者は名乗らぬが身のため』とも言っていた。
そしてあの老人は自らを“フユキ”と名乗った。
それはつまり、“フユキ”は既に生者ではないってことだ。
問いの内容を教える気はない……あるいは教えることができない。
“わしが向かう先はどこなるか?”
それが代わりに出されたヒント。
鬼火の道から外れた暗がりに白いものが砂の中に埋もれている。砂を払って拾い上げてみればそれは小ぶりな動物の頭蓋だった。仔犬……だろうか?
絶対に何かが起こるという予想に反して意外にあっさりと見つかってしまったけど、なくした欠片ってこれでいいんだろうか。
『おお、おお、嬉しや。これこそわしじゃ、わしの頭蓋じゃ』
無造作に差し出した私に反して恭しくそれを受け取る老人。
ねぇ、ところでさっきのヒントについてだけど……
『礼をせねばの。その明かりを持ってゆけ、なに遠慮はいらぬ』
いや、それより話を聞いてくれる?
『きっと問いの答えをみつけておくれよ、人の子よ』
だからそのことで――ってちょっと!
言いたいだけ言って車輪ごと煙のように消えてった!
耳遠いのかあのじいさん!?
生者ではない老人。
車輪に嵌め込まれたあらゆる動物の頭蓋。
一つ欠ければ進めない、替わりなどきかない自分だけの輪。
『わしの頭蓋じゃ』そう言って喜び消えていった老人。
"わしが向かう先はどこなるか?"
……あるいはあれは、輪廻の車輪。
嵌め込まれた頭蓋一つ一つが彼の生涯であり、生きた証。死と生を繰り返し、終わることなく廻る魂の循環。
だとすれば彼の魂の向かう先とは、新たな生、新たな一片。
――一つ欠けりゃあどうにも進めん。お前さんも気を付けなされよ――
その言葉は生者への激励か、この異空間に対する警告か。
この場所で私は何をすればいいのかはまだ判らない。わかったのは“自分は何かを問い掛けられているらしい”ということだけ。
気がつけば先程まで老人が腰かけていた岩の上に砂時計が置かれている。
…………すっごく、すっごく嫌だけど、取って下さいと言わんばかりにこれ見よがしに置かれているし……うーん……。
そうしておそるおそる砂時計を手に取った私は、覚悟を決めてそれをひっくり返した。
つづく
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