◇第一章◇

3/5
前へ
/81ページ
次へ
 舜一郎は水月荘を出て中華街の白虎門前まで出た。古いとはいえ、関東を襲った大地震や二度目の世界大戦の後に建てられたので「人ならざるもの」(神々、あやかし、付喪神、魔法生物を一括りにすることはかなり失礼なのだが、人間同士では彼らをこう称する)はと宣うだろう。それはそうだ。横濱は外国の神々や魔法生物(欧米にはあやかしという概念は存在しない)を度々目にし、それらとの問題も抱えるほどの異国街だが一五〇年前は半農半漁の貧しい一村に過ぎなかった。それも大地震が跡形も無く壊し、今在るのは雅号で復元した街の記憶を基に再建されたものだ。  横濱の中心ーーー横濱港以南の櫻木町、山下公園、関内、元町山ノ手辺りは西洋風の建築物がその街路に並び立っているが、中国人たちが住む中華街や関外といった海から遠くなる西側は茶褐色(ちゃかっしょく)黒茶色(くろちゃいろ)、曇り空よりも鈍い消炭色(けしずみいろ)蝋色(ろういろ)の日本式の木造建築物が立ち並ぶ。まだ雅号が西洋諸国に比べて不十分だった頃、開国を求めて来た米国(アメリカ)に対し幕府は一部の領域以外の立ち入りを赦さなかった、その名残だ。  舜一郎の住む水月荘は鐵道を挟んで、中華街の反対側に位置する。部屋は三階なので窓を見ると黒鉄色(くろがねいろ)の列車が東京方面、または静岡方面に走って行くのが見えて、その部分だけ切り取って良い絵になる。同時に横濱元町駅から関内駅へ向かう汽車を見ると紙から抜け出した墨絵の龍を思い出させる。描けば描くほど力が増し、ついには神々からも匙を投げられる程制御不可能になった『画龍現実(かいたりゅうまことになる)』。あの日から一切絵は描いていない。しかし二〇歳まで右手に持っていた絵筆の感覚と左手の和紙を押さえる手の感触は消えたことが無い。身体の記憶は心の記憶よりもずっと長く残っている。ふとした拍子に絵筆を持った指の動きと感触が蘇ってくる。それはまるで封印した『画龍現実(かいたりゅうまことになる)』が「どうして俺を捨てたんだ」と責めているようで、決まって舜一郎の姿をしていた。  舜一郎は白虎門を潜った。中華街の近くに住んでいて良かったのは中華街の料理店がどれも美味であること、家に居たくない時、中華街に溶け込めばずっと其処に居られるところだ。中華街は日本国内に在っても住んでいるのは皆、中国人だ。彼らの文化、彼らの感情、彼らの生活が有り、それを舜一郎たち日本人という異国人に見せている。不思議な場所だ。中華街に入り、当てもなく歩いていると流浪していることを許された気持ちになって、職無しの舜一郎を幻惑のように慰めてくれた。
/81ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加