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1.秘術
女神を祭る神殿の最奥に作られた一室で、ミラは深々と頭を下げた。
「実はこういったお仕事は今回が初めてなんですが。どうぞよろしくお願いします」
そなえつけられた寝台に拘束された神官は、ぽかんとしてミラの顔を見上げた。
「あなた本当にサキュバスですか? ただの村娘にしか見えませんが」
怜悧そうなまなざしが半分あきれたようになる。
一応魔女の印である黒いローブをはおったミラは、恐縮しつつも赤くなった。
「はい。普段は自分で育てた薬草を売って暮らしてます。『サキュバスの末裔』なんて言っても、今は薬草作りとか恋占いしかできなくて……。こんな依頼は初めてで、正直何をどうしていいやら」
苦痛に汗を浮かべていた若い神官は絶句した。
「あ、でも大丈夫! 大丈夫です! 家に伝わる秘術は本でしっかり覚えて来ましたから! 魔道の陣もきれいに描けたし、後は実践あるのみです!」
ミラが拳に力を入れると、神官はやれやれとため息をついた。
現在都は危機を迎えていた。不浄を清める神官が黒い力にとらわれて、闇の依り代となってしまったのだ。このままでは彼が国を亡ぼす魔性のものと化してしまう。彼の体の中にある黒い力を浄化するには、「サキュバス」と名のつけられた魔女の力が必要だった。
国をあげての捜索でどうにか探し出したものの、連れて来られた末裔はおさげの似合う村娘だった。入って来るなり床に大きな魔道陣を描いた後、神官が横たわっている寝台の前でもじもじする。その愛らしい顔立ちやひかえめな立ち居振る舞いは、どう見ても魔女──サキュバスの印象とは遠いだろう。二つにたらした三つ編みと生成りのエプロンも村娘風だ。
「神官様、体を楽にしてください。こんなに腕が冷たくなって……」
「それ寝台の手すりです」
冷ややかな声で返されて、ミラは耳まで熱くなった。ダメだこりゃ、とでも言いたげな神官の顔がミラを見上げる。
自身を傷つけないように拘束されているのだが、意志の強そうな切れ長の瞳はまだ力には屈していない。冷徹にさえ思える視線に、ミラは居心地が悪くなった。
そもそも神殿に勤めるような超エリートの神官に、ド田舎で暮らす貧乏魔女が会うこと自体あり得ないのだ。洗練された彼の身ごなしやまなざしの一つ一つが痛い。
「う……!」
不意に神官が身をよじった。汗にまみれた短髪から、あたりに大粒のしずくが飛び散る。
「だ、大丈夫ですか!?」
ぴんと張られた長い四肢が苦しみのためか強くこわばる。一瞬呼吸を止めた後、彼は深く息を吐いた。着ている白い式服もすでに汗まみれになっていて、彼の苦痛を表している。
「大丈夫……とは、言えませんが。とにかく何かできるのであれば、とっとと始めてくれませんか?」
いくぶん投げやりな口調で言われ、ミラは持って来た袋からあわてて道具を取り出した。脇に置かれたテーブルの上に、秘術について書かれた本やいくつかの紙包みをのせる。
「と……とりあえず。術を効きやすくするために、持って来たお薬を飲みましょう。えーと」
がさがさと包み紙を広げ、中から小さなびんを出す。うさんくさそうな顔つきの神官の前でふたを取り、ミラは自身でびんを仰いだ。
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