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01. 序幕
突然だが、フリスクが生き甲斐である。
どんな時も私はフリスクを食べてきた。
仕事が異常なほど忙しかった時も。
ストレスで胃に穴が開きそうになったときも。
両親から「結婚はまだか」「孫の顔はいつ見られる」と強烈な催促を受け、国外逃亡を企てた時も。
いつだってジャケットのポケットには、ひと箱のフリスクが入っていた。
フリスクは私の親友であり、恋人であり、家族だ。
いささか感傷的すぎる表現を許していただけるならば、人生という暗闇の海にぽっかりと浮かんだ希望の光だ。
そんなわけで現在、世間を騒がせているフリスク事件に関しては、遺憾の念を禁じ得ない。
世間の連中は、フリスクのなんたるかを理解していない。単に踊らされているだけだ。ビスケットに群がる蟻、或いは、プログラムに従うロボットのような存在に過ぎない。
事の発端は数日前に遡る。
さる研究機関が、こんな発表をぶちまけた。
<フリスクを一年間、食べ続けた人は、そうでない人よりも疾病リスクが23%減少する>
彼等はボランティアを募り、以下のグループを作ったという。
グループA:フリスクを食べ続けている人 500人
グループB:フリスクを食べる習慣がない人 500人
それから5年間、グループAとBの疾病状況を記録した。
結果、統計的に無視できない結果が出たというのである。
健康ブームは麻薬のようなものだ。やれコーヒーだの、リンゴだの、生牡蠣だの......一度「身体に良い」と白羽の矢が立つと、人々は我先にとスーパーマーケットに殺到する。
この研究の信憑性は怪しいものだが(そもそも「疾病リスク」とは何か? 定義が曖昧過ぎて、まったく意味不明だ)いかんせんタイミングが悪すぎた。今年は悪質な流行性感冒が猛威を振るっており、たびたび学級閉鎖や、企業内パンデミックが起こっていたのだ。
で。
この流れ便乗する不届きな輩が、次々と現れた。
あるカリスマモデルは、写真で有名なSNSに、誠にファッショナブルなセルフ・ポートレイトを添え、こう投稿した。
「毎日、フリスクを3粒欠かさず食べていたら、吹き出物が消えた。デトックス効果もあるみたい」
社会風刺のきいた俳句が話題の、米寿詩人もSNSでこう呟いた。
「フリスクは長寿の秘訣です。毎日、7粒食べております」
とどめに、かつて世間をにぎわせた有名占い師が、久しぶりにテレビに出てきてこういった。
「フリスクを毎日10粒食べると、運気が上昇します」
こうなるともう、歯止めが効かない。
人々は争うようにフリスクを買い求めた。
手始めに、コンビニからフリスクが消えた。ドラッグストアには「フリスクおひとり様ひと箱まで」の但し書きが張られた。諸外国の旅行者達は、本国では売っていなかったのか、わざわざ日本にまでやってきてフリスクを爆買いした。通販サイトではフリスクは常に売り切れだった。転売が横行し、フリスクの末端価格は瞬く間に高騰した。
フリスク一粒、1億円――。
オークションサイトで、ついにはこれだけの値段がついた。
狂気としかいいようがない。
無論、全てのフリスクにこれだけの値段がついたわけではない。
一億円の値段がついたのは《2012年物》に限る。
この年は気候もよく、フリスクに含まれるペパーミントの出来がとてもよかったらしい。そもそもペパーミントがフリスクに本当に含まれているかどうかは怪しいものだが、世間の連中は、真偽のほどなどどうだっていいのだ。要は騒ぎたいだけ、ヒートアップできればなんだっていいのである。
それはともかく。
《2012年物》の見分け方は、箱の裏面に書かれたバーコードの末尾4桁が「0483」になることだ。
私は「在庫」を探った。
有事に備え、押し入れの中にはフリスクが1000箱ほど眠っている。
よもや、こんなことで役に立つとは思っていなかったが。
思わず、舌打ちした。
あったのだ。
バーコードの末尾――「0483」。
それが、1ダース。
ひと箱の内容量は50粒。
全部で、600億円。
私は、押し入れの扉をぴしゃりと閉ざした。
私は、ただ静かに暮らしたいだけだ――
愛すべき猫と、フリスクと共に。
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