#1:幽霊トンネル

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#1:幽霊トンネル

「じゃあ先輩は見たことあるんですか?」  学食で向かい合わせに座った席から、問い詰めるように少し身を乗り出して言ったのは神木(かみき)結子(ゆうこ)。  つい2週間前にこの高校に入学したばかりで、僕より一学年下の後輩だ。 「何を?」  僕はついいつもの調子で返事をしてしまったが、それが少し彼女の気に障ったようだ。  彼女は不満そうに口を尖らせる。 「何をじゃないです、幽霊ですよ幽霊。話の流れでわかるでしょう?」  彼女の声は少し不機嫌そうに低いトーンになっていた。  幽霊はいるかいないかという問題について今まで話していたわけだから、まあたしかにそうか。  ちなみに僕は幽霊などオカルトな存在の肯定派、彼女は言うまでもなく否定派だ。 「いやまあ……ないけどさ」  僕が正直に答えると、彼女の表情は少し明るくなる。 「ほら!ほら!」  まるで鬼の首をとったかのように彼女はさらに身を乗り出した。  勢いづいて話すたびに、後ろで結んだ少し癖のある髪がふわりと揺れる。  少し大きめのブレザーの制服の肩にかかるくらいまで伸ばした髪は、僕としてはおろしていたほうが好印象なのだが、なめらかなうなじが眩しいポニーテールとなら甲乙つけがたい。  まぁあくまで個人の見解だけど。  脱線した。  そりゃ確かに幽霊というものを直接見たことはないのだけれども、僕も霊感というやつはある方でなにか奇妙な気配を感じたことは何度もある。  だがそれが幽霊の存在の証明になるかと言われれば、たしかに怪しい。  そうした気配が例えば風のせいだったり空気の温度の境界だったり気圧の変化だったりあるいは低周波騒音のせいだったりする可能性もないとはいえないのだから。 「でも見たことがないからっていないとは限らないじゃないか」  肯定できないからと言ってそれは否定ではない。  僕にしては会心の反論だったのだが……。 「いると言うならまず見てからにしてください」  ピシャリと否定されてしまった。  取り付く島もないとはまさにこのこと。  どうにも彼女はこういう話になるとムキになりがちだ。  イマジネーションの世界に身を任せる楽しさは知ってほしいものだ。 「『幽霊の正体見たり、枯れ尾花』って昔から言うじゃないですか。そう思ってみたらなんだってそう見えるものなんですよ」  ここぞとばかりに彼女は熱弁を振るう。  身長は僕の肩まで届かないというのに、こういう時はいつも僕を圧倒しそうに勢いづく。  まあ彼女は根が真面目だからいつも一生懸命で、それ故か考え方も多少シビアになりがちなのだろう。  そんな彼女に気付かれないよう、僕は壁にかけられた丸時計にちらりと視線をやる。  昼休みも残りわずかとなっているのが見えたので、僕は話を切り上げる策を打つことにした。 「それはいいんだけどさ、そろそろ食べないと伸びちゃうぞ?」  彼女はハッとして慌ててそばをすすり始め、僕は竹輪の磯辺揚げの最後の一切れを口に入れる。  昼飯代を親に出してもらっている高校生の身の上とはいえその額はそう多くはなく、食事は質素になりがちだ。 「もぐもぐもぐ」 「なんだって?」 「もぐもぐ!もぐ!」 「ちゃんと飲み込んでから言いなさい」  昼休みの間中僕達は議論というか雑談を続けていたけれど、主に喋っていたのは彼女で僕の方はといえば七割がた空腹を満たすことに専念していた。  食べ終わった食器を戻して学食を後にすると、僕らは教室へ戻るために階段を登る。  神木結子と僕は当然教室が違うので、2階の階段で別れることになる。  教室に向かってパタパタと小走りにかけて行った彼女はドアをくぐる時に一瞬振り返った。  それを見た僕は軽く手を振ってから3階への階段を登る。  しかし彼女も友達と一緒に食べれば良いのに入学以来毎日僕と一緒に学食とは。  友達はちゃんとできたのか、ちょっと不安になる。  僕のほうも2年に進級した直後ではあるものの、クラスのメンツはほとんど同じなのでそれほど困っているわけではないのだが、いつも連んでいる連中に妙な勘ぐりをされて気を使われるのはなんだかむず痒い。  あ、彼女が僕と昼食を共にするのは僕らが付き合っているからとかそういうことではない。  現に僕たちはそういう関係ではないのだ。  これは彼女に直接確認したのだから間違いない。  つまり彼女の高校受験の時に、勉強のために毎日僕の部屋に来ていた彼女に対してこんなふうに。 「なんかいつも一緒にいるけど、君って絶対僕のこと好きだよね?」  すると彼女はめちゃくちゃ早口で説明してくれた。 「はぁ!?ち、ち、違いますよ!家が隣同士で物心ついた頃から一緒に遊んでいて幼稚園から今までずっと同じところに通ってたから自然にいつも一緒にいるだけです!!」 「そうかなるほど」  彼女の至極もっともな説明に、僕は深く納得する。  そういうわけなので僕たちは付き合ったりしているわけではない。  ご理解いただけただろうか。  また脱線しているな。  午後の授業開始のチャイムが鳴る前に僕は教室にたどり着いた。  教室の扉をくぐると始業前の雑然とした様子が目に入ってくる。  自席について次の授業の準備をしている者もいるが、ほとんどはあちこちで小さなグループを作って昼休みの交流を続けていた。  僕と同じように昼休みに教室を出ていた者たちも次々と戻ってきている。  中庭や屋上で昼食中の談話を楽しんでいたものもいれば、昼食は早々に済ませて校庭で球技にでも興じていたであろう、暑苦しい熱気を放っているものもいた。  僕はといえば教室の自席近くにできたグループを目指す。 「倉田くん、おかえりー。今日も結子ちゃん、かわいかったー?」 「まあいつも通りだったよ」  僕の帰還にいち早く気がついて会話を中断し、両手を軽く上げ振って迎えた女子は田荘(たどころ)芽衣美(めいみ)。  人並み以上に大きな目と同じく人並み以上に大きな口はいつも口角が上がって愛想の良い笑みは絶えることがない。 「今度私も一緒にお昼したいんだけど、ついて行っても良い?」 「だめですよー、お二人の時間の邪魔をしてはー」  綺麗な立ち姿でおっとり系お嬢様感を醸し出しながら、田荘の隣でその願望を嗜めているのが勅使河原(てしがわら)千景(ちかげ)。  独特なゆったりとしたテンポで喋り、その声を長く聴いていると睡魔に襲われることから、「眠らせ姫」の二つ名を持っている。 「そうそう。ケンイチは結子ちゃん係なんだから」  そう言いながら椅子を後ろに傾けもたれかかって座り、片腕を真上に上げて顔だけこっちを向いて迎えた男は笛吹坂(うすいざか)実朝(さねとも)。  なんとも仰々しい名前だがこれといった由来のある家系の出というわけでもなく、特徴といったらグループ内で一番の高身長かつガリガリと言って差し支えないぐらいの痩せ型でこけた頬と大きな黒縁メガネの奥の糸目ぐらい。 「……」  そして身長は一番低いもののがっしりとした体格で格闘技経験者の風格をあらわす寡黙な男が木野倉(きのくら)龍之介(りゅうのすけ)。  家が柔道の道場で、当人も幼い頃からそれを叩き込まれて育ったらしい。  僕と実朝は同じ中学から、他の3人はそれぞれに別の中学校区からここに来て、一年から同じクラスだ。 「それでー、結子さんはいらっしゃるのですかー?」  眠らせ姫の問いに僕は肝心なことを思い出す。 「あーそう言えば……」  今朝、実朝から週末に遊びに行こうという話が出て、僕は神木結子に都合を確認するはずだったが、いつの間にか幽霊の存在議論へと脱線して結局確認を取り忘れていた。 「まあ、たぶん来ることになるんじゃないかな」  僕が少し含みを持たせた返事をすると同時に先生が教室の扉を開け、そして始業のチャイムが鳴った。  皆がそれぞれの席に戻ると食後の睡魔と戦いながらの午後の授業が始まる。  六限が終わって皆が帰り支度を始める教室で、僕達は再び集合すると連れ立って教室を出る。 「じゃあ結局確認はしてないのね」  校舎の玄関に向かう途中で、田荘が念を押すように言った。 「うん。でも帰りに聞けばいいだろ?」  玄関ホールまでやってくると、その脇で柱にもたれかかっていた小さな人影がこちらに気づき弾かれるように立ち上がって、一呼吸おいて姿勢を正す。 「先輩、今帰りですか?」 「はい、今帰りです」  神木結子は偶然ですね、私もそうなんですよ、と言わんばかりだが明らかに待ってたよね。  まあ口には出さないけど。 「結子ちゃーん」  田荘が神木結子に小走りに駆け寄ると素早くその背後に回って両腕で拘束した。  「抱きしめた」という言い方もあるのかもしれないが、これは拘束といったほうがふさわしいと思う。  実際拘束された彼女は田荘に頭を撫でまわされて、引きつり気味の笑顔を浮かべている。  振りほどこうとしないのは、彼女なりの学年ヒエラルキーに対する理解なのだろう。  先輩には逆らうべからず。  それはいってみれば彼女の学校という社会に対する信条なわけだ。  ……じゃあ僕に対する態度は何なのだろうという疑問は残るのだが。 「芽衣美さんーダメですよー。結子さん嫌がってるじゃないですかー」  勅使河原はカバンからブラシを取り出してクシャクシャになった神木結子の髪を解いてやる。 「あ……ありがとうございます、勅使河原先輩」  それを見た実朝が小声で僕に耳打ちする。 「あれはちょっと尊いですなぁ」  勅使河原に髪を触れられている神木結子は少し俯きつつ心なしか嬉しそうな表情を浮かべているようにも見える。 「そう言えなくもないかな」  僕は実朝に同意した。  靴を履き替え玄関を出たところで、僕は神木結子に週末の話を切り出す。 「今週末ですか?」 「そう。ユウは予定ある?」 「多分大丈夫ですけど、何をするんですか?」  そこで突然僕と神木結子の間に田荘が割って入った。 「幽霊トンネルの噂は聞いたことある?」 「田荘先輩?……あー、先輩がお昼に言ってた……」  神木結子は僕のことは「先輩」と呼び、他の先輩にはそれにそれぞれの苗字をつけて呼ぶ。  他はともかく僕に対しての先輩呼びは中学に上がってからだ。  小学生時代は3年生ごろから「ケンちゃん」だったのだが、僕の小学校卒業から彼女の中学入学の間に、何かが変わったのだろう。  さらに幼い頃は僕を「にーちゃ」と呼んでいたが、これは兄を意味する幼児語だろう。  実際家が隣同士で親同士も交流が深かったこともあって、僕達は兄妹同然に育てられたと言っても過言ではない。  何かというと互いの家で一緒に遊び、寝食も共にした。  いや、本当に小さい頃の話だけれど。  ちなみに僕は声に出すときは彼女を「ユウ」と呼ぶのだが、物心ついた時からそうだった記憶がある。  脱線しているな、話を戻そう。  なんの話だっけ?  そうだ、幽霊トンネル。  まあよくある怪談の一種だ。  トンネルというのは当たり前だが入り口があり、出口がある。  短いものなら入り口から反対側の出口が見通せるし、交通量の多い幹線道路のものならちゃんとした灯りがあるのが普通だ。  だが車も人もあまり通らない道につけられたものとなると、その内部は簡単な照明しかなくて薄暗く、整備が行き届いていなければ壁面がひび割れてそこから漏れ出した地下水が中の空気を冷たく湿ったものにする。  そうした場所ではしばしば何かが潜んでいるような、そんな気配を感じることもある。  何より閉鎖された空間であるのがいけない。  もちろん出口があるのはわかっているが、そこに辿り着くまでに逃げ場が全くないわけだから、何者かに襲われて逃げようというとき、たった一つの出口はきっと遠いだろう。  そして何よりたった一つの出口に至る道にさらに別の何者かがいたら?  こういったシチュエーションはホラー映画では定番だ。    また主要道路のものでもトンネルというのは事故の現場になりやすい。  それは開通後はもちろん工事中の事故もありうるわけで、そうした悲劇の犠牲者たちが彷徨っているという噂は、そういった事故の有無に関わらず囁かれるものらしい。 「で、笛吹坂君が言うにはそういうトンネルが割と近くにあるらしいの」 「へ……へー」  田荘の説明に不穏なものを感じたのか、神木結子の返事はどこか不安げだった。  その予感は当たっているよ。 「で、週末にみんなで見に行こうってことになったんだけど、どうかな?」  ほら、ね。  実のところ神木結子は怖いものがあまり得意ではない。  僕がTVでホラー映画を見ていると隣で僕にへばりつきながら毛布を頭からかぶって目だけ覗かせている。  そういうときは背中をさすってやると少し落ち着くのだが、ある時彼女が毛布の中で仰向けに寝ていて、僕そのはそれと気づかず結果として彼女のお腹から胸にかけてをさすることになり、それで互いの間の空気が少し微妙な感じになったことが……。  また脱線している。 「先輩は、いくんですか?」  彼女は行かないと言ってくれと言わんばかりに上目遣いで不安げな視線を投げかけてくる。  だが現実とは常に非情なものなのだ。 「ああ、僕もいくよ」  僕が正直に答えた瞬間彼女の目にありありと浮かんだ絶望に僕は行くことを少し躊躇いそうになったが、クラスの友人達とのイベントを放り出すことはやはりできなかった。 「結子ちゃん、怖いのかなぁ」  実朝が神木結子を気遣う。  煽っているように聞こえるかも知れないが、実朝とはそういうやつなのだ。  だがそれを知らない神木結子は強く反発する。 「そんなことないです!危ないかも知れないと思っただけで、私も行きますから!」  負けず嫌いなところは彼女の欠点かも知れない。  かくして神木結子は自らを窮地に追い込んだ。  そして土曜日。  神木結子にとって運命の日がやってきた。  彼女はきっと一週間を7日と決めた人を恨んでいるに違いない。  それが誰だかは知らないけれど、この理不尽な恨みを向けたことについてちゃんと謝罪したいところだ。  まあ仮に一週間が倍の14日だったとしても、日々を過ごしていればいずれ週末はやって来るのだから、そんな恨み言はまさに無駄な抵抗なのだが。  その日の朝、僕は神木結子を起こすためにお隣の二階にある彼女の部屋のドアをノックした。  真面目な性格の彼女が寝過ごすことは滅多にないので、今朝は相当ぐずっているのだろう。 「誰?」  かなり眠そうな声が聞こえてきた。 「僕だよ」 「先輩?」 「ああ。入っていいかい?」 「むー……どうぞー」  彼女の許可を得たので僕はドアを開ける。  部屋の隅のベッドには、寝起きで癖っ毛が爆発した神木結子がいた。  毛布にくるまった姿はまるで芋虫のようだ。  半分開いた……というか半分閉じた目は、昨晩不安で眠れず空が白み始めた頃にようやくうとうとし始めた、といったところか。 「調子はどう?行けそう?」 「うー……行かなきゃダメ?」 「ダメってことはないけど、ユウが自分で行くって言っちゃったからなぁ」 「……じゃあ、風邪ひいたことにする……」 「そうしたらみんな今日のイベントを取りやめてお見舞いに来るだろうね」 「うー……」 「どうする?」 「……着替えてくる」  芋虫はようやく羽化して無数の猫を散りばめた柄のパジャマ姿を現すと、僕の脇をすり抜けて一階へ降りていく。  僕も一階に降りて神木家の居間に顔を出すと、神木結子のご両親が朝食をとっていた。 「おはようございます」 「おはよう、ケンイチ君。結子は起こせたみたいだね」  神木(父)は体格はがっちりとした筋肉質のいかにもスポーツマンといった感じで、もじゃもじゃしたひげを顔全体に蓄えている。 「ちょっとぐずってましたけど、何とか」 「お出かけなんでしょう?ケンイチ君と一緒なのにあの子にしては珍しいのね」  神木(母)はなんでも手際良くこなす人でいかにもキャリアウーマンといった感じのスマートな人だ。  どちらも背は結構高いのに、神木結子はどうして背が低めなのだろう?  まあそれはいいか。 「出かける先が最近噂になっている心霊スポットなので」 「ええっ!心霊スポット!?そんなのがこの辺にあるの?嫌だなぁ」 「あー、それであの子ったら……」  神木結子が怖いものが苦手なのは父親譲りらしい。 「別に怖いんじゃないから!」  神木結子がいつの間にか後ろにいた。  シャワーを浴びて寝癖を直し、動きやすさを重視した服装に着替えも完了している。 「……どう……ですか?」 「(寝ぐせも治っているし、今日の趣旨に合った動きやすそうな服装だし)うん、いいんじゃないかな」 「……」  だが彼女はどこか不満げにしている。  一体どうしたんだろう? 「あら結子、その服似合ってるじゃない。ケンイチくんもそう思うでしょ?」  神木(母)のキラーパス。  ああ、そっちか。 「そうですね、かわいいと思います」 「ふえっ?」  神木結子は突然変な声をあげ、数秒間固まったように見えた。  再び動き出すと同時に彼女はー 「動きやすい恰好って言われたからで、そういうのじゃないから!」  怒らせた?  でも彼女の口元が緩んでいるのを見た気がする。  高校生ともなれば年齢的にバイクの免許を取ることもできるようになり、行動半径も格段に広がる。  だがそれは免許を取っている者といない者の格差を生み出すことにもつながるのだ。  勅使河原と田荘は持つ者でありそれ以外は今のところ持たざる者であるため、長距離の移動においては必然的に彼女たちが皆に先んずる位置を走ることになる。  田荘が乗るのはライトグリーンの丸みを帯びた原付だった。  彼女はそれを可愛いと言って大層お気に入りの様子だ。  一方の勅使河原はというと250ccのバイクに跨って現れた。  ていうか普段はおっとり系お嬢様のそぶりを見せて、一皮むけばライダースーツをばっちり着こなしバイクを駆るってどうなのかと。  キャラ付けがぶれてはいないか? 「勅使河原先輩たち、見えなくなっちゃいましたね」  一方の持たざる僕は神木結子を後ろに載せて、自転車のペダルを必死にこいでいる。  この辺りは周囲を山に囲まれた盆地になっており、比較的平坦できつい坂こそないものの、緩やかな起伏はある。  実朝はママチャリながら電動アシスト付きなので多少の起伏なら悠々と乗り越えていけるが、こちらは純粋な人力駆動のロードバイクだ。  龍之介も同じく無動力のロードバイクだが、余計な荷物がないのに加えもともと体力のあるやつだから負担ははるかに少ない。  一応神木結子の名誉のために言っておくが、彼女は見た目通りになりが小さく軽いのだ。  なんなら僕は彼女をお姫様抱っこをして運ぶこともできる。  さすがに最近はやっていないが、今でもやればできるだろう。  たぶん。  だが皆と学校前で合流して出発してからすでに三十分が過ぎており体力も限界に近くなってきた。  山がだいぶ近くなってきたが、今からあれを登ると言われたら帰ると駄々をこねそうだ。  実朝と龍之介はさっさと先に行ってしまった。  全く薄情な奴らだ。 「私、降りて歩きましょうか?」  神木結子はそれを悟ってか、山に入る緩やかな坂道に差し掛かったところで声をかけてきたが、僕は男のプライドにかけることは全くなく同意した。  なんか文章がおかしい?  いやもちろん無理をして転んだりして彼女に怪我をさせるわけにもいかないというのが第一です本当です。  上り坂の周囲は山林に連なる林に囲まれていて、まだ気温が上がり始めたばかりの春先では吹き抜ける風に少し寒さを感じるくらいだ。  僕は神木結子と並んで自転車を押しながら坂道を登る。  歩いているうちに、乱れた呼吸もだいぶ整ってきた。  ただ坂道に入ってから露骨に道路の整備状況が悪くなり、あちこちひび割れて端の方はかなり崩れてしまっているため、少し歩きにくい。  バイク組の田荘と勅使河原は大丈夫だっただろうか?  上り坂をいく神木結子は僕の横にいたかと思えば振り返りながら前を歩いたりと実に忙しない。  とめどなく話し続け、僕の生返事に怒ったり笑ったりするのは、まるで飛び回りながら囀る鳥みたいだ。  足元に気を配らないと、転んでしまわないかと心配になる。  上り坂の緩やかな右カーブをしばらくいくと、林に覆い隠された先に古いトンネルが姿を見せ始める。  ほどなくトンネル入り口の脇でみんなが待っているのが見えた。  ご丁寧にレジャーシートを敷いて座っている様子はまるでピクニックだ。 「あ、結子ちゃん、やっときた!」  僕達に気がついた田荘が立ち上がりぴょんぴょん跳ねながら大きく手を振っている。  いや、僕もいるぞ?  ようやくみんなと合流できて一息つける。  僕は道路脇に並べられた皆のバイクや自転車の横に自転車を置くと、レジャーシートに座り込んだ。  神木結子はというと既に田荘に捕われている。  実朝と目が合うと奴は満面の笑みを浮かべながら僕に向かって腕を突き出し、グッと親指を立てた。  いわゆるサムズ・アップ。  なにがだよ。 「それじゃあ少し早いですがー、皆さん揃ったことですしー、お昼にしましょうかー」  いつの間にかライダースーツから着替えていた勅使河原が、これまたどこから出したのかわからないバスケットを持ち出して言った。  そうか、バイクの後部座席についているあの箱はストレージなのか。  勅使河原のバスケットにはアルミホイルを敷いた上に俵形のおにぎりが並べられていた。  三角形のおにぎりよりも少し小ぶりだが、それがちょうど良いサイズで食べやすく、次々と手に取れる。  バスケットにおにぎりと少しミスマッチはあったが、そんなことは誰も気にしていなかった。  腹も膨れ、食休みで十分ほども過ぎただろうか。 「さーてと」  食後の談笑を切り上げるように実朝が立ち上がり視線をやった先には古いトンネルがあった。  その入り口脇には去年の秋に溜まったであろう落ち葉が堆積しており、内側はほとんど照明もついておらず、どうやら本当にメンテナンスされていないようだ。  入り口付近はコンクリートで形造られているが、少し奥に入ると壁面はレンガ造りになっている。  それほど長いトンネルではないはずだが、緩やかにカーブしていて出口を見通すことができない。  噂の幽霊トンネル。  確かにこれは何かが出ると言っても信じられる不気味さだ。  入り口の上に付いているプレートによると遠見山(とおみやま)第一トンネルとある。  第一ということは、どこかに第二もあるのだろうか?  トンネルの名前に併記された昭和十一年というのは開通年だろう。  それは僕には想像もつかない昔に思えた。  第二次世界大戦って何年だっけ? 「これはなかなか雰囲気あるなぁ」 「だねぇ、ヤバいねぇ」  実朝と田荘はかなりワクワク気味だ。  この二人はもともとホラーやオカルトといったジャンルが好きで、高校に入ってから知り合い意気投合した口だ。  僕も人並み以上に好きなつもりだったが、二人のディープなノリにはしばしばついていけないことがある。  一方で神木結子は僕の後ろに隠れながら不安そうにしている。 「ねえ、本当に入るの?」 「大丈夫、ちゃんと懐中電灯もあるから」 「そうじゃなくてぇ……」  彼女は既に半泣きになりつつある。   「あらー、これは何か出そうですねー。怖そうですねー」  その脇で勅使河原はニコニコしながらトンネルを覗き込む。 「……っす。自分、守るっす」  寡黙な男、龍之介が珍しく言葉を発した。 「あらー。龍之介さん、ありがとうございますー」  勅使河原は田荘の友人としてこのグループに引き込まれたのだが、そこは田荘の友人だけあって怖いものにも物怖じしない。  一方の龍之介は実のところ勅使河原目当てでいつの間にかグループの中にいた。  この二人にどういう経緯があったのかはよく知らないのだが、龍之介は何かと頼りになるし勅使河原もまんざらではないようだし、なによりそれぞれのやり方でこういったイベントを楽しめるのならそれは何よりじゃないだろうか。  ただ、幽霊に柔道技が効くのかはちょっとわからない。 「準備はいい?じゃあ、しゅっぱーつ!」  田荘の号令で冒険者一行はダンジョン……じゃなかったトンネルへと侵入した。  パーティーの隊列は前衛が実朝と田荘、中衛が僕と神木結子、後衛が勅使河原と龍之介に決まったようだ。  特に打ち合わせもなかったので、作戦はガンガン行こうぜらしい。  まあ一本道だから迷うことはないと思うけれど、でもホラー映画だと妙な脇道を見つけたりするからなぁ。  懐中電灯で壁や天井を照らしながら先頭を進む実朝と田荘。  話しながらスマホであちこち撮影して進むため、にぎやかな声がトンネルに響く。  ちゃんと足元を照らさないと、つまづいて転んでも知らないよ。  僕の手を痛いほど強く握りながら隣を歩く神木結子は、壁の様子を見ようと懐中電灯を前方から逸らすたびに前を照らせとキレ気味に怒っている。  もうちょっと楽しんだらいいのに……。  龍之介と勅使河原はまた別に楽しんでいるようで、背後から「あらあらうふふ」とか「……っす」とかが聞こえてくる。  結構良い雰囲気のようだし、振り返ってお邪魔するのも野暮ってもんだ。  しばらくこれといった発見もないままトンネルを進んで行く。  入り口の光はトンネルの描く緩やかなカーブに遮られて見えなくなり、やがて懐中電灯やスマホが発する以外の光は全て届かなくなった。  車で通り抜ければ一分もかからない短いトンネルのはずだが、徒歩での歩みは遅く自分達がどれほど進んだのかも把握できなくない。  スマホの地図はGPSの電波が遮られて測位を停止しているため、入り口で止まっている。  時折トンネル内の湿気で冷えた風が吹き抜けて運んでくる外界の音は、得体の知れない何かの低い唸り声のようにトンネル内に反響した。   「あっ」  おそらくトンネルの半ばに差し掛かったであろうあたりで田荘が上げた声に全員の足が止まる。  何事かと覗き込んでみると、汚れたゴミのようなものが壁際に置いてあった。 「これ、花束みたいだね」  実朝が懐中電灯で照らしながら呟く。  どうやらかつてトンネル内で事故、それも死亡事故があったのは本当らしい。  包み紙は時間経過で薄汚れ、かつて花だったものも萎んで色を失い細い枯れ枝のようになっていた。 「だいぶ古いものだね。最近お参りした様子もないし、僕達の爺さんや婆さんの世代だったのかも」  一同は無言で手を合わせる。  ここに出るという幽霊はこの忘れられた人のものだろうか。  トンネルをさらに進むとやがて出口の光が見えてくる。  入口は右カーブだったが、出口は左カーブになっていた。  どうやらあの花束があったあたりがちょうど中間地点で、そこを中心にS字を描いていたようだ。   「なにも出なかったねぇ」  実朝と田荘はやや落胆気味だ。 「先輩、もう帰りましょうよー」  神木結子はもはや虚勢を張ることもできなくなっていた。 「そうだね、帰ろっか」  田荘が踵を返してトンネルに向かうのを見た神木結子は大慌てで叫ぶように言った。 「田荘先輩!なんでまたトンネルに入ろうとしているんですか!?」 「だって、これしか戻る道ないよ」  それを聞いた時の絶望っぷりは神木結子史上たぶん最大級だっただろう。  再び一行はトンネルの中へと足を踏み入れた。  神木結子はもう出口まで目を閉じていると決めたらしく、僕の背中に顔を押し付けてしがみついている。  歩きにくいけどまあ仕方ないか……。  入り口からの右カーブが再び外部の光を遮断して、暗闇の中に僕達は沈んでいった。  風が止んだのか、トンネルの中で僕達は耳が痛くなるほどの静寂に包まれる。  歩みを進めるたびに微かな靴音が聞こえるだけで、まるで外の世界など無くなってしまったようだ。 「なんだあれ」  自分が眠っているのか起きているのかわからなくなるような静寂は、実朝の発した声で破られた。 「どうした?」 「いやあの壁の窪みなんだけど、こんなの行きにあったっけ?」  実朝と田荘が懐中電灯で照らした先には、確かにトンネルの壁を横に一段掘り下げた窪みがある。  作業員の待避スペースか何かだろうか?  そこには分厚そうな鉄板でできた扉がついていて、さらに奥へと入れるようになっているようだ。  だとしたら機材置き場? 「行きは反対側の壁沿いを歩いていたんだし、見落としていただけじゃないのか?」 「そうかな?そうかもしれないけどなぁ?」  実朝は僕の唱えた見落としただけ説にどうも納得がいかないようだ。  そして実朝は鉄の扉をいじり始めた。 「どうするつもりだ?」 「中になにがあるのかなと思って」  だが扉には頑丈そうな金属製の掛け金に、これまた丈夫そうな錠前が据え付けられていてとても開きそうにない。 「無理でしょ、これ」  一緒になって扉をいじっていた田荘も諦め顔だ。 「そうかー、残念」  実朝も諦めて立ち上がり、みんなが帰り道に向かおうとしたその時……。  ガチャン。  背後で重い金属の何かが、硬い地面に落ちる音がした。  全員がその音に振り返る……いや、神木結子だけは僕の背中にへばりついていたが。 「あれでしょうか?」  勅使河原が不安げに呟き、指差した先には、つい先ほどまで実朝と田荘がいじり回していた錠前が落ちていた。 「さっきは触ってもびくともしなかったし、確かに鍵はかかっていたんだ」  実朝がどこか弁解するように言う。  その時、金属が擦れ合って軋む重い音がトンネル内に響いた。  それはゆっくりと開く鉄製の扉の音だった。 「なにか……出てくる?」  田荘がつぶやいた。  光のないトンネルの中なので表情は見えなかったが、青ざめて怯えた表情をしているんじゃないだろうか。  すっと誰かが動いてみんなの前に出る。  龍之介だ。  心強い。  でも出てくる相手によっては逃げたほうがいいかもしれないぞ。  やがて扉の軋む音が止まると、隙間から短い枯れ枝のようなものが四本、音もなく姿を現して扉をつかむ。  それは乾涸びた人差し指、中指、薬指、小指だった。  つまりはかなり乾涸びているようだが、人の手らしきものだ。  前衛に立った龍之介以外は後ずさる。  正確には僕だけは後ずさろうとしたが、背後に神木結子がいるためそうできなかった。 「先輩、どうしたんですか?」  後ずさろうとする僕に押された彼女はそのままの状態で僕に質問した。  鉄の扉の向こうからは、何者かが次第に姿を現しつつあった。  乾涸びた指先に続くのは同じく乾涸びた腕。  ボロボロの上着を纏ったそれに続き現れた、黄色く丸い物体を被った部分は、乾涸びた人の頭だった。  黄色い物体はヘルメットらしいが、それは何かで叩き潰されたように大きく歪んでいる。   「大丈夫だから、ゆっくり後ろに下がって……」  後ずさり始めた神木結子に合わせて僕も後ろに下がる。  鉄の扉から全身を現したそれはミイラ化した作業員といった風体だった。  幽霊じゃないじゃん!  噂なんて信じられるものではないな。  その頭はこっちを向いているが、その目は……顔面に開いたただの暗い穴だった。  それが僕たちとの間合いを詰めるようにゆっくりと前進する。  その手は僕たちのだれかを捕まえようとするかのように突き出されていた。 「……ッイ!」  一瞬何が起こったのかはわからなかったが、それは突然宙を舞い地面にたたきつけられた。  間合いに入った龍之介が間髪入れず肩越しに投げ技を放ったのだ。  相手は実体のない幽霊じゃなくて実体のあるミイラだから投げられるのか……いや、そんなことを考えている場合ではない。  それはともかくさすがは龍之介だ。  得体のしれない相手でも楽々と返り討ちにして見せた。  ……だが現実はそれほど甘くはなかったようだ。 「見て!」  田荘が悲鳴交じりの声を上げる。  見ると鉄の扉からさらに二人のミイラが姿を現しつつあった。  そればかりか今しがた投げ飛ばしたやつも、のっそりと起き上がりつつある。 「ぅぉおおおおおお!」  寡黙な男龍之介の意を決したような雄たけびがトンネルに響くと同時に、彼は新たに出現したミイラたちに突進した。  実朝も起き上がりつつあるミイラ男と田荘の間に入って身構える。 「さっきからどうしたんですか?」  僕の背後から神木結子の声が聞こえ、僕の脇から顔をのぞかせた。 「どうって、見てわからない!?」  僕は神木結子を庇いつつ、この状況につい強い口調になる。 「そんな、怒鳴らなくってもいいじゃないですか……」  彼女は本当に訳がわからないと言った様子で、僕の語気に若干怯えている様子さえある。 「木野倉先輩はなにをしているんですか?」  振り返ると龍之介はさっき現れた二体のミイラたちを相手に立ち回っていた。  掴みかかろうとするミイラの手を取って投げ飛ばし、足をかけて叩き落とす。  だがミイラたちは倒されてもすぐに起き上がるばかりか、扉の奥からさらに二体が姿を見せていた。  実朝と田荘と勅使河原は三人がかりで一体相手に鞄を振り回したりして応戦しているが、倒してもすぐに起き上がるミイラ相手では部が悪いらしく、すでに動きに疲れが見え始めている。  僕も加勢したいところだが、神木結子の安全が第一だ。 「あの扉からミイラ男たちが出てきているのが……」 「扉?」  僕の必死の説明に、彼女は呆れたような顔をして、扉に向かってスタスタと歩き始める。 「ユウ、だめだ!」  だけど彼女は僕の言葉には耳もかさずにそのまま歩き続けた。  僕はすぐさま後を追おうとしたのだが、龍之介と対峙していたミイラの一人がこちらに気がつき、目が合ってしまった。  ミイラが僕の方に向かってくる。  それに気がついた龍之介は素早く背後を取って首を締め上げる。  だがミイラに絞技は効くだろうか?  そして龍之介が背後を見せることになってしまったもう一体のミイラが、龍之介に迫る。  僕は龍之介に背後から迫っていたミイラに突撃し、タックルを喰らわせてなんとか吹っ飛ばすことはできた。  だが慣れないことはするものではない。  僕もそのまま足を絡ませて転倒してしまう。  地面に打ち付けた痛みに眩暈を感じながら、僕は神木結子がどうなったのか確認しようとした。  転んだために方向を見失っていた僕は周囲を見回して、扉の前に立っている彼女を見つける。 「この扉がどうかしたんですか?……て先輩!?大丈夫ですか!?」  転んだ僕を見て駆け寄ろうとする彼女に扉から現れたミイラたちが襲いかかる。  その時、僕は叫んでいたのだと思う。  神木結子がミイラたちに襲われる。  僕は立ち上がろうとするが、転んだ衝撃からか、まだ脚がうまく動かない。  そして駆け寄る神木結子にミイラたちが掴みかかった瞬間……。  何が起こったのか、僕には理解できなかったので端的な事実だけを言うなら、ミイラたちはトンネルの壁まで吹っ飛んで衝突の衝撃で粉砕された。 「……は?」  訳がわからなかった僕は、思わず声を出してしまう。  一方の彼女はぶつかって立ち止まるどころかよろけもせずに彼女は僕のそばに駆けつけると、僕の肩を持って立ち上がるのを手伝おうとする。 「躓いたんですか?ちゃんと足元見ないから……」  心配そうに僕を覗き込む彼女だったが、その背後からさっき僕がタックルで倒したミイラがのそりと起き上がり彼女の肩を掴んだ。 「ユウ、危ない!」  僕が叫ぶと彼女は振り返り背後を確認する。  彼女を掴んでいたミイラは……彼女が振り返る動作に振られて、トンネルの壁まで吹き飛んでいった。 「何もないですよ」  神木結子は吹き飛んだミイラが壁に叩きつけられて砕け散った音にすら気がつかない様子で言った。  再びミイラが粉砕されたことで他のミイラたちは彼女に注目し一斉に襲い掛かる。  だがミイラたちは彼女が僕を助け起こし立ち上がった動作にまた吹っ飛ばされ、今度はトンネルの天井に叩きつけられて粉砕された。  最後に実朝たちが相手をしていたミイラも応戦しに来たが、これもまた神木結子の一動作に振り回され、吹っ飛んでいってしまった。  いったい何が起きているんだ?  彼女が突如怪力娘に変貌したのだろうか?  だが転んだ僕を助け起こそうとする彼女はそんな怪力を持っているようには見えない。  ……いや、今はそれについて考える時ではない。  大事なことは一つだけ。   「ユウ、怪我はないか!?」  僕は彼女を捕まえると、ミイラたちが触れた可能性がある部分を調べる。 「ちょっ!?先輩!?」  彼女は抵抗するが、その力はやはりいつもの神木結子だった。  幸いなことに彼女は傷ひとつないようだ。 「大丈夫みたいだな」  僕は彼女を解放するが、そこにいたのは顔を真っ赤にして震えながら僕から目を逸らす神木結子だった。 「……ユウ?」  そこで僕は気がついた。  彼女に怪我がないか調べていて、色々触っちゃまずいところに触れた気がする……。 「あー、結子さん……?」 「先輩……」 「はっ、はい!!」 「ああいうこと、もう、しないでください……」  彼女は目を逸らしたまま、涙を浮かべて震えながら訴えた。 「はいーーーっ!!」  僕は思わず土下座をしてしまった。  トンネルの出口まで、神木結子は僕のそばを離れて勅使河原と田荘に縋りつきながら歩いていた。  時々こちらに視線を向けるが、目が合うとすぐに逸らしてしまう。  実朝と田荘はあの扉の向こうがどうなっているのかしきりに気にしていた。  あんな目に遭ってまだそんな余裕があるとは、やはりこの二人にはついて行けそうもない。  それ以外は特に変わったことも起こらず、やがて僕たちはすんなりとトンネルの外へ出ることができた。  どれほど時間が経ったかと思っていたが、外は太陽の光が燦々と照りつけ、冷たく湿った空気のトンネル内に慣れたあとには暑く感じるほどだった。 「何か追いかけてくるかと思ったのになぁ」  実朝と田荘は何事もなくトンネルを出られたことに物足りなさを感じているようだが、僕はあんな体験は二度とゴメンだ。  全員が無事出口までたどり着いたことを確認すると、今日はもう解散となった。  各自自転車やバイクにまたがってこの場を後にする。  僕と神木結子も来る時と同様に自転車に二人乗りしてトンネルを後にした。  帰りの道中、僕と神木結子はなんとなく互いに気まずい空気の中、終始無言だった。  神木家の前で自転車を止めた僕は、自転車から降りた彼女と互いに俯きながら向かい合う。  微妙な距離をとって立ち尽くす二人。 「……」 「……」  数分間の無言。  いや実際には数秒だったのかもしれないが、僕にはそのくらいに感じられた。  不意に神木結子は僕に駆け寄ると、僕の胸に顔を押し付けながらその両腕で僕をハグした。 「ユウ?」 「……」 「……」 「……先輩に触られるのとか、別に、嫌じゃない。ただあのときはちょっと……突然だったし……乱暴な感じがして……びっくりしただけで……」 「……ゴメン……」 「……なんで……あんなことしたの?」 「あれは……ユウが怪我していないかと思って」 「……変だよそれ。転んだのは先輩の方じゃない。それにみんなも突然暴れ出したりして……」  僕は説明に窮した。  あの時、神木結子以外は確かにあのミイラたちを見ていたし、それぞれに戦いすらした。  だが彼女にはそれが全く見えていなかったようだ。 「もしかして、みんなで打ち合わせとかしてた?私を脅かそうとして」  僕の胸のあたりから聞こえる神木結子の声がが少し不機嫌そうになった。 「いや違う。それはないよ」 「絶対?」 「うん、絶対」 「そう……」  また無言。 「この歳でおばあちゃんかぁ。ちょっと早かったわねぇ」  突然神木(母)の声が割って入る。 「お母さん!?」  声に驚いた神木結子は突き飛ばすようにして僕から飛び退き、バランスを崩した僕はその場に尻餅をついてしまった。 「あっ、先輩!ごめんなさい!」 「お父さんは、そういうこと、また早いと思うんだけどな!」  声の方を見ると、いつの間にか音もなく開いた玄関に神木(父)(母)が並んで立っていた。 「違うから!そういうんじゃないから!」  神木結子は神木(父)(母)に向かって顔を真っ赤にしながら全力で否定する。 「あらそうなの?まあいいわ。ケンイチくんはどうする?色々お話も聞きたいし、うちに寄って行く?」  神木(母)は目を細めて笑う。  その微笑みに僕は背筋が凍りそうになるのを感じた。 「いえ!今日はもう帰ります!」  僕は状況がこれ以上悪化する前に退散することにした。  家に帰りついてから僕は自室のベットに身を投げ出して、あの時神木結子に何が起きたのかを考える。  トンチや屁理屈レベルの理屈はいくつか考えついたが、真面目に考察すればすぐに矛盾が顕になる。  そんな中、かろうじてあの状況を説明できそうな理屈が一つだけ浮かんだ。    僕たちには確かに見えて触れることさえできたミイラたちが、彼女には見えないばかりか、その攻撃が彼女をよろけさせることさえできなかったのは何故か。  もし仮に神木結子の視点で見るとあのミイラたちが存在しなかったのだとしたら……。  要は物理学の作用反作用の問題なのだ。  質量を持った物体同士がぶつかると、それぞれの物体の間で運動エネルギーの移動が起こる。  ビリヤードの球がぶつかったところを想像すればわかりやすいだろう。  止まっている球に真っ直ぐ別の球がぶつかったなら、ぶつかった球の運動エネルギーは止まっていた球に移り、ぶつかった方は停止して代わりに止まっていたほうが動き出す。  この現象は二つの球の質量が等しいために起こる訳だが、ここでもし質量に差があった場合はどうなるか。  運動エネルギーは 1/2mv²、つまり質量m掛ける速度vの二乗の二分の一であり、ぶつかり合った物体はその間で運動エネルギーの移動が起こるが、もしぶつかられた側の質量がぶつかった側の質量よりも小さければ、同じエネルギーを受け取ったなら速度vはより大きくなる。  つまりぶつかった側の速度以上でぶつかられた側は弾き飛ばされるわけだ。  では、あのミイラたちの質量が0もしくは限りなく0に近かったらどうなるか。  質量が0ということは存在しないと言い換えてもいいだろう。  この場合、神木結子がミイラを吹き飛ばすのに必要なエネルギーは……0になる。  神木結子に触れたミイラたちが次々と弾き飛ばされたのは、まさにそのような理屈だったように思える。  神木結子にとってミイラたちは質量0の存在であり、つまり存在しないので姿も見えず触れられても怪我をするどころかそれを感じ取ることもできない。  そういうことだったのではないだろうか。  ……いや、この説もかなり荒唐無稽だ。  だいたいなぜそうなるのかの説明が全くできない。  ほかにあの現象を説明できないか考えるうちに、疲れもあったのかいつの間にか僕は眠ってしまった。  週が明けて学校からの帰り道、僕たちは町の歴史に関する資料を探すために図書館へ立ち寄った。  目的はもちろんあの幽霊トンネルに関する資料探しだ。  トンネル入口のプレートに記された「昭和十一年」という時期を頼りに過去の新聞や町の歴史資料を紐解いていく。  遠見山第一トンネルは昭和六年に着工し昭和十一年に竣工した自動車用のトンネルで、遠見山の向こう側の海岸地域との交通確保のために建設された。  当初は直線のトンネルとして計画されたが、当時の技術では掘削が難しかった岩盤の存在が明らかになったため計画を変更して、そこを迂回する形で現在のようなS字型のトンネルになったらしい。  この計画変更による工事の無理がたたってか、建設中の落盤事故によって数名の作業員が犠牲になったようだ。  開通まで五年を要する大工事になったが、その原因となった岩盤迂回のための曲がった構造は何度かの車両事故も誘発したらしい。  なお第一トンネルの工期遅れにより計画されていた第二トンネルはキャンセルされ、また昭和三十年代に入って建設されたより大規模なトンネルによって第一トンネルはその役目を終え、現在では使用する人もほとんどいない忘れられたトンネルになっているようだ。 「そうか、あのミイラたちは工事中の事故で生き埋めになった人たちだったのか……」 「先輩、ミイラってなんですか?」  神木結子はまた不穏なものを感じ取ったようだ。 「いや、ユウは気にしなくてもいいことなんだよ」 「なんですかそれ?」 「結子ちゃん、霊感ないんだねぇ」 「笛吹坂先輩、それどういう意味ですか!」  前にも言ったが実朝はこういうやつで、当人には煽っているつもりは全くないのだ。 「こんなのもあったよー」  机の向かい側に座っていた田荘たちが新しい資料を発見したらしい。 「建設中の事故で慰霊碑が建てられたらしいね」 「でもこの遠見山永光寺ってどこ?遠見山にお寺なんてあったっけ?」  調べてみると戦後に他の寺に統合されて廃止されたらしい。 「それって建物は残っているのかなぁ?」  実朝、なんでそんな妙なことを気にするんだ? 「もし残ってたら……?」 「廃墟探検だ!イェー!」  実朝と田荘は目を輝かせてハイタッチを交わす。  神木結子は不安げな表情を隠すように僕の背後へ移動した。  勅使河原は静かに微笑んでいるが、あれは多分田荘に従うつもりだろう。  そして龍之介は勅使河原のナイトのつもりだろうか、その傍に寡黙に立っている。 「結子ちゃんはどうする?」  田荘が神木結子に選択を迫る。 「私は……」 「今度のはトンネルほど怖くないと思うよ」  しつこいようだが、実朝に煽っているつもりは全くないのだ。 「行きます!怖いとかじゃないですから!」  かくして神木結子はまたしても自身を窮地に追い込むのだった。 <<つづくかもしれない>>
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