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崩壊
透明な私は遠くに見える巨大な水門を眺めた。
すると水門は不機嫌に重い腰を上げ始めた。
貯水された水は、突如の目覚めに動揺の様相を呈するも、喜々としてこの状況を受け入れ、干からびた水路を走った。
次第にかさを増して水路を乗り超え、触れる全てを取り込み、大きな体躯の濁流へと変貌していった。
よく見れば、こちらに向かってくる濁流の先端には奇怪な人面の「それ」を黒い水流が模倣して、大きな体躯の顔を成しているではないか。
危険と破壊に満ちた魅惑と好奇心につられ、土手から深淵を覗こうとする子供と、それを助けようとする大人も飲まれてしまうようにやがて全てを飲んで食べた。
どんな純粋な空想も、純粋さを奉る美しい記憶も言葉も介在を許さない。
ススキ野原を食べ、噴水を飲み込むと、黒い濁流は通りという通りの突き当りにぶつかる。電柱も町をつなぐ電線も、新しい草の匂いがする畳、ひんやりした石の家の煤けた匂いの暖炉も取り込み、凶暴さを増して黒茶色へと従える。
透明な私は、坂道の途中でその光景を眺めた。
しかし私自身はその飢餓に満ちた食事の光景を前にして驚くほどに冷静なのだ。
私はやがて飲み込まれた。
真っ黒な激しい流れの中で、透明で無防備な私は滅茶苦茶に上と下へと殴打された。あるのは痛烈な痛み、肉体のない私を、物理的な鈍痛が存在のない腹部を殴り、手足がよじれ、顔面の骨に強く衝突する。
「それ」は私の透明な、顔のない顔にぴったり張り付いて、叫んだ様相を呈していた。私は奇怪で非対称な人相の顔を持った。
すると黒い流れの中を次第に走馬灯のように幾多もの流星のような光が駆けるようにして通り過ぎていった。
光の群生の中をもみくちゃに私と「それ」は流れていく。
そのような光の数が増えていくに連れて、濁流の流れの抵抗も重力もなくなっていった。ただ痛みとともに、摩擦のない無重力を推進していく。
しばらくして数々の光でとりわけ一番強い光を放つ恒星にたどり着いた。
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