3、トラック野郎の「バカ野郎!」

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 くもり雲に乗った三毛猫の背中を追いかけて、上空の更に上へ上へと向かう。このまま登っていくと、宇宙と言う場所に辿り着きやしないかと不安になるが、見えて来たのはお寺のような立派な門構えで、建物の色は朱色で統一されていた。  朱の鳥居をくぐって、鼠色と黒と白のレンガを敷き詰められた道を、雲越しに浮いて進むと、これまた建具に負けないぐらい赤い顔をした般若のような表情を浮かべた大男が座っていた。  ひぃ、ど、ど迫力。  真っ赤っかな顔で、手も足も建物と同じ色だ。  人間が怖がっていた鬼と言う生き物に似ている。角は見当たらないが口からはみ出した牙が獰猛(どうもう)さを物語っている。 「閻魔(えんま)大王様、ペットボトルめを連れて参りましたっ!」 閻魔大王はわたしをギロリとみて、口をグッと閉じて震えた。そして、物物しく頷いた。 「分かりましたっ! すぐに業務に当たらせますっ!」 何が分かったのかわたしには全く伝わらなかったが、三毛猫はそう言って閻魔大王の横の椅子を前足で示した。 「ペットボトルくん、閻魔(えんま)大王様は只今、息こらえ中だ。業務が始まるまで君もあの椅子に座って、息こらえをしててね。僕も今日は話しすぎちゃったから、太陽の近くまで行って、日向ぼっこしてくるにゃ」 閻魔大王も息こらえをしているのかと驚いたが、とりあえず、わたしは言われた通りに彼の椅子の横に雲ごと座った。 この雲は上空では足の代わりで外そうと思っても離れない。現に閻魔大王の足にも大きな入道雲がまとわりついている。  わたしが息をこらえようと大きく息を吸った瞬間。  シャン、シャン、ガシャァァァーン‼︎‼︎ と言う、ハンドシンバルの音がけたたましく鳴り響いた。その音に(おのの)いて、わたしは息が止まるかと思った。 「…さて、始めよう」 腹の底に響く、地を這った低い声に、息が止まりそうになった。腹に底に響くと言っても、わたしの中身は空っぽなのだけれど、中身の空気は間違いなく閻魔大王の声で振動した。 「では、これより、判決を行おう」  判決?  わたしが疑問を浮かべたと同時に、寺の前に白い着物を来た人間たちが、ずらずらと入って来た。  閻魔大王の前に、白髪交じりの、あご髭を蓄えた中年太りの男が、堂々とした出で立ちでずいっと進み出た。  ひつじ雲に乗った黒猫が咳払いをし、台本のようなものを前足で持って、声をあげた。 「えー、この者。生前はトラックの運転手をしており、勤務態度はいたって真面目。定年の65歳を迎えるまで雨の日も、風の日も、嵐の日も荷物を運んでいました。私生活では妻と子供三人を大事にしていました。風俗には何回か行きましたが、浮気はしていません。嘘も苦手で人生で11回しか嘘をついていません。1回目は友達が残した給食を自分の物だと偽って、罪を被ったこと。2回目、本当は忘れていない教科書を隣の友人に貸して、忘れたと嘘をついた事、3回目は……以下略。とりあえず、小心者ですが優しい男です。最後に二酸化炭素の排泄量はーーー」 そこで黒猫は台本を落として、にゃー⁉︎ と声を上げた。 「…どうした?」 相変わらず腹に響く低い声で閻魔大王が、黒猫に尋ねると、黒猫は震えながら台本を拾い、続きを読み上げた。 「生涯の二酸化炭素の排出量は…67トンです」  黒猫は絶望にも近い、項垂れた様子でそう言って、前足を震わせた。  わたしが閻魔大王の顔を見上げると彼の顔はさらに赤くなって、湯気でも出そうなほど紅潮していた。 「そうか、…残念だ」  閻魔大王はそう言って、小さく息を吐いた。  その様子を見て、トラックの運転手はガクガクと震え出した。閻魔大王は彼に向かって無情に言い放った。 「この者、地獄だ!」 「…え!?  なんで地獄なんですか? 悪いことしてないじゃないですか?」  初めての仕事で、口を挟んではクビになってしまう可能性もあったのに、目の前のトラックの運転手が余りにも理不尽な判決を受けていて、思わず声が出てしまった。それに、わたしの仕事が何なのかもまだ分からない。説明もなかった。  わたしが声を上げたのを不審に思ったのか黒猫がこっちを見た。 「まさか、君は判決のルールを知らないのか?」 判決のルール? わたしはない首を傾げた。代わりに緑のキャップが傾く。 「あ、待ってくれっ! 俺、俺は、毎日、真面目にトラックを運転して、荷物を、運んでいたんだっ! なの、に、なんで、地獄なんだっ! 納得がいかないっ! 理由を教えろっ!」 唾を飛ばし取り乱すあご髭を、閻魔大王は相変わらずの赤い顔で見下ろして言った。 「この地球温暖化末期の32世紀に、二酸化炭素を排出した罪は決して許されるものではない。普通の人間は大体年間に0.3トン程度で…」 閻魔大王は目線を移して、わたしをジィッと見た。判決を言い渡されているのは自分ではないのにドキドキしてしまう。 「人間が1年に排出する二酸化炭素の量は、そこにいる500mlペットボトルの約600本分だ。お前と同じ年代の男なら、生涯4万本程度の20トン。お前は3倍以上の15万本程で67トン。よって、罪は重い」  運転していたトラックの排気量も追加されるなんて、とわたしは歯が震えた。歯なんてないんだけれども。 「くそっ! 真面目に仕事にしてきたのに…。 チキショー!」  トラックの運転手は取り乱して叫び始めた。立ち上がって閻魔大王に殴り掛かろうとするとすぐさま、(うろこ)雲に乗ったトラ2匹が男を取り押さえて、引きずって鳥居の外に向かった。 「くそっ! おいっ! やめろ! 離せっ! 二酸化炭素なんて、見えないのに分かるか! バカ野郎っ!」  トラックの運転手の男は、閻魔大王を相手に二酸化炭素の排泄量を更に上げていた。トラに運ばれて行った彼を複雑な気持ちで見送っていると、頭上から地を這うような低い声で閻魔大王がわたしに告げた。 「初仕事にしては、判決を聞いても顔色ひとつ変えなかったな。二酸化炭素の排気量の目安にもなる。さすが、ペットボトルの神だ。褒めて使わす。そのまま、我の補佐として励むが良い」  何もしていないのに、その思わぬ褒め言葉に顔に熱が集まり、赤くなっている気がした。赤くなるわけないんだけれども。
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