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堕ちる
どうやって帰って来たのか、記憶があやふやだった。
楠部を突き飛ばすように走って、走って……大束のマンション。俺はリビングのローテーブルに突っ伏していた。
「大束……俺……真面目になる」
「……今日はもう飲め」
「真面目になる。やり直す。やり直したい」
借金を返して、楠部から自立したい。原因を作ったのはあいつだ。でも、ここまで落ちたのは、俺が弱かったからだ。
「そういちろう……」
名前を口に出すと、目の前がぼやけていく。頬に暖かいものが伝って、自分が泣いていることに気が付いた。
顔を上げると、ソファに放り投げていた黒いコートがあった。楠部のコート。手を伸ばして、引き寄せていた。
「古柳?」
「なんで……なんで」
楠部のコートに、頬擦りをした。懐かしい匂いがする。嗅ぐと落ち着いて、安心できる匂い。この匂いに包まれて、ベッドで眠るあの瞬間、確かに幸せだった。
優しくて、お金を貸してくれて、セックスする以外は、友人だった時のようにでかけて、食事をして……
「やり直したい……あいつと、友達に戻っ、てっやり直したい」
友人だった時の、あの頃に戻りたかった。そのためには、金を返さなくてはいけない。
楠部の手のひらで転がされるように、そこに甘えてきたのは自分だ。
全てを清算して、あいつと向き合いたい。
「お前はやり直せるんだよ……頑張ろうな」
スパークリングワインが空になったところで、大束がグラスを持ってきた。オレンジ色の液体から、オレンジジュースのようだった。
「うん……大束、あり」
「将な、た・す・く」
「あ、たすく……うん」
大束は爽やかな笑顔で、俺からコートを奪うように取り上げた。寂しくなった手に、グラスを渡される。すっきりとしたオレンジの匂いがした。
「お前、すぐ酔うから、もうジュースで良いか?」
「ありがとう……」
ぐらぐらする頭で、グラスを傾けた。オレンジジュースの甘酸っぱい味が、咽喉を潤していく。
「会社には代わりにメール出しといたから。まぁ、就業時間外だったから、相手も気にしてなかったぞ」
「ん……」
美味しくて、一気に飲み干すと、大束が笑い声を上げた。
「?……あ、なに?」
「口の端から零れてるぞ、ったく、どんだけ酔ってんだ」
唇の端を、太い親指で拭われた。擦り付けるような強い力に、違和感を覚えた。
「あ……?たすく、もうだい、しょぶ……?」
「駄目だよ。ほらぁ、服にも零れてる……脱げ」
さっきより頭がぐらぐらする。視界まで揺れて、気が付いたらリビングの天井があった。立ち上がろうとして、大束に肩を押し付けられた。表情が見えない。
「た、しゅ、く?」
「さく……」
起き上がろうにも、下半身が重たくて、視界がぼやけていた。酔い覚ましにジュースを飲んだはずなのに。
耳元に暖かい風を感じた。大束の……吐息……?
「朔、俺は――」
ぼやけた視界が、徐々にクリアになる。見慣れない天井……どこ?頭を動かした時だった。
ぎょっとした。
自分の顔があり、鏡かとまじまじ見つめると、違った。ピントがずれた、俺の写真。自分のまつ毛まで見える、至近距離で撮られた写真。記憶にはなかった。
「――は?」
写真は一枚だけではなかった。ベッド横の壁に、寝顔、教授との談笑、授業中の頬杖……ありとあらゆる俺の写真。全て、撮られた記憶が無かった。
「『君は学問も僕より出来る。頭も僕より好い。僕は君を尊敬している。尊敬しているから救いに来た』」
横を向くと、こちらに背中を向けて、デスクチェアに座る男。逞しい背中から、誰かなんて、考える必要も無かった。
くるりと、椅子が回転する。文庫本を片手に、男が立ち上がった。
「起きたか?」
「は……た、将?こ、ここ、どこ?」
「ん?俺の部屋」
淡々とした大束は、文庫本をベッドに放り投げた。思わず、表紙を見ると、夏目漱石『虞美人草』。混乱する頭で上体を起こし、ベッドから起き上がろうとした。
「?」
足首が引っかかる感覚に、掛布団を捲った。細い銀色の鎖が、足首を拘束していた。見慣れない道具が、徐々に頭を動かしていく。これは足枷……?
「は?なに、これ?は?」
意味が分からず、また信じたく無い気持ちで、顔を上げた――見下ろす大束の目に、覚えがあった。初めてホテルに入った時の、楠部の目。そっくりだった。
ぞっとして、部屋を見渡した。写真がべたべた貼られたデスクの横に本棚があった。
ハードカバーの夏目漱石全集が揃えられ、文庫本まであった。山本周五郎、坪内逍遥、芥川龍之介、白鳥正宗……名だたる文豪の名前が並んだ本棚に、息を呑む。
忘れもしない。俺が好きで、何度も繰り返し読んできた文学。読書会でプレゼンして、楠部と交換してきた小説だった。
「な、なん、写真っ……本、読まないって」
俺の写真が、壁いっぱいに貼られた異様な空間に、頭が混乱した。ベッドの上でもがいていると、大束がベッドに腰掛けた。
スプリングが揺れる音に、体がビクリと反応した。
「俺は、お前を理解しようとした」
太くて長い腕が伸ばされた。スローモーションみたいに、ゆっくりと指が、首を掴んだ。
ぐっと力を入れられ、呼吸をしようと口を開いた――視界が揺れる。天井ではなく、大束の顔が目の前にあった。
「た、たす、く……っぐ」
「可愛いなぁって、ものにしようとしたら、もうあいつが犯っちまってた」
「っぐ……うぅ」
大束の「あいつ」が誰を指すのか、下半身に体重をかけられて、ますます苦しくなった。
「俺のものにしようとしたのにな。だから、お前が読んできた本も全部読んだよ。楠部とは楽しそうに交換して、俺には一度も勧めてこなかったな」
「た、す、苦しっ」
「お前はあいつの上っ面に騙されて、借金漬けになって……本当に馬鹿だよ」
熱を帯びた瞳が、輝いていた。楠部も俺に乗っかる時、こんな目をする。大束は薄い唇を舐めていた。ああ、こんなところまで、楠部にそっくりだった。
「可愛いなぁ」
暴力的な目とは裏腹に、甘ったるい声だった。
「俺は……ああ、そうだった。これ」
「な、なん、や、嫌っ」
すっと、首から圧力が無くなった。ぜぇぜぇ息を吸っていると、大束の腕が伸びて……ベッドに備え付けられた引き出しから、茶封筒を取り出した。
「な、なに」
「三百万って言っただろ?」
ベッドに放られた茶封筒の口から、万札の束がちらりと見えた。
「お前が、楠部に買われた額……前金だ、受け取れよ」
「何言ってんだよっ」
信じられない気持ちで怒鳴ったら、顎を掴まれた。太くて、熱を持った指が、頬に食い込んだ。
「た、す」
「――返してやる、楠部への借金。俺が、お前を買ってやる」
息を吸おうとして、シャツを引き裂かれたことに呼吸が止まった。熱を持ったような手が、胸を這い回る。
あいつは危険だーー楠部の忠告。脳内に蘇った時には、遅かった。
「汚れてるな、お前の体」
「や、やめろっ!、将、たすくっ!」
「大丈夫だから。綺麗にしてやるからな」
湿った感触に、鳥肌が立った。胸を舌で舐められて、楠部との感覚が甦って来る。
「早く突っ込みたいけど、咥えたいな」
「っ……つぅ」
「お前のちんこ、舐めたかったんだよ……これでお前の全部、俺のもんだよな」
かちゃかちゃとベルトを外された。足を動かそうとして、拘束された絶望感が増した。
嘘だ
嘘だ
大束は俺を真面目にしたいって……嗚咽が漏れると、大束の手が止まった。
「……お前が一人で生きていけると?」
「う、つぅ、ぐぅ」
「楠部の檻で甘やかされたお前が、自立する?――人の手で育てられた動物だって、野生じゃ生きていけないのに?」
前髪を掻き分けられて、頬に熱い息を吐かれた。俺にのしかかっている男は、荒ぶるものを静めようと――下半身を擦り付けていた。
ごりごりと硬くなった剛直の熱を感じて、泣き声が漏れた。
「可愛いお前が、檻の外で生きていけるわけないだろ?」
「や、やめっ、ろっ、大束っ――ぐぅっ」
喉からひしゃげた声が出る。俺の全身を弄っていた大束の手が、首にかけられた。
「大束じゃないだろ?たすくだ、たぁすぅく……ほら」
「が゛あ、ぐぅ……っ、だ、ずぅぐ」
「かわいいなぁ、さーく」
「な、んんっ、ぐぅ」
キスをされて、肉厚の舌が侵入ってきた。怯えて引っ込んだ舌を吸われ、ぐちゅぐちゅと音が洩れた。
「んんっ、ん、~~~~っ」
舐めつくすように、大束の舌が口内を動き回る。犯されているような気分に、涙が溢れ出していた。
「はぁ、っ俺が、新しい檻を用意してやるから、なぁ、朔」
俺の上で、大束は唾液に濡れた唇を乱暴に拭った。
「あ、……ひっ」
「ああ、可愛い。お前の全部が可愛いよ、さく」
大束の、もう片方の手が、太ももを這い回っていた。下着に手を突っ込まれて、乱暴に尻を揉まれる。
手をかわそうと体を動かしても、枷に引っ張られて、足首に痛みが走った……太くて骨ばった指が、そこを無造作に、こじ開けた。
「あっ、やめっ、い……っ」
「あれ、おかしいな」
大束は首を捻りながら、何本も指を入れてきた。指がなかで折り曲げられたり、好き勝手なことをされて、呼吸を忘れた。
視界に、壁いっぱいの写真。涙でぼやけたそれが、大束の異常性を語っていた。俺をここまでおびき寄せるために、友人のフリをしていたのかと、叫び声を上げた……情けない泣き声だった。
「あっ、たす、く、あ、や、やめて、ぇ」
「――どうして言わない?」
顎を掴まれて、横を向いていた顔を正面に戻される。どろりと熱を持った、大束の目があった。
「いっ…な、なにが?」
「――ちんちん、ケツまんこぐちゃぐちゃ?だったか?」
「いぅっ」
嘲る調子で、ぐりっと人差し指が動いた。秘所をこじ開けるように、乱暴に動いたかと思えば、そっと内壁を撫でる指――締め付けると、大束が笑みを深くした。
気持ち悪い、気持ち良い、気持ち悪い……嫌悪と快楽の波がきて、俺のものが反応し始める。前立腺辺りを探り当てられ、声が出ていた。
「レンタルルームで随分、楽しんでたな」
「あ、ああっ、あんっ、な、なんで、知って」
冷たいジェルのような液体が、股間に落とされた。ぐちゅ、ぐぷ……聞こえてくる水音に、耳を塞ぎたかった。
「お前を車で迎えに行く時は正直、焦ったよ。お前につけてた盗聴器(やつ)、GPS付きだったから」
「やぁあ、ああっ」
指を抜き差しされて、体に痙攣が走った。顔を上げると、俺の勃起したペニスに、大束が頭を近づけていた。
「っううう」
GPS付き……レンタルルーム……どうして、いつ……快感に喘ぎながら、記憶を思い出そうした。俺がいつも身に付けているもの……大束に食事に誘われた日、コートの襟を直された……?
「お前のちんこしゃぶり放題なんだよな?全部、俺のものになったんだよな?な?朔?」
「うわ、~~~く」
生温かいものに包み込まれた。馴染みのある感覚に、足をバタつかせようとして――体重をかけられた。
「んっ……朔」
たっぷりと唾液を含ませた口が上下する。じゅぷじゅぷと水音がして、口を離された。薄暗い部屋で、口から伝う唾液が光を放つ。
はっ、はっ、はっと獣が、息を吐く。唾液を舐め取るように、舌舐めずりをしていた。
「やっと手に入れた」
~第一部完~
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