番外編〜大束将〜

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番外編〜大束将〜

『あー……あいつ、楠部の取り巻き』  ボート部の一人が、土手を指差した。桜が舞う、気持ちの良い季節。公園を自分の部屋だと勘違いしているのか、時おり背中を丸めたり、背伸びをしたり――寛いだように文庫本を読む男が一人。 『こやなぎ、だったろ?』 『あ~、そんなんだった。あの楠部様にべったりな……金魚のフン?』  一人があからさまな口調で、揶揄した。周囲が同調するように、ドッと笑う。午前中の練習が終わり、気が抜けた休憩時間。面白いネタが見つかったと、周囲が騒がしくなった。 『やっぱ楠部様に媚び売っとくと、就活とか有利になんのかね』 『あいつの父親、鈴仙重工業のトップだろ。なるんじゃね?』 『やー、庶民は必死だね』  周囲の軽口など、嫌でも耳に入ってくる。うちのボート部は、比較的裕福な家の学生が多かった。だが編入の外部生が多く、初等部から進級した内部生と外部生の対立――下世話な噂話で、鬱憤を晴らすところがあった。  楠部聰一郎  名前を知らない者は、この大学にいないだろう。初等部からエスカレーター式で上がり、中高はNYで過ごしたとか。  生まれた瞬間から全てを持っている人種。  おそらく社会の上位数%の階級に属する男は、粗を探そうと躍起になる連中を、微笑で一蹴していた。  家柄、容姿、人柄、全てが完璧(パーフェクト)。常に楠部の周りには人が集まり、人気者――外部生は影で、楠部様だ、取り巻きだと嘲笑っていた。  あんな男、いただろうか。 楠部の取り巻きなど、常に顔がぼんやりしている。全く、記憶になかった。 『あ?どした?大束』  名前を呼ばれたが、無視して土手に向かった。風が吹いて、桜の花びらが飛んできた。『こやなぎ』という男の周りにも、花びらが舞った。  近づくと『こやなぎ』は楠部の美貌には隠れるが、顔立ちが整った美男子だと気が付いた。だけど体が駄目だった。華奢とか細いを超えた、ガリガリ。それこそ風が吹いたら、吹き飛ばされそうな、頼りなげな雰囲気だった。棒のように細長い腕で、文庫本を捲っていた。 『……なにか?』  はっと我に返った。随分長いこと『こやなぎ』を見ていた。不審げに、眉を潜める彼に、話しかけた。  ……俺が狂ったのは、多分、あの出会った日。  捲れた掛布団から、青白い脚が覗く。昨日、舐め回した、肉付きの悪い脚だった。スマフォの画面に触れ、画像を拡大する。ベッドに寝転がる肢体から、目が離せなくなった。 「――あと五分程で、着きます」 「ああ」  楠部にコートを返したのが二十分ほど前。車が行き交う都心の道を、タクシーの運転手が、車を走らせていた。  隣に座った秘書の声に、適当に返事をする。スマフォに映った動画――部屋に付けた監視カメラの映像は、画質も良く、朔の表情までよく見えた。ベッドで文庫本を読んでいるらしい。  表紙から、ピンときた。彼と出会った日、手に持っていた小説が忘れられず、何度も読み返しては――もう、復唱できる。特に宗近が、小野に真面目になれと「正す」場面は。  きゅっと締まった足首には、いつもの鎖は付けていない。朔を閉じ込めてから、リビングから玄関に出るドアに、外側から鍵を付けた。  一人の時は、ある程度、自由に歩き回らせている――自殺なんか考えるなよ。監視カメラ、付けてるからな。  脅しに『変態』『頭おかしい』と朔は罵ってきた。セックスの時は腰を振って、あれだけ可愛く泣くのに。楠部に開発された後だと考えれば腹は立つが、朔の痴態に、夢中になっていた。  ベッドで日夜、体を弄り回して、泣かせて、何度もいかせる。もう出ないと泣き喚く朔に挿れると、体が痙攣するのが、たまらなかった。 中イキして喘ぐ朔に、ペニスを締め付けられる瞬間。こちらが持って行かれそうな感覚に、俺は何も考えられなくなる。 『お前は可愛い』  気が付けば、体液に塗れた男を抱いて、繰り返していた。 自分は自制心の強い人間だと思っていたが――あいつと出会ったからだ。 色気など無い肉付きの悪い体と濡れた目が、おかしくさせる。夢中になって腰を振りたてるのに、後から後から、欲が湧いてくる。毎晩、暴れる劣情をぶつけるように、朔を抱き潰していた。  画像をこのまま見ていたら、下半身が反応する。リアルタイムの画像を中断して、アルバムを漁った。 朔の笑顔、ぼんやりした顔、寝顔……口の端から涎を垂らして、焦点が定まっていない目。股を大きく広げて、なかのサーモンピンク色の襞が綺麗に撮れていた。  俺のお気に入りの一枚。腹には乾き始めた残滓が点々と、後を残していた。今日は四つん這いにして、バックでやろうか。  深いところまで入るらしく、朔の体が喜ぶ体位だった。 「――社長、こちらを」 「ああ、買ってきてくれたのか……ありがとう」  秘書が差し出したのは、星新一のショートショートセレクション。楠部とカフェで話している間、書店で買ってきてくれと頼んだ文庫本だった。  パラパラ捲ったが、内容よりも朔の顔が浮かんだ。読んで早く、話がしたい。  小説なんて、十代はほとんど読んだ記憶がなかった。人の空想にふけるなんて、時間の無駄だと切り捨てていたのに。  それが朔に会ってからだ、あいつだ、あいつの存在が、俺の何かを変えた。  ……桜が舞う公園で会ってから、また「こやなぎ」の名前を聞くことになった。  理工学部の「古柳朔」が出した懸賞論文。AIの機械学習で、データベースの活用はどう変わっていくのかを論じていた。  教授にそれとなく聞いてみると、近年稀に見る優秀な学生、院は海外を勧めているとか、絶賛する声が次々と出てきた。  楠部の取り巻きAではなく「古柳朔」に会いに行こう。  講堂で会った彼は、公園で会った時のことなど忘れているのか、はいはいと適当に頷くだけだった。  腹が立った。 自分の家は楠部ほどの財力はないし、外部生ではあるが、それでも人は初対面で、遜った態度になる。人を惹き付けて、従わせる能力はあると――自惚れではなく、客観的な事実だった。  イベントのサイトでも作ればいいのかと、端から馬鹿にした態度が滲み出る男に  こっちを見ろ。  軽んじた態度に傷ついた反動か、怒りが生まれた。  起業したばかりの仲間に古柳を会わせて、彼に役職を与えた。最初は嫌がっていた朔も、同じレベルで話ができる同僚に心を許したのか、楽しそうにしていた。  でも俺が何の本を読んでいるのかと聞いても『言ってもお前には分かんねーだろ』とか『話しかけんな』とか、素っ気なかった。  同僚達と和気あいあいにして、楠部――よく見ると、確かにキャンパス内で、あの男にひっそりと従う姿を確認した。  お互いに文庫本を差し出して、楠部は内緒話をするように体を寄せていた。朔も嬉しそうにページを捲ると、指を差して、熱心に話し込んでいた。  俺を見ろ。  怒りは大きくなっていた。  今ならはっきり言えるが、周囲に諫められても、朔に絡んでいたのは、彼を好きになっていたからだ。公園で会った男が、ずっと印象に残っていた。  だけど同性に惹かれた経験はなく――自然と朔を目で追ってしまう、得体の知れない感情に振り回されていた。  恋愛と言う面倒なプロセスを省き、割り切った相手と寝るのが、最も合理的だと信じていた。 感情の起伏が高まる人間関係など、うっとうしいだけ。だけど「古柳朔」には、こちらを見て欲しい、あの頃は感情が乱れて、ムキになっていた。 あいつが何を考えているのか、知りたい。でも教えてくれないなら……彼が読んでいる本を遠目から確認して、探し出す。手に取ることもなかった小説に、没頭していた。  物語だけでは飽き足らず「古柳朔」の情報をかき集めていた頃、不穏な噂を耳にした。 『古柳だろ?あいつ、やべー噂あるぞ』  ギャンブルにハマって、多額の借金をした。サラ金に手を出している、借金取りがアパートに押しかけて、内臓売った……  とんでもない話だった。まだ会社は立ち上げたばかりだったが、役職として、十分な報酬は与えているはず。すぐに噂が事実かと、問いただそうとした時だった。  見ていた景色が、一変したのは。 「あら、おかえりなさい」 「ただいま」  セキュリティカードを通して、自社に帰ると、廊下でジェニファー・チャンと遭遇した。朔が逃げるように辞めた役職に指名されたのが、彼女だった。  厚手のセーターに、スキニージーンズ姿のジェニファーは、片手にノートパソコンを持っていた。 香港出身、MITを卒業した彼女は日本文化――アニメや漫画が好きらしい。学生時代、翻訳されて輸出されるのは時間がかかるからと、日本にきた。 「なんか久しぶりじゃない?出張から帰ってきたら、いきなりリモートワークするとか言い出して、会社来なくなるし」 「言ったろ?猫飼い始めたって」 「将が猫とか、意外。動物を可愛がる気持ちとかあったんだね」 「まぁ……でもそろそろ戻るよ。君もいなくなるから」  ずけずけとした物言いに、苦笑が漏れた。今は漫画も、雑誌が発売されれば、即ネットで配信が始まる世の中になった。便利な社会になったと言う彼女はもうじき、シンガポールの支社長になる。  廊下で立ち話をする形になり、腕時計を見た。そろそろ帰らないと。 「なんだっけ?拾った?捨て猫だったんだよね」 「いや。奪(と)ったんだよ、人の猫を。可愛くて我慢できなかったんだ」  一呼吸、間が空いた。 「……犯罪よ」  潜めた声に、吹き出した。 「冗談だよ、ジェン!本気にしないでくれ」 「も~、変なこと言わないでよ……あんた普段、冗談とか言わないから」  冗談、に安心したのか、肩をバシバシ叩かれた。笑いを堪えるために、奥歯を噛み締めた。  つい最近、猫を飼い始めた。可愛い黒猫。元は室内飼いだったのか、毛並みが綺麗だったよと話したのが、一ヶ月前だったか。 「猫の写真とかないの?見せてよ」 「写真?あー……動画もたくさんあるけど、見せられない」 「なんでよ?」 「分からない?可愛すぎると、誰にも見せたくないって気持ちになるんだ」  本当は見せたかった。部屋に監視カメラ、付けてるんだ。リアルタイムで可愛い猫の様子が見えるんだよ、と。 「仕事中毒のあんたがね~、猫に夢中になって、会社、傾けないでよ」 「何言ってんだ。猫のために働くんだよ」  スマフォのアルバムには何百枚と写真が収められている。特にお気に入りの一枚は、彼女が見たら卒倒するだろう。 「あ、後任のねぇ……彼、来るんでしょ?」  彼女は目を輝かせていた。昔、朔とは技術的な話で盛り上がるらしく、意気投合していた――胸のむかつきが抑えられなくて、よく二人でいるところを邪魔していた。 「久しぶりだし、ね、先に連絡先教えて。引継ぎもあるし、あとほら、メンバーも変わった人いるから、紹介しておかないと。親睦も深めないとね」  朔が帰ってくると、ミーティングで報告した。一番に喜んだのが、彼女だった。顔を綻ばせた様子に、ただの同僚以上への好意を読み取る。早めに摘み取っておくか。 「……ジェン、お手柔らかに頼むよ。可愛い恋人を任せられるのは、君しかいないから」  目の前の顔が、硬直する。動揺したのか、前髪をかきあげていた。 「あ……そう、知らなかった。ええ、ほんとに……あ~、いつから?」 「ついこの間」 「あ~、そう。うん、まぁ、仕事とプライベートは切り分けてよね」 「分かってるよ。朔を頼むな、ジェン」  廊下で別れ、部屋に資料を取りに行く。来月、このオフィスに朔がやってくる。みんな、彼を歓迎するだろう。  ポケットに入れたスマフォを取り出した。ベッドで黒猫が寝ていた。寝顔は幼くなるから、可愛い。帰ったら、髪を梳きたくなった。  楠部の取り巻き  それが「古柳朔」の評価だった。金魚のフンのように、金持ちに媚びようと必死な外部生――  評価が一変したのは、朔の忘れ物を届けようと、地下の駐車場に入った時。  最初のオフィスは都心から離れた、二十三区外にある事務所だった。廊下の蛍光灯は点滅して、ただ広いだけが取り柄の古いオフィスに、パソコンを置いた。  そんな場所だから、地下の駐車場は薄暗く、車を停めるのは俺だけだった。  朔がデスクに忘れていった文庫本。ブックカバーを外すと漱石の「虞美人草」だった。これなら俺も読んだ。  届ける口実に話しかけようと外に出たが、人影がなかった。おかしい。駅から離れた場所にあったので、後ろ姿ぐらい見えるはず。  首を捻りながら、しんと静まり返った駐車場に入った。乱れた息遣いと潜めるような声に、足を止めた。  かすかに聞こえる声を辿って、おそるおそる非常階段に近づいた。どうしてあの時、足が動いていたのか、分からない。 ……今は見なければ良かったと、少し後悔している。あれからだ、俺が狂ったのは。 『そう、聰一郎、お願い、待て、って、なぁ』 『駄目。ここで脱いで』 『そういちろぉ……』  弱々しく名前を呼んでいたのは、朔だった。柱の陰から見えた光景に、唖然とした。  もがいて抵抗する朔に、巻き付いたように抱き付いた楠部。朔のシャツをたくし上げ、無遠慮に手を突っ込む様子に――文庫本を落としそうになった。  涙目になった朔にキスを繰り返して、楠部がベルトに手をかけていた。  恋人同士でしかあり得ない、性的なじゃれあい。ショックの大きさから、目が離せなくなっていた。 『明日ね、記念日だから。朔が誓約書にサインした日から一年』  朔は嫌だ、嫌だと首を振っていたが、楠部の一言で凍り付いた。記念日、誓約書、サイン。単語が耳にこびり付いていた。  楠部はジーンズのチャックを下げると、跪いた。一目で高価なスーツだとわかる生地を汚して、朔の局部に顔を近づけた。 『っあ』  蕩けた声が上がった。朔は楠部の髪をめちゃくちゃに掴んで、腰を振っていた。 『ああっ、あ、んん……っ』  半開きになった口から、嬌声が洩れる。下半身が熱い。気が付いた時には既に、半勃ちになっていた。朔の喘ぎ声が、暗い湿ったコンクリートに響く。  まるで脳内を犯されているようだった。口淫されて、あんな反応をするのだ。俺がフェラしたら、ベッドだったら、挿入したら……あの日から、自慰のオカズは不健康そうな男になった。  呻き声が聞こえて、朔が射精したのが分かった。楠部は飲み込んだのか、口元を親指の腹で拭っていた。 『朔、記念日だからね……現金とかがいいかな』 『……そういちろぅ』  放出した朔が、泣き出した。号泣しながら『ごめんなさい』と、楠部に縋りついた。 『ごめん、ごめんなさいっ、お、俺、やめようって、やめたい、のにっ、か、金返すからぁっ』  異様な光景だった。記念日、現金、やめる、金を返す……単語から導き出された。朔は楠部に借金をしている?ではサラ金だとか、内臓を売ったというのは、ただの噂か。  楠部は微笑を浮かべていた。朔を抱きしめると『いいんだよ』と言った。 『お金、気にしなくいいんだよ。いくらでも貸してあげる……返す時は、分ってるよね?』 『そ、そういちろぉ……』  頭を撫でられ、朔は目を真っ赤にしていた。二人が唇を合わせると、駐車スペースに水音が響いた。  堪らず、その場から離れた。フェラには興奮した癖に、キスには――恋人同士のようなやり取りに我慢できなかった。  二人のやり取りを盗み見て以来、俺は本格的な調査を開始した。噂話程度の収集ではなく、友人や家族関係を洗い出した。盗聴器やGPSを着けて、本人の行動を監視した。  常識を逸脱した行為だと、頭の片隅では理解していた。それでも事実が明るみになっていくにつれ――朔が楠部の取り巻きではなく、楠部が朔に執着しているのではと、疑い始めた。  楠部は、無尽蔵に金を与えているらしく、朔はギャンブルに、のめり込んでいた。 湯水のように金を使わせる目的とは一体。誓約書とやらにあるらしいが、内容は不明。  だが金に縛られて、朔は楠部に付き従っている。楠部から離れることができない朔――これが楠部の目的だったら?  楠部の金とセックスとギャンブルに溺れている朔。  底なし沼に沈められた彼を救いたい。 宗近が、倫理観のない小野を「真面目になれ」と正したように。  朔と出会った――きっかけとも言える、夏目漱石の「虞美人草」。あの小説で、まともなのは宗近だけだった。清く正しい男。俺がもっとも好感が持てる人物だ。 宗近のように、俺が朔を正すのだ。  調べ尽していることなどおくびにも出さず、真面目になれと説き続けた。ひとつ誤算だったのは、揺さぶりをかけたら彼が会社を辞めたことだった。あの時、俺に縋りつけば、金を返してやったのに……随分、遠回りをしてしまった。 「ただいま、さく?」  こちらに背中を向けた、ベッドに横たわる猫。頭を撫でると、うざったそうに顔を背けられた。 「おかえりぐらい返事してくれないのか」 「変態と会話する気ない」  文庫本を捲る彼が、愛おしくて堪らなかった。髪に指を通して、額にキスをした。 「虞美人草、読んでるんだな……俺は宗近が一番好きだ。まともで、道理がある」 「俺は一番嫌い」 「どうして?登場人物の中で一番、清く正しい」  首筋に鼻をくっつけると、同じボディソープの香りが漂ってきた。同じ部屋に住んで、俺の手料理を食べて、同じベッドで寝る。  少しずつ、彼が俺のものになっていく実感があった。 「どこがだよ。小野と藤尾の仲を引き裂いて……クソ野郎だ」  悪態をつく朔の首筋を人差し指でそっと撫でた。途端、体がビクビクと反応し始めるので、笑いが込み上げた。  楠部に沈められた頭はギャンブルに溶け、体まで開発されていた。セックス中、挿れて、挿れてと火が付いたように泣く男の背中を優しく撫でた。 『……三百万』 『三百万で売ったのか……体を』 『……うん』  膝から崩れ落ちてしまう感覚。誓約書の内容を吐かせて、寝た経緯に愕然とした。こいつは三百万で、たったこれっぽっちの金で、楠部に体を暴かせた。  衝動的に、首を絞めたくなるような怒りが、湧き上がった。  俺だったら。  頭の中を支配するのは、俺だったらと不毛な「もし」。  もし俺だったら、三百万?甘い。あとゼロを二つ付けて、朔を檻に入れた。中途半端に溺れさせるよりも、もっと深い場所で窒息させていた。 「なっ」  朔の手にあった、文庫本を叩き落とす。ネクタイを外して、両腕を縛り上げた。 「なにすんだよっ!」 「やりたい」  内腿を掴んで、股を裂くように脚を広げた。写真に撮った、ピンク色が見えない。やっぱり拡げないと駄目か。引き出しに入れていたローションを出して、手を滑らせた。 「さーく」 「あっ……」  指を這わせると、艶のある声が出た。楠部に食べ尽された体。気にしない。蹂躙された体にはもう一度、快楽を上書きしていく。  内腿は震えて、皮膚が赤く染まり始めていた。 「さくのおちんちん、おっきしてるよ」 「っ……やめろ、あっ……その口調!」 「ほらぁ、我慢汁でてるよ」  盗聴器で聞いていた楠部との行為は、卑猥な単語を連発していた癖に。口ではやめろと喚くが、わざと幼児言葉で責めると、朔の体は反応が良くなる。 「…ああっ…やぁっ」  指を増やして、掻きまわす。ぐぷっじゅぷっ、くぐもった音に、朔の喘ぎが溶け合っていく。 「た、たす、くぅ、ったすく!あ、ひっ」  濡れ始めた中で指を曲げると、悲鳴を上げる可愛い男が「たすく」と繰り返す。俺を見向きもしなかった朔が、やっと下の名前を呼んだ時、その場で犯そうかと考えたが、理性を振り絞った。 「……真面目にしてやるからな」  溶けた泣き声を上げる口に、キスをした。遠慮なく舌を入れて、口内を荒らしていく。真面目にしてやる。  俺が真面目にしてやるから――楠部に侵食された身体。全部、根っこから作り変えてやる。口を離すと、透明な糸を引いた。 「お前を救えるのは、俺だけなんだよ」  前立腺辺りで第一間接を曲げた。悲鳴が上がり、何度もしゃぶったペニスの先から、じくじくと汁が流れ出していた。 「あ、そこぉ、そこっ、い、いく、いっちゃうぅ」  朔の体がよじれるたびに、シーツが乱れる。たっぷり解したら、一回いかせて。バックでやろう。朔はペニスを突っ込まれないと、満足しない身体になっていた。 『朔は俺がいないと、生きていけないんだ』 「……っ」  唐突に、楠部の言葉が脳裏に浮かんだ。馬鹿な男だと、一蹴した。学生時代、周囲は勘違いをしていた。朔が楠部の取り巻きだと。  見ていた景色が一変する、真逆の事実。  朔がいないと生きていけないのはお前だろう?腹の底から笑いが出た……はずなのに。 「俺も、か」  ベッドに横たわる肢体が痙攣する。ペニスから吐き出された精液が、薄い腹を汚した。溶けきった朔の目に、男が映し出されていた。  前髪を乱して、必死な形相――生きていけない。だから絶対に、俺は逃がさない。
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