食事

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食事

 昼間、大束から来たメッセージは短く「今日、空いてるか」だった。  来月のリリースを控え、職場は慌ただしくなっていた。定時で帰れる日など、まず無い。楠部に夕飯はいらないと断っていた。  12:11  空いてない  12:11  一時間も?  12:15  早くて八時には終われるけど  早くて、が叶った日など、過去に片手で数えるぐらいの日数。直ぐに既読が付いた。  12:15 じゃ、エントランスのカフェで待ってる  ――そんなやり取りをしたのが数時間前。なんと奇跡が起き、十九時に、エレベーターが一階のエントランスに着いた。  まだ来てないだろうなと、カフェに入った。カウンター席は誰用ですかってクレームを入れたくなる、足がつかないカウンターチェア……で、ゆっくりと足を伸ばすスーツ姿の男が、話しかけられていた。  相手は見たところ、二十代前半。ペラペラの白いシャツと黒いスーツが、就活生っぽい感じだった。 興奮しているのか、頬を赤らめて、男に握手を求めているようだった。 「就活、頑張ってね」 「はいっ、ありがとうございますっ、大束さんっ!」  静かなカフェで、営業ばりのお辞儀をした若者が、通り過ぎて行く。足を気だるげに組んだ男が、こちらに気が付いた。 「あれ、早かったな。古柳」 「お前もな……今の」 「あー、なんかこの前の経済誌読んだとかで、コンサル目指してるって」 「ふーん」  大束将――大学時代の同期が、さっと立ち上がった。腕が伸びてきて、コートの襟を掴んだ。 「こんな高いコート買ったなら、襟ぐらい直せ」 「あ……うん」 「どうした?」  太くてごつごつした指が、コートの襟を整えていく。楠部に買って貰ったコートだった。俺の生活必需品は全て、あいつが用意する。コートは確か、服屋に行って、採寸された。一目で高いものだと分かるような代物だったとは。  襟を直した男の指が、頬にあたる。たまたまかと思ったら、親指が確かめるように、頬を撫でた。固くて骨ばった指の感触に顔を背けると、ぱっと手が離れた。 大束も楠部同様、帰国子女だからか、大学時代からスキンシップみたいなのが多かった。 「ドイツ料理でいい?安くて旨いんだよ」 「予約とか取ってんの?」 「取ってないけど、俺は入れるから」 「あ、そうですか……」  エントランスの玄関には、タクシーやハイヤーが何台も止まっていた。ビジネスマンが行き来する吹き抜けのエントランスで、大束の姿は目を引いた。  男っぽい、がっしりとした肩に、堂々とした足取り。同年代とは思えない貫禄に、半歩、後を付いて行くような形になった。  安いとか言っときながら、連れて来られたのは六本木の店。にこやかなドアマンに迎えられ、店長なのか――こんな店で、店長の呼称は使うのか、無縁だから知らない。偉い責任者らしいおっさんに「大束様」と奥の個室を案内された。  こいつの安いは、楠部の安いと同じくらい、信用できない。生まれつき、恵まれた人生を歩んできた者との圧倒的な断絶を感じる。  染みひとつない、眩しいくらいの真っ白いテーブルクロスに、目を眇めた。椅子を引かれて、メニュー表を渡されたが、飯の内容が想像できない。ケール野菜のサラダ、ウズラのフルーツ詰め、ウサギ腿肉の赤ワイン煮にマッシュルームを添えて…… 「決まった?」 「え、サラダ?肉?」 「……季節料理にしよう」  メニュー表、想像できるのがサラダだけだった。値段が記載されてないから、コース料理、いくらぐらいかと予想する。 頭の中で考えるだけでいい。大束と食事の時、財布を出したことは一度も無かった。  一万円ならガチャ二十連。三万円なら……金額をガチャに当てはめていたら「久しぶり」と言われた。 「シンガポールから帰ってきて……一ヵ月ぶりか」 「ぐらいかな」 「どうしてた」 「どうって……」  仕事して、楠部のご飯を食べて、ソシャゲして、セックスして、朝になる。毎日のサイクル。代わり映えの無い日常。ふと、日高愛美の顔が浮かんできた。 「……成長が無いな」  答えられないでいると、大束が呆れているようだった。 でたよ、でた。 また始まるなーとうんざりしたが、高い飯を食わせて貰えるのだ。食事代だと思って、凝り固まった肩をストレッチした。 「まだ楠部と同居しているのか?」 「うん」 「呆れた。お前もだが、楠部もだ。学生気分が抜けていないのか?」  いつもの説教が始まり、料理が運ばれてきた。前菜は、でかくて丸い皿に、ちょこんと乗ったサラダ。 某ファーストフード店のかにコロッケバーガーに挟まっている、野菜より少なそう。  もそもそ食べていたら「~乱れた生活を送らないように」と〆のセリフ。どうやら説教が終わったらしい。  慣れないフォークとナイフで、ウズラの肉を放り込んでいたら、大束は白ワインを飲んでいた。俺にも注がれたけど、ちょっと口を付けて放置。 酒は楠部がほとんど飲まないから、俺は酒を飲む習慣がなかった。 「仕事、いつまで続ける気なんだ」 「えー、いつまでだろ」  日高愛美に会えるから、出勤は楽しい。今日はベストにロングスカート姿で、司書さんみたいで可愛かった。思い出してつい、頬が緩む。誰にも言えないし、本人にも伝える気などさらさらない。日常の囁かな、楽しみだった。  前に座る男がため息をついた、のも(さま)になるから、ついまじまじと見てしまった。楠部とは違う、というか正反対の男。  イタリアンスーツを好む楠部は、華やかな美貌も相まって、洒脱な印象がある。だけど大束のスーツ……特徴からブリティッシュスタイルか。重厚感があると聞こえはいいが、大学時代、ボート部で鍛えた広背筋は逞しく、威圧感がやばかった。  顔も柔和な感じの楠部と違い、顔の造りからパーツまで、全部が雄っぽい。がっしりとした顎、粗削りな感じの高い頬骨。彫りが深い、目力のある瞳に見つめられると、補食されたような気分になる。 同僚が男っぽいと言った、野性味のある美貌は、楠部と同じくらい、人を惹き付ける。一緒に歩けば、俺の貧弱さが強調されるような男だった。 「……シンガポールの支社から帰ってきたんだが、どこもAI事業が盛んだな」 「あ~……なんかまた、起ち上げんの?」  大束も学生時代、起業している。国内に留まらず、アジア圏の国々に注目し、マーケティングやコンシューマー関連の事業を展開するIT企業だ。海外の主要都市に支社を置き、学生時代からぐっと事業が拡大している。  国内の悲惨なITの光、ユニコーン企業と持て囃され、上場した。いつか、大束の資産は百七十億と、ネット記事に書かれていたのを目にした。楠部といい勝負だった。  こんな俺と大束では体格から、その野心むき出しの性格含め、全てが釣り合っていない。  けれど、こうして食事をするのは学生時代、システム開発に協力したからだった。確か三年の時だった、声をかけられたのは。 「お前はどう考えてるんだ」 「うーん……研究は無限大。ビジネスはまだ小さい……かな」   ディープラーニングだと、世間を賑わせたのは数年前。人の仕事は人工知能に取って代わられる、仕事が奪われると、不安を煽るような記事が話題を呼んだ。  ブームはひと段落、みたいな空気だが、業界では研究が進められていた。というか、人工知能はここ数年のぽっと出なんかじゃない。   約六十年の歴史はある人工知能。ブームと冬の時代を繰り返して、今は第三次ブームと言われていた。 「汎用型AIを使って、工業などでの検品チェックを効率化させる――可能か?」 「難しいよ」   大束のビジョンは、今まで幾度となく試されて、AIが躓く問題だった。 「機械学習させてやれそうって思うじゃん。これがすげー面倒なんだよ」  例えばネジを生産する工場で、不良品をチェックするAIを投入しようとする。で、不良品をAIに学習させる――ここが難しい。まず、国内の工場で不良品が出る確率が少ない。  AIの機械学習には、膨大なデータが必要となってくるのに、不良品のサンプルがほとんどない状態では、学習自体ができないのだ。 「AIへ投入するデータだって、人がチェック付けるんだ……まだAI入れるより、手作業の方がいいよ」  大束は黙って話を聞いていた。ワイングラスがテーブルに置かれると、また白い皿が運ばれてきた。 「実家の工場が、もうじきベテランが引退する……人手が足りないんだ」 「あー……」  以前、大束は実家が工場だと教えてくれた。防犯カメラといった精密機械のパーツを大手企業に卸していると。 「AIに仕事を奪われるんじゃないだよな。穴埋めにならなきゃいけない」 「ああ」  加速スピードが上がる少子高齢化を前にして、AIは恐怖の対象ではなく、希望だった。だけど現実はハリウッド映画に出てくるようなAI――人類を凌駕し、反乱起こしたりするやつね。通称「強いAI」と呼ばれる存在は、夢のまた夢。  汎用型AIにしても、成果を上げる場所はまだ限られていた。 「星新一みたいな世界、まだ遠いよなー」  ここが楠部だったら、小説の話で盛り上がる。だけど学生時代から、上から目線で説教する男は…… 「誰だ。星新一って」  案の定な疑問をぶつけられた。 「星新一知らないとかやばいよ。あの星新一だぞ」 「知らない。俺は高校まで、ドイツにいたんだ。日本の作家は……小説は読まない」  大束には学生時代、小説とか読んで、何になるんだ?と、面と向かって言われた。  経験が大事、誰もやったことが無いことに挑戦するのが人生だとか、もう言葉の節々から、野心と向上心が溢れ出していた。   二十代後半になっても相変わらずで、こってりした料理に、ぎらぎらした欲望。俺はこの同期に苦手意識があった。  デザートのスフレみたいな(メニュー表の名前を忘れた)のがきて「有意義だな」と大束が言った。 「は?何が?」 「お前はいつも冷静な指摘をくれる……おかげで思考が整理される」 「……そう?」  俺が?冷静?大束は技術的な知識を持たなくても、頭が良いから理解するのが速いんじゃね?決して、俺の話が分かりやすいとかでは全くない。そう言っても、大束は首を横に振った。 「お前は能力がある」 「……どーも」 「だからそろそろ真面目になれ」  危うく、デザート用スプーンを落としそうになった。俺がこいつを苦手な理由。もう一つあった。 「……漱石」 「なんだ?」  夏目漱石の「虞美人草」という有名な小説がある。今は亡き、外交官だった父親を持つ甲野が主人公ではあるけど、注目されるのは妹の藤尾(ふじお)。  美しく、教養のある藤尾は、家庭教師として雇われた、優秀だけど苦学生の小野さんを好きになる。でも彼女には、父親が決めた許嫁で、甲野の親友、宗近(むねちか)(はじめ)がいて……ざっくりしたあらすじなんだけど、俺は作中に出てくる宗近って男が嫌い。  藤尾も相当だけど、宗近には胸がざわつく。こいつは外交官の試験に落ちて浪人中の身だけど、飄々としている、主人公の良き理解者ポジション。  ナイーブで頼りない甲野とは正反対な性格をしている。旧来的な「男らしさ」を漂わせたマッチョな男、宗近。  だから藤尾は宗近を、教養がないと嫌っているけど、宗近は藤尾との結婚に執着している奴なのだ。サバサバした風を装いながら、藤尾と小野の仲を引き裂こうとするサイテー野郎。 こいつが小野に向かって言うセリフが「真面目になれ」。  大束の「真面目になれ」と宗近の「真面目になれ」。意味は全く違う。違うけど、宗近みたいな男らしさを纏う大束に言われたら、心臓に悪い。 「お前、いつもそう言ってくるよな」  大束が本なんて、読むわけ無い。なのに、彼の鷹揚さは宗近を彷彿とさせた。 「当たり前だろ。いつまで怠惰な生活を続ける気だ?向上心を持てよ。お前にしかできない仕事があるんだ」 「いや無いから」 「ある」  うぜ~~~。でかくて長い腕を振り回しながら、成長、向上心、上を目指せ云々かんぬん。デザートを食べ終えて、満腹感で眠たくなっていた。  大束は訴えかけるような顔をしていたが、躊躇うように唇を噛んだ。 「古柳……もう、借金とかないよな?」 「……うん」 (消費者金融の)借金はない。楠部が学生時代、精算した。あれから誓約書にサインして、楠部のブラックカードを渡された。毎月、カードからいくら引き落とされているのか、把握していなかった。  大束は上っ面の返事を信じ込んだのか「よかった」と笑った。うろたえる姿など、見たことがなかった男の、気が抜けた笑顔だった。 「楠部と同居してるだろ?お前が本来、真面目な人間だとは、もちろん分かっているが」 「ああ。俺が楠部に寄生してないか、心配だった?」  うん、そうだよ、とは言えないか。大束は眉根を寄せていた。無神経な奴ではない、ただ正義感が強いだけ。  でも言ってくれれば良かったのに。  そうだよ、寄生虫だよ。  毎月いくら、楠部の金を使っているのかも分からない。ギャンブル癖はオンラインカジノからソシャゲに移り、毎日ガチャを回している。  ソシャゲでレアキャラが出た時の高揚感。あれはカジノで大当たりした時の、あの幸福感に似ていた。  ゲームに夢中になっているのか、ガチャを回したいのか……多分、後者。 「古柳。俺は、人はいつでもやり直せると思っているんだ」 「ああ、うん」 「お前は本来真面目な性分で、心が弱い人間でもない。やればできるんだ」 「ああ、分かったよ」  大束は出来の悪い生徒に発破をかける――中学校の指導教員か?起業家になっていなかったら、教師になっていただろう。  目を輝かせて「やり直せる」と念押しするように言う。俺は食べ過ぎたのか、胸焼けを起こしていた。 「俺が、お前を救ってやるからな」 熱を帯びた視線が、暑苦しくも頼りがいはあった。新しい事業でも起こすのかと、俺は気軽に頷いた。
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