真実

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真実

 タクシーがマンションに着いた頃には、既に十二時を回っていた。ドアを開けると、パタパタと足音がして、ジーンズ姿の楠部が駆け寄って来た。 「お疲れ様。お茶漬けとか作ろうか?」  にこにこしながら、俺のバッグを受け取り、抱きしめようとする。そーっと交わして、リビングに入った。 「遅かったね。タクシーで帰ってきたの?連絡してくれたら、迎え呼んだのに」 「ああ、うん」  コートをかけて、洗面台に向かった。手洗いを済ませて戻ると、楠部がキッチンに立っていた。 「あのさ、話あんだけど」 「うん?なに?」 「駅で篠田に会ったよ……覚えてる?」  察したのか「そう」と言葉短く、楠部は黙り込んだ。  ……『お前、腹減ってね?そこで、飲みながら話そーぜ』  チェーン店の居酒屋に入ると、既に酔っぱらっていた篠田は、ビールを注文していた。俺は目に付いたグレープフルーツサワーを注文し、店員がジョッキを二つ、運んできた。 『じゃー、まぁ、お疲れ』 『……なんで楠部の話?』  胸騒ぎがして、ジョッキの取手を握りしめていた。篠田はビールをぐっと呷ると、陽気な感じで笑いだした。 『大学の時さぁ、俺、お前にオンラインカジノ教えてくれって、頼まれたんだよ』 『そう、楠部に?』 『うん。今考えたら、意味分かんねーだろ』  学生の時、楠部に話しかけられた。オンラインカジノやるんだって?と。篠田はその他にも、仲間内で賭け麻雀とか、競馬など、一通りのギャンブルを楽しんでいた。  キャンパスで有名になっていた楠部も、賭け事に興味があるのかと、頷いた。オンラインカジノをやりたいならと、あれこれ教えた。話しているうちに、楠部に頼まれた。 『古柳に勧めてくれないか?』と。  何で?と聞くと、古柳は真面目過ぎるから、気休めになるものを教えてあげたい。自分は忙しいから、声をかけてくれないかと、お願いされた。   自分はつまらないから、ちょっとした息抜きができる娯楽も勧められない――友達として、心配してるんだ。古柳って、真面目過ぎるとこあるだろう?  篠田は確かに、と頷いた。俺は学生時代、講義室の一番前に座り、質問やレポートに力を入れていた。それは親に殴られながらやる勉強じゃなくて、自分が好きな勉強ができるから。単純に、大学の授業が楽しかっただけなんだけど、周囲は『がり勉』とか『教授に媚びを売ってる』とか陰口を叩いていたらしい。  ――俺に頼まれたって、秘密にしといてくれる?友達に気を遣わせたって、古柳は気を病むから――学食を奢られて、篠田は了承した。  空腹と疲れは吹っ飛び、代わりに喉が渇いていた。 『いやー、マジでほんと、悪かったよ。この前の同窓会だって、お前、来てなかったじゃん?心配してたんだよ』  連絡を取り合う大学の同期など、楠部と大束以外いなかったので、同窓会など知らなかった。黙ってジョッキに口をつけた。 『でもお前さぁ、予想外にハマってたからびびったわ~。で俺さぁ、あり得ねーよなって、ゼミメンバーに話したら、尾ひれ付きまくりで、あ、俺は本当にお前のこと、心配してたんだよ。でもほらぁ、他人は無責任じゃん?みんな好き勝手なこと言って……』  ぐいぐいビールを飲んでいる、篠田の声が遠くなった。サラ金に手を出しているとか、臓器売ったとか、根も葉もない噂の出どころは篠田だったのか。 『でさぁ、お前、大丈夫なの?』 『……借金?』 『いやいや、楠部だよ。あいつ、あいつほらぁ……お前のこと気に入ってたんだろうな。楠部ってあれらしいじゃん?』 『……あれって?』  胸のざわつきは体全体に行き渡った。ちょっとしか酒を飲んでいないのに、吐き気がしていた。 『ほらぁ、今流行りの横文字……LGBT?』  何が面白いのか、旧友は吹き出した。上手く反応できず、一人で笑い転げる友人を見つめていた。 『週刊誌の記事がネットに出てて、男と同棲中とか書かれてたよ。ゆーめー人は大変だよなぁ』 『……そっか』 『お前、あいつになんかされてないよな?大丈夫だよな?』  頼んだサワーをほとんど残して、マンションに帰った。 「……全部、分かってたの?」  聰一郎は白けた顔をしていた。かちゃかちゃとキッチンから食器を取り出す音が、リビングに響いた。 「おい……なんか言えよ……言ってくれよ……」 「ギャンブル依存症の調査でね、幼少期、過度に抑圧を受けてきた人は、その傾向が高いって知ったんだ」  拳を作っていた手が、震えた。楠部にだけ話した、俺の恥部。頭に血が昇るような錯覚がして、体が熱くなっていた。 「でも君があそこまでギャンブルにのめりこむのは、予想外だったけどね」 「お前が……っお前が、ギャンブルなんて、あんなの勧めなかったらっ」 「そうかな?君がギャンブルで借金を作ったのは、自己責任だよ」  真っ当な指摘に言葉が詰まった。だけど分からなかった。楠部がなぜそこまで、自分を追い詰めるようなことをしたのか。  ギャンブルがやめられず、楠部から預かった金を使い込んで、彼に頭を下げた日。友人の情けない姿を見て、内心、ほくそ笑んでいたのか。 「――でも、君がギャンブルにハマらなかったら、また違う手段を考えていたけど」 「……俺が惨めになるのを見たかったのかよ?」 「違うよ。こうでもしなかったら、君は俺の告白なんか受けないよね」  がんっと頭を殴られた気がした。好き?と聞かれるたびに「うん」と返事をした。そうしなければ……あの時、ホテルに行くのを断ったら、金を返して貰えなくなると。それだけが、頭を占めていた。  楠部は、俺の内心など、全てお見通しだった。彼がそうなるように、仕向けていた。 「好きですって告白して、手をつないで、デートして、セックスして……世間一般の恋人同士がやることをしたかった、君とね。けど君は絶対に断るよね?あり得ないって、友達としていようとか言って」 「それは……」  楠部の言う通りだった。恋愛からほど遠い勉強漬けの日々を送って、まともに女の子に話しかけられない自分。それでも付き合いたいと思うのが、女の子。 同性とか、考えたこともなかった。  楠部はキッチンから出てくると、肩が触れ合うぐらいの距離で、向かい合った。 「嫌だった」  淡々とした声だった。 「君がね、読書会にくる女の子の太ももとか胸を見てる時に、俺も見てたよ。君に触れたいって……俺のこと変じゃないって、受け入れてくれたのは君だけだから」  楠部の手が、肩に回った。びくりと体が震えて――半歩、後ろに下がった。 「君が欲しかった。欲しくて欲しくて、誰にも奪(と)られたくなかった」 「何言ってんだよ……」 「友達でいようとか言われるぐらいなら、なんでもするって決めたんだ……朔はもう、俺なしじゃ、いられないだろう」 「……嫌だ」 「朔」 「やめろ……別れる。別れたい」 「……そんなに職場の女の子と付き合いたいの?」  反論する前に、体を突かれる。頭をソファにぶつけた感覚と――押し倒されていた。はっと下腹部を見たら、楠部がベルトを外していた。 「やろうよ」 「嫌だっ!別れる!お前と別れるっ!」  別れる。楠部と別れて、一から全部、やり直す。全部、壊れた。俺がクズになって、全部が歪んで、めちゃくちゃになったのは、こいつと出会ったから。  読書会で楠部に出会わなければ、俺は。 「じゃあ、今すぐお金返して」  顎を掴んだ、楠部の手は冷たかった。キスをされそうになって、顔を背ける。見ると今にも泣き出してしまいそうな、男の顔があった。  どうして  どうしてお前が、泣くんだ。 「朔はね、ギャンブルもソシャゲもやめられないよ」 「やめる!……っあ」  怯んだ隙に、聰一郎がスラックスを下げた。下着越しに一物を握られて、声が出た。 「やめる、やめるからっ」 「やめられるの?好きなだけギャンブルに金使って、ソシャゲに課金して、全部できなくなるんだよ?」 「やめられるっお前とは別れるんだ!!」  下着越しにぎゅっと亀頭を握り込まれて、腰が揺れた。俺の情けない反応に、楠部の口角が上がった。 「ちんこ突っ込まれて、散々よがってきたのに?ねぇ、朔、好きでしょ?お尻に挿れられるの……気持ちよくしてあげる」  ぶるりと飛び出たペニスが、生温かいものに包まれた。悲鳴のような声を上げると、冷たい指が、睾丸を揉み込んだ。  目を開けると、いつもの天井。重たいなって隣を見たら、楠部が俺を抱き込むようにして、寝息を立てていた。  絡み合った足をそっと外して、腕をどけた。楠部の寝顔は、腕の良い職人が作った、美しい人形みたいだった。すぅすぅと寝息を聞いて、散らばったスラックスやシャツを拾う。音を立てずに、寝室を出た。  あちこち痛む体を擦って、くしゃくしゃになった服を纏う。テーブルに放り出されたスマフォと財布を持って、コートを羽織った。音を立てないように、そおっとマンションを出た。息が白くなる外で、スマフォの電源を入れる。日付は三時を回っていた。  指先がかじかむ夜道を歩きながら、検索エンジンに打ち込んだ。 ネカフェ 麻布十番  ヒットしたページを押す前に――ああ、そうだと、大束にメッセージを送った。  3:15 お前の言ったこと、間違ってなかったよ  吐き出すような気持ちで、返信は期待していなかった。けれどすぐに既読が付いた――スマフォが振動して、画面には「大束」の二文字。 「どうした」 「あ、や、ごめん。こんな時間に」 「いい、それよりお前……何かあった?」  大束の鋭さに驚いたが、彼に楠部との関係なんかバカ正直に話したら、殴ってくるかもしれない。なんでもないと、言葉を濁していたら「そこにいろ」と言われた。 「え」 「すぐいく」  電話が切れた。
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