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僕たちが民家の前で待っていると、女性がやってきた。ここの家主だろうか。顔に刻まれたシワが、豊富な人生経験を物語っている。
女性は強い語気でインドネシア語をまくしたて、何度も僕たちを指さした。ムトーさんが返答すると、「シアッ、シアッ」と繰り返しながら、眼光鋭くにらみつけてきた。玲子は怯えて、僕の腕にしがみつく。
老女は、表情を緩めて鼻で笑うと、足早に家へと戻ってしまった。何が起こっているのか、さっぱり分からない。
「あの人は誰なんですか。僕たちはどうすれば……」
堪らず僕がたずねると、ムトーさんは「ここでもう少し待っていてください」と告げたあと、説明してくれた。
「あの方は、バリアンです。日本で言うところの、祈祷師みたいなものですね。バリに住む人々は、体調を崩したら医者に行く前に、バリアンのもとを訪ねると言われています。それくらい生活に根ざした存在なのです。私は十五年前、あの方に会って人生が変わりました。お二人の人生もきっと好転すると私は信じています」
ほどなく、老女が再び現れると、玲子の眼前に一枚の紙を差し出してきた。恐るおそる受け取る。粗雑な名刺大の紙には、文字とも模様ともとれない奇妙な波線が描かれていた。
困惑する僕たちの表情を見て、老女はもう一度鼻で笑うと家へと帰っていった。ムトーさんは、その後ろ姿に手を合わせて、何度も頭を下げる。僕と玲子も、なんとなく同じように頭を下げてみた。
「やりましたね。認めていただけたようですよ。第一関門クリアです」
ムトーさんは自分のことのように喜んでいたが、僕らにはこれがどれほどのことなのか知りえなかった。
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