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「動き出したのは恋の気配ではなく、変な気配だ」
①
「お客さぁ~ん。飲みすぎですよぉ。もうそろそろ店閉めますんでお代ちょうだいしてもよろしいですかぁ?」
場末の酒場から千鳥足で出て来た無精髭の男は、何度もけつまずきながらヨタヨタと路地を進んでいく。
「もう……俺が生きている意味など……」
持ちこたえられずその場に崩れ落ちた髭の男は、積み重ねられたコンテナBOXにもたれかかり、そのまま朝まで爆睡した。
ポツリ、ポツリと雨が降り始め、そのうち本降りとなり冷たく濡れたコンクリートの路上で、男は死んだように眠り続ける。
夜が明ける頃には雨はやみ、暁の空に朝日の輝きが昇ってきた。
「起きて。大人さん。起きてよっ」
一人の少年が、髭男の肩を揺さぶった。
「……ん……?」
男は目を細く開き、小刻みに数回まばたきをした。
「いつまでもこんな所で寝てたら風邪ひいちゃうよっ」
まだ幼い少年はずぶ濡れの男を心配し、目覚めかけた男が再び眠ってしまわないよう必死で声をかけ続ける。
「ほら、早く起きてってば! こんなに濡れちゃって、ホントに風邪ひくからさ!!」
小さな小さな手のぬくもりが、髭男の肌にも次第に伝わってきた時……
「こらっっ!! クソガキがっっ!! そんな所で何をしている!?」
「たちの悪いコソ泥めがっっ!!」
突然、自警団の中年男が二人、少年と髭男のそばに駆け寄ってきた。
横幅のある小太りの男と、ヒョロ長いノッポの男、対照的な二人だ。
「こいつめ!! その男が酔っぱらってるのをいい事に、金銭を盗もうとするとはとんでもないガキだ!!」
「現行犯だな。よし、ついて来い!!」
自警団の二人は、少年の腕を片方ずつつかんで軽々と持ち上げた。
「何するのさっっ。僕は泥棒なんかじゃないっっ。この大人さんを起こしてあげてただけだ!!」
少年は真実を訴えるが、自警団二人は少年の言う事など頭から信じてはいない。
「口から出まかせを……! お前たちブレンドのガキの言い訳なんぞ、聞く耳もたんぞ!!」
「低俗な種族の血が混じった欠点種だからなぁ」
欠点種――
それは、純血の魔界人が他の種族の、特に人間の血をひいた混血を卑しめて呼ぶ蔑称だ。
「僕の種は欠点なんかじゃないっ。僕は何も悪いことなんかしてないんだ! バカにするな!!」
宙に浮いた足をじたばたさせて、少年は力の限り抵抗した。
だが、働き盛りの中年男二人に力でかなうはずもない。
「これだからブレンドはよ……」
「早えとこ連行しようぜ」
少年がどんなに声を上げても暴れまくっても、自警団二人には全く通用しない。
両側から腕をつかまれ地に足のつかない状態のまま、少年はムリヤリ連れて行かれる。
そんな理不尽な有り様を、徐々に視界がハッキリしてきた髭男は見過ごす事ができなかった。
「……待て……」
髭男は低い声でつぶやき、ゆっくりと立ち上がる。
目は覚めても、酔いはまだ醒めきっていない。
頭がクラクラし足どりも安定しないが、それでも髭男は少年を助けようと、自警団の二人に背後から歩み寄って行く。
そして、ようよう追いつき自警団の片われ、ノッポ男の肩に手を乗せたかと思うと、髭男はノッポ男を自分の方へと強引に振り向かせ、次の瞬間、ノッポ男の顔を容赦なく殴りつけた。
「グハッッ!!」
たった一発でノッポの男は気を失い、もろくもグニャリと倒れてしまった。
「な、な、なんだ……!? おい……! しっかりしろ!!」
もう一人の小太り男は何が起きたのか理解できず、少年から手を離してオロオロとうろたえる。
すると後ろから、
「……殺されたくなければ、そいつを連れて失せろ……」
と、耳元で脅し文句がささやかれた。
驚きあせった小太り男が振り返ると、路地で眠っていた髭の男が目の前に立っているではないか。
「ヒッ!! な、なんだってんだ!!」
「……そのガキは俺を起こしていただけだ……本人がそう言ったはずだよな……!」
小太り男の胸ぐらをつかみ、髭男はボサボサに伸びた前髪のすき間から、よどんだ目でにらみつけた。
「わ、分かったっっ! 分かったから離してくれっっ!!」
胸ぐらをつかむ髭男の力はあまりにも強い。強すぎる――
(コイツ……ただ者じゃねえ……!!)
小太り男は、身動きひとつとれなくなっていた。
「……行けっ!!」
硬直する小太り男を髭男が投げるように突き放すと、
「は、は、はいぃぃ……っっ!!」
小太り男はおそるおそる後ずさり、倒れた仲間、ノッポ男を引きずりながら逃げるように立ち去って行った。
「ふぅ……」
まだ完全なしらふではない髭男は、建物の外壁に手を突いて白い息を吐く。
「大人さん……大丈夫かい?」
少年は髭男に寄り添い、男のシャツの裾を引っぱった。
「あ? ああ……そおヤワじゃないさ。お前はどうなんだ? ケガはないか……?」
「平気だよ。腕がちょっと痛かっただけだいっっ」
自警団二人につかまれ赤くなった丸みのある腕を見せ、少年はニカッと前歯を見せた。
「……そうか。お前は強い子だな」
「大人さんもねっっ」
「なぜ『大人さん』なんだ?」
「え? だって……大人さん髪の毛もヒゲもボサボサで顔がよく見えないから……だから『お兄さん』なのか『おじさん』なのか分からなくてさ」
「……なるほどな……それで『大人さん』か。
お前はなかなか面白い」
男はフッと笑い、幼い少年を見下ろした。
「お前ももう行け。こんな朝早くから外出なんかして、親が探してるんじゃないのか?」
「親はいないよ」
「え……?」
「僕は一人なんだ。えっと、『みなしご』ってやつ?」
少年は、屈託のない笑顔でサラリと言う。
「お前、どうやって生活してるんだ?」
「いろんなとこ掃除してお金もらってる。おうちもないから好きな時に好きなとこで寝てるんだ。時々さっきのおじさん達みたいに、ブレンドに意地の悪い大人に追い払われることもあるんだけどねっ」
よく観察すると、少年の手はガサガサに乾燥してヒビ割れている。
髪も肌も着ている服も黒ずんでおり、靴もボロボロでサイズが合っていないのか指先が突き破り出てしまっているではないか。
男は、恵まれない日々にも負けず明るい笑顔を作る少年のあどけない瞳の中に、何者にも汚せないであろう、純粋な根強さを見てとった。
「……お前、名前は……?」
「僕? 僕はモモ! モモタローだよっ!!」
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