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ベクセナは、もう生きてはいない……
子供たちを残して逝くのはどんなにか心残りだったろう。
(結局ベクセナは、人間界には来られなかったな……)
列車に揺られ、ほんの束の間、モンジは追想にふける――
ほどなくして、窓から遠望していた景色の流れが速度を落としていき、数秒後には静止画になった。
列車がブレーキをかけ、次の駅で止まったのだ。
だがそこは、まだパンブレッドではない。
にもかかわらず、
「着いたか……」
停車したその駅でモンジは列車から降り、ある場所へと足を運んだ。
そこは、ビル行きつけの飲み屋だった。
ビルは休みの日にはたいてい朝から晩まで、贔屓にしているこの飲み屋に入り浸っていたものだ。
おそらく、今でもそうだろう。
「パンブレッドに入国する前に、ビルに通行証を手配してもらった方がいいからな」
……と、魔界に未練のない男としては、それが目的でここへ立ち寄ったのだと言いたいところだが、
実際は違う。
国境通行証だけが目的ではなく、何よりの目的は親友のビルに会う事だった。
「モンジ! モンジじゃねえかっっ!!
ハーッハッハッハッハッ!! お前さんなら遅かれ早かれやって来るんじゃねえかと予感してたぜ!!」
――やはり居た。
飲み屋の開き戸を押すと、すでにいい感じに酔っぱらっているビルが、モンジを見るなり酒ビンを片手に飛びついてきた。
「ビル……」
モンジも熱い友情のハグで返し、気のいい旧友の酒くさい歓迎を身に染みこませた。
店内はまだ日も明るいうちから、ビルに負けず劣らずの酒好きの客たちでざわついている。
酒豪らが常連の店だけあって、大中小のさまざまな酒樽がテーブルとイス代わりだ。
ビルとモンジは、比較的落ち着いて話せる隅の方の席でじっくりと語り合った。
「……そうか。モモタローは焙義やロンヤと旅案内のバイトに出かけたのか」
「おうよ。魔界に着いた夜はうちに泊まってなぁ。翌日にはわしの知人の魔馬でパンブレッドへ向かったんじゃが、サッガルの話じゃと焙義たちの後を追ったきりそのまんまらしい。
なかなか戻って来ねえあいつらに業を煮やして豆実とプルダまで旅に出ちまってよ。
お、そうじゃ。二人にはクッペが付いてったはずじゃがなぁ」
そのクッペとは、なぜか全く交信がとれなかった。
まるで、モンジが魔界の空に張った結界のように、何らかの力にさえぎられているかのごとく……
(間違いない……妙だ……)
不吉な兆しが、魔界へ来てどんどん形づいてきたように感じ、モンジは眉をひそめた。
「モンジ。お前さんが戻って来たっちゅうことは、よっぽどの事情があるんじゃろう?
お前さんの顔を見とれば分かるわい」
ビルはお見通しとばかりに得意げに言い、モンジへと腕を伸ばして額を小突くマネをした。
「……お前に隠し事はできないな、ビル」
「あーったりまえじゃい!
こんな年寄りでもちっとは役に立つこともあるやもしれん。
一人で悩んどらんと、さっさとわしに話さんかいっっ」
昔から、ビルにはかなわない。
そう。ビルは息子のモモタローですら聞かされていないモンジの過去を知悉しているのだ。
モンジはビルに、モモタローに厄災が降りかかろうとしているのではないか……という心がかりや、
人間界でも消える事なく負い続けてきた己の罪責感など、包み隠さずに真情を吐露した。
「ほほぅ~、そいつは心配だなぁ……
モンジ、わしに協力させてくれ。わしもだてに長いこと生きちゃいねえ。情報なんぞはどっからでも、いくらでも得られるからよ。
こんな飲んだくれのしょうもねえ老いぼれだがな、魔界のあちこちでくさる程の友人をこさえた事だけはたった一個のちっせえ誇りなんじゃ。
ヒヒッ。この年になると、くたばっちまった友人もくさる程おるんじゃがのぉ」
「ビル……」
「まずは足じゃ。この先モモ達を探すんなら魔馬がおった方が良かろうて。
さっき言った知人にお前さんの魔馬も頼んでやるわい」
「やけに簡単に言うな」
「簡単じゃよ。そいつはなぁ、リタイアした勝負魔馬たちを引きとって面倒みとる奇特な奴でのぉ」
「リタイアした勝負魔馬?」
「なあ~に。リタイアしたっちゅうてもケガや老いが原因の魔馬ばかりじゃねえ。なかなか勝ちがとれんで早期引退した若い魔馬もおるんじゃい。
普通に走る分には何の問題もないどころか、元競争魔馬だけにそこいらの魔馬なんぞより体力もあるし走りも速い。
かなりの儲けもんじゃぞ?
さっそくこれから話つけてくっから遠慮せんともらっとけ。ついでに通行証と手元電話もそろえてくるわい」
「何から何まですまない。ビル……」
「それからな、モンジ。
いつまでも過去のあやまちにこだわってると、いつまでたっても先に進めやしねえ。
お前さんの目の前に今あるものは何なんだ? そん時のあやまちか? 父親としての責任か? それとも別にあるのか?」
「……それは……」
どこか真剣になったビルにさとすように問われ、モンジが言葉を詰まらせると、
「ガ――――ッハッハッハッハッハァ――!!
わしじゃ、わしじゃっっ!! 今このわしが目の前におるじゃろがぁ!!」
ビルはモンジの鼻先スレスレに顔を寄せ、酒の匂いをプンプンと漂わせながら大口を開けて馬鹿笑いした。
「ハッハッハッハ――ッ!! お前さんのマヌケ面ときたら……
ああ~、ゆかいゆかい!!」
呆気にとられるモンジを指さしゲラゲラ笑うビルだったが、その笑い方は不自然で、ムリヤリに馬鹿笑いを演じているようだ。
自分自身で縛った縄でがんじがらめになっている友、モンジの縄目を緩めるために……
「ったく……どこまでもふざけた爺さんだな」
モンジはあきれ返ってため息をつく。
おどけてみせるビルの優しい演技に、気づいていながらわざと気づかないふりをしたのだ。
「そ、そおじゃ、忘れとったわい! ふざけとると言やあ……
モンジ、わしよりふざけた奴がおったわい!!」
「……?」
――その日の夜、ビルの知人からもらい受けた魔馬にまたがり、モンジは一転ドリンガデス国を目指していた。
サトナシ祭の魔馬レースで、煎路が第一王子と張り合った前代未聞の珍事をビルが思い出し、モンジに伝えたのだ。
(よりにもよって、魔界でも王子とからんでいたとは……
煎路、どこまで無謀なんだ……!
モモタロー達も煎路を追い、ドリンガデスに向かっただろうな)
もう二度と、自分の種よりも大切な存在を失いたくはない。
(今度こそ……
我が命にかえても必ず守ってみせる……!!)
モンジはそう誓い、とっくに捨て去ったはずの祖国を見すえ、広がる大草原を駆けぬけて行く。
引退するにはもったいない程の駿足を誇る、若き灰色の魔馬に乗り――
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