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――マリアンヌが手に握りしめている、ブラッドストーンの鼻ピアス。
それは、キャヴァがギリザンジェロの誕生日プレゼントに購入した物だった。
あのバースデーパーティーの夜、怒ったキャヴァが彼女の部屋からギリザンジェロを強制退室させた際、
ラッピングしていた鼻ピアスが荒れ狂う粉吹雪の猛威でむき出しになり巻き上げられ、
尖ったデザインの石の尖端がギリザンジェロの耳下に深く突き刺さったのだ。
それを証拠に、ギリザンジェロの耳の下には小さな小さな穴が痕になり今もなおクッキリと残っている。
むろん、ギリザンジェロは突き刺さった鼻ピアスの存在に全く気づいてはいなかった。
キャヴァからの贈り物があった事すら……
知ったのはつい今しがた、マリアンヌに見せられた鼻ピアスのシャフト部分にある、極小の文字を目にした時だった。
純金のシャフトには、
『未来の王妃より』と、刻まれていたのだ。
一見、婚約者の愛情がたっぷりのプレゼントに思えるが……
ところが、キャヴァからのこのプレゼントはただの鼻ピアスではなく、恐るべき仕掛けが施されていた。
――録音機能だ。
小さすぎる録音機であるためところどころ雑音が入っていたり正常に録音されていない箇所も少なくはないが、この録音機の最も恐ろしい点は異常なまでの優れた耐久性と、はかりしれない録音可能な時間の長さだ。
もちろん上書きなどではなく、何かのはずみでスイッチがONになった時からのギリザンジェロの話し声や独り言、いびきやゲップ、屁にいたるまで、全部すっかり残されている。
だからこそ、ギリザンジェロは何が何でもこの鼻ピアス……と言うよりは、録音機を手に入れなければならなかった。
ギリザンジェロは城払い令を受けてからおそらく地下牢で鼻ピアスを落とすまでの長い日数、数多の不逞、愚行を続けてきた。
それらの事実だけでもまずいのだが、それ以上にもっとまずいのは、日々もらしていた父王に対する不平不満や恨み言、こっぴどい悪口の数々が記録されているという最悪の事実だ。
録音内容が明るみに出れば、マリアンヌの言葉通り間違いなくギリザンジェロは一巻の終わりなのだ。
「そろそろ本題に入るわね」
凍りつき直立不動になっているギリザンジェロの心情などおかまいなしに、マリアンヌは平然としたまなざしで淡々と告げた。
「本題だと……? 思いついた胸スカというやつか……?」
「質問するのはあたしよ。
アンタがまたこの里にやって来たのは、別の男にかっさらわれたシモーネを取り戻すためなんでしょう?
たしか『欠点種のオレンジ』とか言ってたわよね?
そいつの足取りを追おうとしてるんじゃないの?」
「……その通りだ。
やはり、シモーネはまだ戻ってはいないのか……」
「でね? シモーネを見つけ出すつもりなら、あたしも協力しようって思いついたの」
「協力……? どういった気まぐれだ。貴様はシモーネを嫌っていたはずであろう?」
「嫌いよ。だから気になるの。あの子が今、どこでどうしているのか……
売り飛ばされて夜の商売にでも身を沈めてくれてれば最高ウケるんだけどね」
「……なるほどな。シモーネのおちぶれた姿を拝みたいという訳か……」
「ま、そんなところかしらね。どお? 軽蔑した? 別にかまわないわよ?」
「フッ。軽蔑などするものか。この俺も同じ穴のムジナだからな。
俺の場合シモーネではなく、オレンジ欠点種が破滅する姿をしかと目に焼きつけねば腹の虫がおさまらぬ」
「ふぅ~ん。案外気が合うじゃない? あたし達。
ま、どのみちアンタの返事がどうであろうとあたしの言う通りにしてもらうけどね。
『ク・ソ・お・や・じっ』」
録音機の中でギリザンジェロが何度も口にしていた、父への悪意ある呼び語。
マリアンヌは、鼻ピアスをちらつかせながら嘲笑した。
(こ、こやつめ。俺様の弱みに付けこみ調子に乗りおって……!
俺がシモーネを選んだことをいつまで根に持っているのだ!)
ギリザンジェロは口角をピクピク引きつらせ、両手で作った拳を震わせた。
「さてと。あたしは一度屋敷に戻って旅の支度をしてくるわ。
王子さまは? ここには一人で来たの? それともあの丸メガネ……マキシリュだっけ? 忠実なお供の少年と一緒なの?」
「……一人だ。どうせ電話の着信履歴はマキシリュの名で埋まっているだろうがな」
「だけどビックリしたわ。さっき例の公園でアンタを見つけた時は。
犯人は犯行現場に戻るって言うけどホントだったのね」
マリアンヌはギリザンジェロの動きを警戒しつつ、鼻ピアスをハンカチにくるみ胸元にしまった。
「誰が犯人だ。録音を聞いたなら俺が無罪だと分かったはずだろう」
「でもこの里の女たちはいまだにアンタが誘拐犯だと思いこんでるわ。
サングラスをかけてないくらいではあの時の怪しい男だって見抜かれるのも時間の問題よ? 通報されて面倒なことになる前に早いとこ出発した方がいいわ」
「貴様は平気なのか? 年頃の娘が男と旅に出るなど……」
「シモーネもそうだったじゃない」
「その方は仮にも名家の子女であろう」
「『仮にも』は余計よ。
大丈夫。アンタはあたしに手出しなんて出来ないワケだし。
パパには一人旅だって言えば何の問題もないわ。パパは心配性なとこもあるけれど社会勉強には熱心な人なの。何よりあたしの言いなりなのよ」
「貴様のような娘を育てた男がいかなる愚者か、一度でいいから見てみたいわ」
「それはこっちのセリフよっっ。
あ、でもそう言えば……アナタのお父上のお声を拝聴したわ。
アナタが女風呂のぞいて審議にかけられた時……
あれが我が国の偉大な王のお声なのよね。すっごくしびれちゃったわ。あまりの威厳に思わず身震いしたくらいよっっ」
なぜか父王の話になったとたん、マリアンヌの言葉づかいが極端に丁寧になり、ギリザンジェロに対する呼び方も「アンタ」から「アナタ」に昇格している。
そればかりか、父王の声を思い返すやマリアンヌはやたら熱気を帯び、片手を胸に当て尊敬の気持ちを現し始めた。
(何なんだ……あのクソ親父とこの俺と、
扱いに差があり過ぎるではないか……!!)
ギリザンジェロはますます悪感を抱き、マリアンヌにも父王にも怒りをぶつけられずただただ苛立ちを蓄積させる。
「それじゃあ王子さま。夕方うちの屋敷の裏側まで来てちょうだいね」
そう言ってマリアンヌは、足どり軽やかに自らの魔馬の方へ向かった。
一人、憤懣やるかたないギリザンジェロ。
今頃になって、耳下の穴に痛みが生じてきた。
「おのれ……もっと早くこの痛みが出ていれば……!」
鼻ピアスの石が刺さっていた痕を手で押さえ、なぜ今の今まで気が付かなかったのかとギリザンジェロは口惜しがる。
それにしても――
いかに弱点を突きギリザンジェロを劣勢に追いやっているとはいえ、ガフェルズ王家の王子に対しこれ程まで非礼にふるまえるマリアンヌは根っからのうつけなのか、
はたまた根っからの剛胆なのか……
結局、ギリザンジェロはマリアンヌにさからえないまま、彼女を連れてシモーネの捜索に出かけていた。
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