22人が本棚に入れています
本棚に追加
「男はその人形を造り上げるとそれっきり人形を造ることを辞めてしまった。なぜならそれ以上の作品を造る必要を感じなくなってしまったから。男は一日中自分の造ったその人形と共に過ごし、その内ノワールを生み出した男は人形である彼女を愛してしまった。人形として自身が生み出した作品としてではなく、たった一人の女性として。男の生活に人形の存在は欠かせなくなっていた。決して自分に語りかけることはないとわかっていても、彼はその人形に話しかけ続けた。するとある時、その人形にとうとう生が宿った。これがノワールの誕生ね。そこから男はますます人形に依存していくことになる。朝も昼も夜もずっと男は人形の側にいた。人形のためならなんでもした。彼女に似合うドレスを見繕い、彼女を彩る装飾品にも私財を惜しみなく使った。もちろん常に彼女に話しかけ、いろんな夢や将来を語った。それこそ食事を摂ることを忘れるほどに。男は彼女を恋人として接し、人形である彼女もそれを受け入れていた。だけどそれも永くは続かなかった」
アンジェが呼吸を整えるように佇まいをなおす。
「そもそもノワールの力の強さというのは一番最初に生まれたということもあるのだけれど、それ以上に彼女を造り上げた作者の想いが強すぎたの。わたしたちの存在というのは人間の想いをベースに成り立っている。だからその想いが強ければ強いほど、メリーさんとしての力も自然と強くなる。ただノワールに関してはその想いがあまりにも強く、その結果ノワールを生み出した作者は自分の命さえも想いに変えてしまった。それ故に強すぎる想いは彼女の力を強くし、あまつさえ彼女自身でも制御出来ないほどのものに。まだメリーさんとして生まれたばかりの彼女は、自分のあまりにも強すぎる力を制御する方法を知らなかった。だから自分の生みの親であり、愛する恋人の命を奪う形になってしまったの」
「そんなことが……」
「でもその人と川本と何の関係があるんだ?」
「おそらくだけど、貴方たちの言うその人はかつてノワールを生み出した恋人にそっくり、もしかしたら生まれ変わりそのものかもしれない。だからノワールと波長があった。そのせいでその人は無意識の内に自分の想いだけではなく、命まで捧げようとしていた」
「でもノワールが悪いわけじゃないんだろ?」
「ええ。以前と違って彼女は自分の力をコントロール出来るようになってるわ。だから必要以上に相手から想いの力を受け取らないようにしてるの。でもその人のノワールを想う気持ちの方が強いみたい。そのせいでノワールの力が無理やりに強められているようね。だから彼女も極力自分に近づかないように色々手を尽くしたみたいだけど、どういうわけかそれすらもかいくぐって来てしまうようね」
「それでノワールが自分から川本を遠ざけようとしたのか」
「そうね。それで再び同じように相手の命を奪ってしまわないように。だから彼女はその人の記憶を消し去ることで自分に関わらないようにした」
「ただこれはとても大変なことでもあります。人の記憶を消してしまうというのはある意味で人の命に関わってくることでもありますから。なのでわたしたちメリーさんは簡単に人の記憶を消すことが出来ないよう、自らに制限をかけているんです。じゃないとやりたい放題出来てしまいますから」
メリーさんの言葉を重く受け止める。確かに何かされてもその記憶さえ消してしまえば自分が相手になにをされたか認識することは出来なくなる。メリーさんたちはそれが簡単に出来てしまう。けれどそれをしないのは俺たちとの信頼関係があってのことだろう。
「ということは俺たちが川本の記憶を取り戻そうとすることはノワールの意思に反することになるってことか」
「そうことになるわね」
それが結論だ、と言いたげにアンジェがカップに残った紅茶を飲み干す。俺と柴田は顔を見合わせていた。
「……じゃあ俺たちが川本に出来ることってのはなにもないのか?」
「むしろ何もしないほうが二人のためでもあるわね」
気持ちはわかるけど、と付け加えてアンジェはそれきり黙ってしまった。
重苦しい沈黙が流れる。この空気に耐えられず柴田の方を見ると、柴田も難しい顔をしていた。
最初のコメントを投稿しよう!