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少し間が空く。俺は少し眠くなってきていた。時刻はまだ九時過ぎだ。こんな時間に眠くなってくるなど、俺にとってはあり得ないことである。
黒川先輩の前で寝るわけには行かないと思い、目を擦る。すると、黒川先輩が座った状態のままこちらににじり寄っているのが見えた。そして、俺に肩を寄せて座り直す。俺は驚き、一瞬で目が覚める。
「ごめん、やっぱりちょっと怖いかも。くっついてていい?」
黒川先輩は上目遣いで俺を見ながら静かな声で言う。
「あっ、なるほど。そういう、ことで、すか。別に大丈、夫ですよ」
俺は焦って変なところで言葉を区切りながらなんとか返答する。
「ありがと」
黒川先輩はそう言い、また少し沈黙が流れる。今度は俺から話を振ろうと思うのだが、今置かれている状況に興奮が収まらず、何も考えつかない。
「さっきは結構危なかったね。まさかゆうちゃんに助けられるとは思わなかったよ」
結局、また黒川先輩が先に話し始める。
「えっ、何がですか?」
しかし、俺はすぐには何のことを言っているのか理解ができず、聞き返す。
「さっきの飲み会の最後の方でさ、大友くんが春野くん家で二次会するとか言い出したじゃん」
「あー、そのことですか」
俺はすぐに何のことかを理解した。
「私は一人で春野くん家に本を借りに行きたかったけど、とてもそんなこと言えないし、何もできなくてただ見てただけだったんだよね。本当にゆうちゃんには感謝だよ」
「確かに、まさか小林に助けられるとはって感じでしたね」
俺はすんなりと返したが、すぐに黒川先輩が一人で俺の家に来たかったと発言したことに気が付いた。俺が喜びと焦りでいっぱいになっているところに、また黒川先輩が話しかけてくる。
「てか、本当にゆうちゃんって春野くんのこと大好きだよね」
俺は黒川先輩に最も言われたくないことの一つを言われ、正気に戻る。
「はい、なぜか分からないですけど」
俺は少し無愛想に答える。
「やっぱり嬉しいものなの?春野くん的には」
黒川先輩は真顔で嫌なところを質問してくる。俺は少ししかめ面になる。
「嬉しくはないですよ、むしろ困ってます」
「なんで?ゆうちゃん可愛いじゃん」
「可愛いとは思いますけど、あんなグイグイ来られたら普通に困りますよ。俺、好きな人いますし」
「えっ!?そうなの!?誰?」
俺はしまったと思った。この流れになるのは容易に想像できただろうになぜ好きな人がいるなどと言ってしまったのか。
「いや、その、それは言いづらいんですけど」
「いーじゃん、教えてよ」
黒川先輩は顔を俺の顔に迫らせてくる。俺は嬉しさより恥ずかしさが勝ち、顔を後ろに引く。それでも黒川先輩は顔を寄せてくる。
俺が返事に臆していると、先に黒川先輩が口を開いた。俺の目をじっと見て、消え入るような小さい声でそっと言う。
「私だったら、嬉しいんだけどな」
「えっ?」
非常に小さい声だったが、俺は一文字も聞き逃さなかった。すぐに言葉の意味を理解した。しかし、だからこそ、頭の中が真っ白になっていた。
俺は顔を後ろに引くのをやめる。今度は黒川先輩は俺の首に手を回して顔を近づけてくる。相変わらず俺の頭の中は真っ白だったのだが、そういう流れだというのは悟った。だから、抵抗などは一切せず、自らも迫り来る唇を迎えに行った。
しかし、またもや先程の耐えがたい眠気が襲ってきた。唇が触れ合う寸前、俺の意識は一瞬無くなり、首がカクンと崩れ落ちた。その拍子に俺の頭が黒川先輩の鼻に当たってしまい、黒川先輩は「痛っ!」という声を上げ、首を後ろに反らした。
「すみません!本当にすみません!先輩、大丈夫ですか?」
俺は痛そうに鼻を押さえる黒川先輩に向かって慌てて謝る。
「ははっ、大丈夫だよー」
黒川先輩は鼻を押さえていない方の手を横に振り、笑いながらそう言ってくれた。俺は絶対にしてはいけないことをしてしまったと、非常に焦っているのだが、それでも眠気が収まらない。
「春野くん、かなり疲れてるみたいだね。さっきも体調悪いって言ってたもんね。今日は早く寝た方がいいよ。私は、帰るね」
黒川先輩は優しく微笑んでそう言いながら立って鞄を手に取った。
「あ、ちょっと待っ、いや、はい。そうします…」
俺は慌てて引き止めようとしたが、あまりの眠気にそうすることさえできなかった。
「すみません。本当に、すみません…」
俺は、黒川先輩に対して、本当に心から申し訳ないと思い、謝った。
「別に大丈夫だよ、そういう日もあるよ」
黒川先輩は優しくそう言ってくれた。そして、玄関に向かって歩いていった。俺は重い体を持ち上げ、なんとかそれについて行く。
「駅まで、送りますね」
靴を履いている黒川先輩に向かって俺は言う。
「いや、いいよいいよ!すぐそこだし、もうゆっくり休んで!」
黒川先輩に強めの口調でそう言われ、俺はすぐに引き下がることにした。黒川先輩は、靴を履き終わり、ドアノブに手をかける。しかし、何かを思い立ったように、突然こっちを向き、俺に一つ質問をした。
「春野くん、明日の講義どんな感じ?」
「えっと、明日は、午前だけです」
「おっ!ちょうど良かった。私も明日午前だけだから、昼から映画でも見に行かない?」
「え、映画ですか!?もちろん行きます!」
黒川先輩からの嬉しすぎる誘いに、俺は二つ返事で答えた。
「オッケー、ありがと。じゃー明日、講義が終わり次第部室集合ね」
俺は「はい」と言いながら頷く。それを確認すると、黒川先輩はドアの方に向き直り、改めてドアを開けた。
「あっ、本もありがとねー」
黒川先輩は最後にそう言い残し、帰って行った。俺はドアが閉まると、鍵を閉め、部屋に戻った。
さっきのはデートの約束ってことでいいんだよな?今日は本当に最悪なことをしてしまったが、これは脈有りってことでいいのか?
廊下を歩きながら、朦朧とする頭でそんなことを考えていた。部屋に着くと、布団を敷くこともできず、ソファに飛び込んで、そのまま眠りに落ちてしまった。
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