とある一枚

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とある一枚

夕暮れ、ある男は都会の道端で一枚の写真を拾った。 普通なら落し物なんて見かけても素通りしてしまうのだが、 何故かそれだけは気になって過ぎた道を引き返してまで手に取った。 男が拾ったのはどこか現実味が欠けたような、見たこともない場所の写真だった。 山か崖の上から撮られたのだろうか。写真のほとんどは空を、下のほうには小さく街が写っていた。 うっすらと星が見える空は何色とも言いきれないグラデーションをしていた。空の色なんてどこかで一度は目にしていたかもしれなかったが、真剣に見れば見るほど惹かれるような色合いだった。 写真の両端は雲だか汚れだかわからないが少し霞んでいた。どっちにしろ、それがきれいすぎる風景ににより味を出しているように思えた。 男は拾った写真を穴が空くほど見ていたが、ぽつぽつとつき始めた街灯の明かるさでようやく我に返った。 そういえば俺は帰る途中だった。男は写真が落とし物であったことを忘れ、自分の鞄の中へしまいながら家へと歩く足を速めた。 男は今まで趣味と言えるものがなかった。友人の大半はハマるものがコロコロと変わりやすい人だったが、男はそんな友人たちが羨ましかった。そして男の淡々と過ぎていく日々が、なんだかとてももったいない気がしていた。 そんな男にとって自分を忘れるほど何かを凝視したのは初めてで、偶然出会った一枚の写真は何か不思議なものがあるように感じた。 この写真は何なのだろう。家につき落ち着いた男は写真について考えた。 これは一体どこで取られたものだろうか?誰が撮ったのだろうか?そもそも何故あんなところに落ちていたのだろうか … 男はそこまで考えてからやっと「あぁ、これは落ちていた物だった」ということを思い出した。 落とし物を持って帰ってきてしまった。男はどうしたものかと困った。 元あった場所に戻そうにも拾った場所は家からそこそこ距離があり、帰宅し脱力しきった男にそんな気は起きなかった。 落とし物なら交番だろうか、と思ったが落とし物として写真一枚を交番に届けるのも気が引けた。 男はいっそこれを自分の物にしようかと思った。 しかし写真を見ていると、本来の持ち主がなんだか可哀そうな気がしてきた。 落とした持ち主は今頃どうしているだろう。これを無くして嘆いているだろうか。 これを勝手に自分のものにしたところで、いい気分でいられるわけがない...... などと考えているとき、突然あることを思いついた。 そうだ。SNSで尋ねてみよう。 何かに急かされるように男は写真をアップし、誰とも知らない人に向けてこう文字をつけて発信した。 「この写真の持ち主を知りませんか?」 男は大してSNSを使っていなかったのだが、ネット上で尋ねた写真と文は瞬く間に広がっていった。 そこには今までにないほどのたくさんの反応と拡散が集まり、数は日に日に増していった。 きっとこれで持ち主のところに知らせが行くだろう。そう思っていた。 発信してから何日か後、「この写真の持ち主です。」という人が現れた。 しかし持ち主は一人だけではなかった。 何人も現れた。 男は誰が本当の持ち主かわからなかった。言う人それぞれ住んでいる場所がバラバラで、誰一人男の住む地に近い人はいなかった。 この写真を撮った人ならこの場所がどこか教えてくれるだろう。 そう思い一人一人に聞いていった。 「この写真を撮られた場所を教えてくださいませんか?」 しかし答えははぐらかされるか知らないかで、はっきり知っていると言った人は誰もいなかった。 男は落胆した。本当にこのまま現れないのだろうか..... その間にも謎めいた写真は知名度だけを広げていった。 それからさらに数日後を過ぎたあるとき。 「この場所までご案内しましょうか?」 とあるだけのメッセージが届いた。 「初めまして」も名乗りもなく、ほんとうにこれだけだった。 挨拶もなくご案内しましょうかと言われても。怪しさが漂う文だったが、その場所を知っているといえる人がいたことが男にはどこか嬉しかった。 はい!と返せるほど相手をすぐに信頼するのは難しい。が、断ってしまうとわからないことだらけの写真はわからないまま。 そこで男はまず、丁寧に「初めまして。写真についてなにかご存知なのでしょうか。本当に知っているならば教えてください。」 と書いて送った。 すぐには反応は来なかった。次の日になると返事が来ていたが 「知っていますがここでお教えすることはできません。その写真の場所までお連れすることは出来ます。」と書いてあった。 会わなければ教えないだなんて新手の詐欺だろうかと思ったが、そこまでしてもったいぶるなんて一体どこだというか、遠い秘境の地だとでもいうのだろうかとも思った。男はかなりあの写真の風景を気に入ってしまっていた。 けれどどうしてもはい、と返せる勇気はなかった。あの場所に行くには面識のない相手と会うことは避けられない。誰だって見知らぬ他人に未知の地へ案内されることに抵抗を覚えるだろう。男は心が決まるまで返信を保留することにした。 ネットの一角では拡散された写真をめぐって、多くのライターがこの謎の写真の場所をつきとめて記事にしようと息巻いていた。が、結局判明したというものは現れることはなく、発信者の男の元に質問が殺到するだけだった。 尋ねるために写真を上げたのに逆に質問責めにあい男はうんざりしていた。 写真について情報を得られず人々の反応をまとめるだけになってしまった記事たちはさらに多くの人の関心を引き、謎の場所はここだろうかいやそれは違う、ではあそこだろうかと人々の興味の的になった。 男はそれらの反応を見ていたが、写真は拡散され続けたまま本当らしき持ち主は現れず撮られた場所らしき情報が出てこないこと、 そしてあまりに情報がないため終いには嘘ではないかと言われ始めたことで疲れてしまいとうとうSNSも尋ねることもやめてしまった。 あの返事を保留してしまったまま。 SNSをやめてすぐ、男は発端となった写真を捨てようと保管していた引き出しから取り出した。 手にとってからから見納めに、としばらく眺めていた。捨てようとした手は止まってしまっていた。 その写真はやはり何か不思議な何かがあるように感じられた。異様な人の惹きつけ具合と言い、自分の今までにない没頭の仕方と言い..... 持ち主がわからなくてもいいから写真について何か知りたい。諦めきれなくなった男は一人でその場所を探すことにした。 どれくらいの年月が過ぎただろう。 男はあらゆる旅してまわったが、全くそれらしい場所に巡り合うことは なかった。 あんまりにも写真についてわからないものだから男もだんだんあの写真が嘘のように思えてきていた。どうしてあの場所が実在すると確信していたんだろう、あの写真は空想で描かれた風景だったのだろうか。 それでも男は写真を見るたびにどこかにあるのだと思いなおしては、なかなか見つからない現実に打ちひしがれるということを繰り返した。 人気のない公園のベンチで、何度目かわからないが打ちひしがれていた時だった。 「その場所までご案内しましょうか?」 人がいないはずの公園で突然声がした。 「お化け!!!」 年甲斐もなく男はとっさに叫んだ。 顔を上げるとまだ日の輝く昼時で、お化けなんか出ないようなまぶしさだった。 よく考えればこんな時間にお化けなんて。少し冷静さを戻しながら男は自分の行いを一人知られず恥じていた。周りに人がいなくて助かった。いい大人がお化けなんて叫んでいるのを見られたら絶対に笑われていた。 ......人気がないのに声がするだろうか。 男はあたりを見回した。公園にいたのはのんびりと日向ぼっこをする猫一匹だけだった。 どうやら幻聴が聞こえるほど疲れていたらしい。今日はもう家に帰って明日の出勤のために休もう、と背伸びをしながら立ち上がった。 「その場所までご案内しましょうか?」 やっぱり声がしたのだ。 男が目を丸くして立ち尽くしていると、花壇の猫が男のほうへ歩いて男の前で座った。 「ぼくがあの写真の持ち主なんです。」 そしてこう言い放ったのだった。 男はこんなに酷い幻聴が聞こえるまで自分は疲れていたのかと思った。なんと言っても猫が喋るわけなんてないのだ。 困惑する男を気にすることなく猫は続けた。 「拾っていただいたお礼に今からその写真の場所までご案内しましょう。」 「……今から?」 今から。今からどこへ行くと言うのだろうか。 猫は男の言葉を聞くことも無くどこかへ向かって歩き始めた。はいもいいえもまた今度で〜などと言う暇もなく今すぐついてこい、という感じだった。 男は起こっていることがよくわからなかった。猫は喋るし、あの写真は猫のものであるとか言うし、あの場所まで行くからついてこいだとか信じられないことばかりだった。 しかし猫はどんどん進み公園の出口へ向かっていた。 このまま見失うのはまずい気がして男は急いで猫の後を追った。 公園を出てから、信号を渡り道路を進みひたすらビルの谷間を歩いた。 斜め上にいたはずの太陽はだんだんと降りてきていた。 男は猫の後ろを歩くだけだった。猫がどこかへ向かっているようなことしかわからなかった。 「なぁ猫や」 男は猫を未だに信じきれていないが、何となく話しかけてみた。 「どうしました?」 立ち止まることなく猫は喋った。 「あの写真はどうやって撮ったんだ?」 なんでそんなことを尋ねたかはわからないが男はそう言った。 「企業秘密なので。」 猫はそう返した。猫に企業秘密もあるか!と思ったが何と返しても教えてはくれなさそうだと思い男は黙って歩いていった。 道の端には草が茂っていて、木々が増え始めて随分都会とは離れたところまで来たような気がした。 日は沈み辺りはだんだん暗くなっていった。 「猫や猫や」 「どうしましたか?」 「まだ着かないほど遠いのか?」 男にはかなり長い時間を歩いてきた気がしていた。 「えぇ、もうすぐですから。」 と猫は言った。もうすぐと聞いて男は少しだけ足が軽く感じたが、なんだが不安な感じもしていた。 次第に建物も道も見えなくなった。月も空もあるか分からない真っ暗闇の中では光もないのに何故か姿が見える、悠々と前を歩く猫だけが頼りだった。 男は、 「本当にどこへ向かってるんだ?もう真っ暗になっているんだぞ!」 と強く言ってみたが 「えぇ、ええ。もうすぐですから。」と返されるだけで他にどうしようもなかった。 男は今が一体何時かわからず、スマホを取り出そうとしたがスマホはどこにもなかった。急いだあまりにカバンをベンチに置き忘れていた。 戻ろうにもなぜか猫以外なにも見えない暗闇だ。ここで動くのは無謀だと思い、仕方なく腕時計で時間を見たが腕時計は公園でベンチに座っていた時間と同じだった。電池がちょうど切れてしまったようだった。 男と猫はひたすら歩いていったがそこには光もなければ風もなく、寒暖もなければ匂いもない。しかし、何かの上を歩く感覚だけはあった。 コンクリートのように固くもなければぬかるんだ泥を踏んでいるようでもなかった。 どれくらい歩いていただろうか。 ふと、猫は歩いていた足を止め男に言った。 「着きました。」 「下を向いて目を瞑ってください。」 着いたと言えどまだ真っ暗でよく分からなかったが男は言われたように下を向き目を瞑った。何故暗いままなんだとかどうしてとか、そんな言葉は出てこなかった。男はかなり歩き疲れていた。 男が目を瞑ると、真っ暗な中閉じた瞼に光が当たったような気がした。しかし猫は横で「まだですよ」と言うのだった。 「もういいよ」 少しして猫の声と被って誰かの声がした。 男が言われるままに目を開けると、そこには写真の通りの景色が広がっていた。 すぐに男は目を見張った。男のいる場所は山のような岩の上ですぐ近くが崖のようになっていてあまり動けそうになかったが、眺めているだけだけでも十分なくらい景色は素晴らしいものだった。 男にとって信じられないことばかりが続いていたが猫の言っていたことは本当のような気がした。 猫がなぜ人語を喋るのはよくわからないが、猫は本当にこの写真の場所まで連れてきてくれたのだ。 目の前の光景に感激した男は礼を言おうと猫を探した。しかし男の前にいたはずの猫はどこからか現れた女の子に抱かれていた。 猫はなんだか女の子に捕まっているようだった。 「この子を連れてきてくれてありがとう。」 女の子は男に礼を言った。特に何をしたわけでもなく、むしろ連れられてきた男はなんだか不思議な感じがした。 「これ、思い出に持って行って。」 女の子はそう言うと一枚のカードのようなものを手渡した。そこには何も書かれていなかったが、男にとってはなんだかすごいもののような気がした。 男が女の子からカード(のようなもの)を受け取ると、周りの景色がすぐに歪み始めた。 男はどうしていいかわからなかった。まだ、もっと景色を見ていたかったし、帰り道もわからなかった。 景色はぐにゃりぐにゃりと歪み、まるで貧血のような目眩のような感覚になった。 足元はおぼつき立っていられず、座りこんでしまった。景色はもうよくわからない。 男は感覚から逃れるために目を瞑った。 男が気がついた時には夕暮れだった。 公園のベンチで寝ていたらしく体がなんだか痛い。 あれは自分が自分に見せた夢だったのだろうかと、立ち上がり背伸びをするとパサパサっと何かが落ちた。 あの写真とまっさらなカードだった。 それから、男は事ある事にあの場所で見た景色そのままが収まった写真を眺めていた。 お守りのように持ち歩き、時折見つめては怒りや悲しみを浄化していた。 写真を見つめるだけで自分の中に湧く大小の感情なんてあの不可思議な経験に比べれば大して頭の中に残しておくのは無意味なことに思えた。 そして、様々な景色をカメラに収めることが楽しみになっていった。 ある日カメラに撮り溜めた写真を現像した帰り、男が電車でアルバムを眺めているとアナウンスが流れた。次の停車駅が自分の最寄り駅であることを告げていた。 それに気づくと男は急いでアルバムを鞄にしまい、ドアが開くなり足早にホームの人混みの中に紛れていった。 しかし慌てたあまりにアルバムに挟んでいた白いカードはたった1枚だけ、するりと冊子の隙間を抜けて男と別れてしまった。 男の座席の向かい側、吊り革に寄りかかっていた若者はその残された物に気づいたが 急いで降りて届けようかどうしようかと一歩踏み出すことを躊躇してしまっている間に 電車のドアは無情にも閉まってしまった。 動き出した車両の中で若者は少し後悔した。別に急ぎじゃなかったから届ければよかった、そうしたら今後悔していなかったのに。そう思って誰にも拾われない写真を手に取った。 写真を見ると若者はすぐに魅了されてしまった。何故ならその写真に写っていたのは 若者が小さい頃住みたいと描いた夢のような城と壮大な庭園だった。 若者はこの場所を何としても知りたかった。けれど落とした人に聞こうにも、その人の顔はおろか性別もわからなかった。見ていなかったのだ。 そこで家に帰ってすぐ若者は写真をなんとか四角く収め、文字とともにアップしてこう尋ねた。 「この写真を知りませんか?」 (終わり)
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