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 正太郎の言葉に俯く欣二。 「もう……絵は描けない」 「お前もまだ武久のことを引き摺ってるのか。まあ、あれだけ親しい仲だ、そうそう立ち直れるもんじゃない。人物が描けないなら静物画でも建物でも、何でも描きたい物を描けばいいさ」  明るい口調を保って正太郎はそう連ねる。 「よしてくれ。君には分からないさ、俺の気持ちなんか……」  その彼の一言は何とも(かん)(さわ)る言い方だった。正太郎は目と口を尖らせて、今まで堪えていた怒りを(あらわ)にした。 「君ね、人が誠意を持って(なぐさ)めようとしているというのに、何だ、その態度は。……君という男は、人の心というものをまるで分かっちゃいない、だから武久とも……」  正太郎はそう言いかけて冷静さを取り戻し、急に口を(つぐ)んだ。 「そうだな……」  低く掠れた声でそう漏らし、酒を飲み干して欣二は立ち上がった。 「待て!欣二」  彼の(たもと)を引っ張るが、欣二は背を向けたまま動かない。 「おい、欣二!」 「せっかくだが、正太郎。ビフテキは食えそうにもない。代わりにお前が食べてくれ」  そうはっきりと言葉にして彼は足早に店を出て行った。欣二の姿が見えなくなると正太郎は正面に向き直して、新たに煙草を(くわ)えた。  初めのうちは彼が頭にきて立ち去ったものだと思っていた。だが次第に、彼は泣いていたのではないかと思った。それは恐らく武久の一件が絡んでいるに違いない。そう考えて正太郎はふと、彼らに出会った時のことを思い出した。  その昔、武久がまだ東京に住んでいた頃。正太郎がこの店に通い始めて一ヶ月程して、絵画の話をしていた欣二と武久に出会った。莫迦(ばか)げたくだらない話を交えて話す二人は懇意(こんい)な間柄に見えた。 「アンドレア・マンテーニャといえば、『死せるキリスト』だろう?」 「いやあ、俺は『聖セバスティアヌスの殉教図』だと思うね」
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