沼と助手席

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   啓子はその開発チームに所属していた。しかし表に出るのはチームを代表する肩書きを持つ人物になるはずだと思い込んでいたので、自分に白羽の矢が立った時には驚き、固辞した。  啓子も学会の分科会や製薬会社との会議などでプレゼンテーションをすることはあるし、そもそも人前でしゃべることが苦手という意識は持っていなかった。ただ、わたしでいいのだろうか、テレビだと顔も映るわけだし、世間に誤解を与えてしまうやもしれない、というためらいのほうが大きかったのだ。  それでも、テレビの視聴者は素人なんだし、そういう人たちに専門用語抜きでわかりやすく説明するのは上手そうだよね、と言われれば悪い気はしない。『()的』にも女性のほうが感じがいいし、という上司の言葉に、40を過ぎれば一緒ですよと返すくらいには世の中のことを知っているつもりだ。  そんなやりとりの末、出演することを承諾したのは、どうせローカル番組に1回か、せいぜい2回のことだろうと踏んでいたからでもあった。しかし、どうやら視聴者からの啓子の評判が自分で思う以上に良かったようで、全国ネットのワイドショーやニュース番組にまで引っぱり出されるようになってしまったのは完全に想定外だった。
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