沼と助手席

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   あらためて同じ所内の者同士で名刺交換をした。  独立系の研究所としては規模が大きいほうなので、部署が違うと知らない人間も多い。特に啓子の所属する研究部門からすると、営業や広報は別会社みたいなものだ。勤務する建物も違う。 「田中啓子さん。啓子って、この字なんですね」 「シンプルでしょ。日本に1万人はいると思います。字が違うケイコさんだったら10万人くらいになるかもしれませんね」  啓子が受け取った名刺には『西澤(つよし)』とあった。剛毛か、と思うと少し頬が緩んだ。  プリントアウトした地図を丸めてゴミ箱に捨てようとすると、西澤は、 「あ、それ、僕がもらっときます」と、シワを伸ばして丁寧に四つに折り、ジャケットの内ポケットに入れた。  営業の制服のような紺のスーツではなく、ツイードのジャケットだったことに少し違和感を覚えた。ヒゲといいジャケットといい、ひょっとしたら営業では浮いた存在なのかもしれないと、啓子は勝手に想像した。  『研究棟』と呼ばれる啓子たちの勤める建物の前の駐車場に、西澤の車は停めてあった。研究所所有の車ではないようだった。西澤の自家用車なのだろうか。
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